28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(最終話)

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前話: 28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(第五話)

僕らがやらなきゃ誰がやる?

※前回までのストーリーはこちらから → 第一話


自分たちなら、もっといい語学学校を作れる。

漠然と思ったこの考えを、もう少し具体的にするために

現状の語学学校の何が悪いのかの問題点を自分なりに整理してみた。


①生徒のニーズ把握や目標設定がない。

②学習の進捗管理がなく、また授業が合わない時は先生を変更するしかない。

③誰が自分の英語力に責任を持ってくれているのか分からない。

④教科書が絶望的に面白くないし、カスタマイズも出来ない。

⑤設備が汚すぎる。

⑥学生中心すぎて英語以外に得られるものが少ない。

⑦門限などのルールが厳しすぎる。


などなど。

挙げればキリがないけど、ネガティブな意味ではなく、

もっとこういう点を改善出来れば、「安さ」ではなく、

世界トップレベルの「質」が売りの留学地として発展して

いけるのではないかと、本気で思った。


言い方は悪いが、

『教師、教科書、場所さえ整えれば、誰でも始められるビジネスじゃん。。』

と当時は思ってしまった。


これほどの英語学習面ではポテンシャルを秘めているのにも

関わらず、ただ「安さだけ」で注目されるフィリピン留学を変えていくのは

もしかしたら、僕らの役割なんじゃないかと。


そんな思いを持って、僕は一旦日本に帰国した。



帰国後すぐに、呉宗樹(現CEO)と鈴木光貴(現CFO)に現況を報告。

「このビジネスは行ける」と。二人ともまさか「学校」を始めたいと

言い出すとは思ってもなかったと思うが、上記に挙げたような点を

説明すると、最終的には「とりあえず実現できるかどうか調べてみよう」という事に。


今思えば、この時点までは3人で会社をやるって話しではなかった。

偶然見つかった「学校」というビジネスが、あまりにも大掛かりなもので、

3人で力を合わせなければ、到底実現すら出来ないと理解してくれたからこそ、

結果的に3人でやりましょう!という話しにまとまった。


そういう意味でも、この学校構想が無ければ僕ら創業者3人は

おそらく別々の道を歩んでいたのかもしれない。



さておき、腹は決まった。

2012年8月には全員セブ島入りし、連日ビジネスモデルについて話し合った。


今では笑い話だが、極力コストを抑えるために、3人で共同生活をスタート。

昼食を外で食べる時間も惜しいので、日替わりで昼食を作る。男飯。


「辛ラーメン1つを3人で分け合っていた」


という話しが立ち上げ期のエピソードとしてあるが、

立ち上げ時に発生するコストを1円でも削減するために質素な生活は心がけた。



(生徒宿舎を探す様子)



(現在の本社オフィス。居抜き物件として見つけた時の写真)


(ついに、本社を契約!)


(Camp fireで募金を募ったりもしました)




(カリキュラム作りもゼロから。これはしんどかった...)


そして、ついに。。


(学校許認可取得。この日は本当に嬉しかった!)



(創業の日。思い返せば本当に3人でやってよかった。いや3人でなければ創業時の荒波は絶対に越えられなかったと心から思う。)


2012年11月に学校設立を発表。


今では笑い話だが、2012年の年末年始は生きた心地がしなかった。


想定してた人数の生徒が集まらず苦悩の日々。

フィリピン人スタッフとの軋轢、文化の違いによる衝突。

進まない準備、理想と現実のギャップ。


早速12月に倒産の危機を迎えた。


「やっぱり彼らの挑戦は無謀だったんだ」

「ほら、やっぱり。若造が調子に乗るんじゃない!」


きっと失敗すれば、そういう言葉が待っているだろう。いい笑いものだ。

寝れない夜を何度も過ごしながら、出口の見えない闇の中をとにかく

全力疾走し続けた。




そんな時ふと、創業当初にジョンス(CEO)が言ってた言葉。

「1人じゃなく3人なら喜ぶ時、その喜びは3倍になり、辛い時、その辛さは1/3になるよね。」と。



幾多の困難に遭いながらも、僕らの夢を乗せた語学学校

「Master of Business English Academy(MBA)」が構想開始から約1年後の2013年4月に無事開校した。


(MBAトライアル生。思い返しても苦い経験。この生徒達から厳しいご意見を頂いたからこそ、今の僕らがある。何の実績も無かった僕らを信じて留学に来てくれて本当にありがとうございます。)


(MBA第一期卒業生。この辺りから自分達のやり方に確信が持てるようになった!)


超高速でトライ&エラーを繰り返しながら、僕たちは着実に一歩一歩前に歩みを進めることが出来た。

外から見れば「本当に何事もなく、うまく事業立ち上げたよね」という声を多く頂くけど、

これが本当の舞台裏だった。

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