団地脇の公園のベンチで泣いていたホームレスのおっさんの話

仕事帰りに通る団地脇の公園のベンチにホームレスらしい男性が腰かけていた。


歩道に背を向けて座る男性の後ろを通り過ぎたときに気付いたのだが、男性は小刻みに肩を震わせながら嗚咽を漏らし、薄汚れたジャンパーの裾で目元を拭っている。一度通り過ぎたのだが、気になってもう一度彼の後ろを何気ないふりをして通り過ぎてみたが、男性は相変わらず嗚咽を漏らしている。


自分でもほっておけばよいと思うのだが、やっぱり引き返して、このベンチに腰かけて、このホームレスらしきおっさんに話しかけてしまった。


「おやじさん、どうしたの?」


おっさんは、少し驚いた様子で答えた。


「ああ、何でもない、大したことじゃないんだけどさ。」


少しの間、二人無言で並んでベンチに腰掛ける。


しばらくして、おっさんはぽつぽつと話し始めた。全てが事実かどうかはわからないが、とにかくこういうことらしかった。


おっさんのねぐらは墨田の川筋にあるのだが、風の便りで自分の娘が結婚することを知り、娘に一目会いたい一心で丸一日かけて埼玉県にあるこの街まで歩いてきたらしい。おっさんは、神経痛と糖尿病の持病があるらしく、これから寒さが厳しくなる中で体が動かなくなる前に、意を決して娘に会おうと今朝ねぐらを出てきたようだ。


ちょうど夕方に娘が住むこの団地に辿り着き、しばらく逡巡した後、おそるおそる団地の呼び鈴を押すと、なんとその娘本人が出てきたらしい。


しかし、娘は、どうして会いに来たのかとおっさんを責め、もうすでに父親は死んだことにしており、周囲にも結婚相手にもそう話してあると言ったらしい。今更、会いに来られても迷惑で、二度と来ないでほしいと。


もし、今後、このあたりをうろつくようなことがあれば警察に通報すると言われ、おっさんはやむなく引き下がったのだが、この団地を立ち去り難くここにいるのだという。事情は当事者の間にしかわからないし、もちろん娘さんにもそれ相応の理由があって、こういうことになっているのだとは思う。


ただ、都内から丸一日かけてここまでたどり着き、取り付くシマもなく追い払われ、それでも、この場を去り難く脇の公園で涙を流すおっさんが憐れで仕方なかった。


かつて幼い娘と遊んだこの公園でおっさんは何を思っていたのだろうか?


「まあさ、娘さんもいろいろ事情があるんじゃないの?元気な顔が見られただけでもよかったじゃない。」


半ば自分に言い聞かせるつもりで、おっさんに言った。


「そうだよなあ、そうだよなあ。」


おっさんも自分に言い聞かせるようにつぶやいた。


聞いてどうにもなるわけでもないけど、おっさんにこれからどうするのかと問うと、夜は寒くなるので、一晩かけて歩いてねぐらに戻るつもりだと言った。


そりゃ、一晩くらいは家に泊めてやって、温かい風呂に入れてあげて、翌朝送り出しても良いのだろうという思いも一瞬頭をよぎった。が、また頼りにされて自分の家の周りをうろつかれても困るし、やっぱり見ず知らずのおっさんを泊める義理はないし、それにはっきり言って家が汚れるのも嫌だ。


ほんの数分前、このおっさんの娘さんを冷たいやつだと思ったのだが、しかし、自分も実はそう変わらないのかもしれないと思った。


「まあ、一服して落ち着いてから出るといいよ。」


ポケットの中の吸いかけのマルボロライト(フィリピンで買ったやつ)のボックスの中に千円札を1枚入れてライター込みでおっさんの膝の上に置いて、その場を立ち去った。


おっさんは無言で頷いていた。


以前何かで、ホームレスとは単に住むべき「ホーム」を失ったばかりではなくて、帰るべきところ、人とのつながりの拠り所である「ホーム」を失った人たちであるという話を聞いたが、本当にその通りだなあと思った(もちろん本人にも責任の一端はあるのだろうが)。


家に帰ってからしばらくして、どうもおっさんのことが気になって、泊めてやる気はどうしても起きなかったけれど、もう少し無駄話に付き合うくらいなら、バチも当たりはしないだろうと、再度その公園に行ってみた。


おっさんの姿はもうなかったけど、そのベンチの下にはマルボロライトの吸い殻が2つ落ちていた。


おっさん、吸い殻捨てるなよ。


やっぱり改心した娘さんがおっさんを迎えに来て、親子水入らずの時間を過ごしているといいなあと思ったけど、そんなことはないだろうなあ、世間はそんなに都合よくできてるわけじゃないだろうなあと思う。


今頃、どっかの道をとぼとぼと歩いているんだろうか?あるいは、マルボロライトの箱の中の千円を握りしめパチスロにでも駆け込んだか?


おっさんが捨てたであろう吸い殻を拾って近くの自動販売機のごみ箱に突っ込んで家に帰った。

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