僕のルーツであるジジイ。

飄々としており、まぁーおもろい人やった。大好きでしたね。

誰かというと、母方のじいさん。あだ名は「ちょぼじぃ」

昔飼ってた犬が「ちょぼ」という名前の犬で、幼い頃にアニキがそれを聞いて「ちょぼじぃ」と言い出した頃から、孫達からはその呼び方になったじいさんです。


オムニバス、という表現であってんのか?箇条書きと言ったほうがいいか。

幾つかネタのような話があるので、それを書き連ねていきます。


首の据わってない乳児を原付で運ぶ

まだ僕が生まれて間もないころの話なんで親から聞いた話ですね。

僕が生まれて間もないころに、オカンが僕を連れて実家に帰省したそうです。

僕は寝てたのか、オカンはちょぼじいと僕を家において買い物に行きました。

すると、しばらくして僕が火がついたように泣き出したそうです。

泣き止ませようと努力したようですが、あやし方もわかんないし、全然泣き止まない僕。


ちょぼじいはそこである行動に出ます。

首の据わってない僕をひょいっと背負い、颯爽とカブにまたがり、オカンが買い物に行ってるスーパーへ爆走。お店について、オカン(まぁ、自分の娘ですね)を探してると逆にオカンがちょぼじいを発見。店で悲鳴あげたそうです、オカン。


「まだ首も据わってないのに何してんの!!」と詰め寄るオカン。

「いや、泣きやまんもんからどうしようか困ったもんでな。」

と買い物途中のオカンに僕を引き渡し、カブでさっさと帰ったそうです。

ちなみに、走行中に泣き止んでたそうです、僕。


ネジが足りんかった

これは戦時中のお話。この話は大好きだった。

暗い戦時中の話ではなく、飄々と笑いながら語るのがとっても面白かったですね。


戦時中、ちょぼじいは飛行機の整備の仕事をしていたそうです。

その日も同じように整備をしていたところ、ネジが1本足りなかった。


「あれーどこいったかなぁー」などと言いながら、整備工場内を探しまわって見つかったので整備途中の飛行機のトコへ戻ったところ、その飛行機は既に飛び立ったあとだったそうです。


「あーぁ、行ってまったぁ・・・まだ終わってなかったんだけどなぁ。」とその飛び立った後ろ姿を見ていたとのこと。不謹慎と思われるかもしれませんが、当時の僕は爆笑してた。


テレビの中に水槽

5歳くらい?の話ですかね。

今ってPCのモニターで熱帯魚とかの動画流してたり、会社の玄関にそういったモニター置いてあったりとかするじゃないですか。あれのリアル版です。


ある日、ちょぼじぃの家に行ったところ、テレビが新しくなってた。

で、古いテレビ(チャンネル回すタイプのやつね)はそのまま居間に置かれてあって、その中に熱帯魚だか、金魚が泳いでいた。


外見はテレビである。

でも中にはリアルに魚が泳いでいる。

幼児である僕らにとっては衝撃的だった。


「ちょぼじいなにこれ?どーやってつくったの?」

「中身出したら足がしっかりとしてたし、水槽入れるのにちょーどいいサイズだったもんで水槽いれて作っただけや」


その発想というか、クリエイティブジジイというか。今日の僕があるのはこの1件が大きい。「自分で何か作る」ということに大きく興味を持った1件でした。

実際、手先が器用だったのは覚えてる(手先が器用なのは親父もだけど)。


大量の・・・

はっきりと言おう。

エロビデオである。

AVなんて、そんな洒落たもんじゃない。エロビデオもしくは「ブルーフィルム」である。


思春期を迎え、反抗期に入ってあれだけ好きだったちょぼじいとあまり話さなくなった。

たまたま、ちょぼじいがいないときにビデオ棚を見ると、その棚は意外と奥が深く、縦にビデオが2本並んでいた。


1列目のビデオをどけてみると、もうこれでもか、というぐらいに怪しいビデオがたくさんwwwざっと数えて60本超えている。若いころは相当に好き者とは聞いていたが(毎晩のようにしていた、と一族でも有名)、ちょぼじい、さすがである。


パッと思いつくのはこの4つの話ですかね。

まぁー飄々として、人をおちょくったりするのが好きなじいさんでした。

動物と機械が大好きなじいさん、という印象が残ってますね。

また、なにかと珍しいモノを持ってるじいさんでした(今思うと結構センスよかったんじゃないかな?スチームパンクっぽいものもあったような・・・)。


ちょぼじいは僕が17になった秋にこの世を去りました。

涙は出なかったけど、「もう会えないんだなぁ・・・」って強く思った。

著者の平田 睦さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。