断捨離が行き過ぎて家まで無くなった話。

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お母さんが言ってたの!
人生をワクワク生きる為には、
荷物を持つ不安よりも大切な
◯◯を持ちなさいって。




はじめまして。一年のほとんどを海外で旅しながら『好きな時に好きな場所で笑って仲間とご飯を食べる生活』を実践している神谷純平といいます。


いまから9年前、わたしはうつ病でベッドから立ち上がることが出来なくなっていた時期があります。


その時、同じアルバイト先のゴンちゃんから、人生を変えるきっかけを貰いました。今日はそんなゴンちゃんのお話をシェアさせていただきます。


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第1話 ゴンちゃんとの出逢い



大学時代、アルバイト先で一緒だったひとつ年上の看護大学生ゴンちゃんの家に遊びに行った時の話です。



スーパーのレジ打ちのアルバイトが終わって

カフェで雑談する二人。



わたし
やっぱり、女の子の部屋に行くのってなんか緊張するよね!
ゴンちゃん
えー、でも私の家何も無いよ(エヘ)
わたし
整理整頓してるってこと?女の子の綺麗な部屋憧れるわー
ゴンちゃん
いや本当に何も無いの^^
わたし
何も無いって言っても女の子だし、毎日可愛い服着てるじゃん!


女の子の部屋に行く


当時20歳だったわたしは、テンションがあがっていました。今思えばこれが青春。

きっと皆さんもこのくらいの年頃は完全にテンションがあがったんじゃないでしょうか。だって、わたしも人の子、男の子。


まさか、この日に私の人生に大きな影響を与える出来事があるとは想いもしていませんでした。


ゴンちゃん
じゃあ、ドア開けるねー
わたし
はーい!(ワクワク)
きっとおしゃれなカーテンで、なんか可愛い小物があって…って?
ゴンちゃん
ね!何もないでしょ^^(ニコ)
わたし
あれ?
そっか!引っ越ししたって言ってたもんね!荷物まだなんだ。段ボールも見当たらないし。
ゴンちゃん
いや、これで全部だよ(ニコ)


ごんちゃんの部屋の中で見当たったのはベッドだけでした。



予想外の出来事にテンパりました。

本当に何も無い部屋を見るのは人生で初めてだったのです。


失礼だと思いながらも、どうしてもしなければいけなかったこと。


それは、


冷蔵庫の確認業務。



当時、スーパーマーケットでアルバイトをしていた私は確認せざるを得ませんでした。冷蔵庫の中にある食べ物の在庫や鮮度を確認するのは私の責任ある仕事です。

※気分を害された全国の女性の皆さま、心よりお詫び申し上げます。



わたし
とても、とても言いずらいんだけど冷蔵庫って見てもいいかな?
ゴンちゃん
別にいいけど^^(ニコ)
わたし
ない。何もない!!!!!!!!!
食材どうするの?
ゴンちゃん
だから何も無いって言ったじゃん



本当に何もないゴンちゃんの部屋に軽く引いたわたし。



でも、それと同時に今までにない興味が湧きました。



わたし
なんで、こんなに物が無いの?
ゴンちゃん
お母さんが言ってたの
わたし
うんうん


ゴンちゃんママ
スーパーやコンビニにあるものは全て自分のものだと思いなさい。
そして、荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい



荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい



そう、ゴンちゃんママの言葉がわたしの人生を変えるとは、この時は想いもしていませんでした。


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第2話 死にかけて○○で食いつないでいた話


”スーパーやコンビニにあるものは全て自分のものだと思いなさい。荷物を持つ不安よりも余裕という心を持ちなさい。”

この言葉によって私の中の小さな歯車が、今まで動いた事のない歯車に重なり合ったように感じた。


//ゴンちゃんの実家//

岐阜県でペンションを家族経営している。お父さんの作るフランス料理が絶品。引きこもりの子がここに泊まって元気になって帰ったという、何か秘めたものをもつペンションと噂されている。



話は、これから2年前。2007年18歳にさかのぼります。

栄養を取るよりも体力の消耗の方が勝っていた私の身体は、衰弱して起き上がる事も出来なくなっていました。


医師
このテストをしていただいてもいいですか?

大学1年生でうつ病と宣告された私は、医者に実家に帰りなさいと言われてたのです。


環境を変えれば上手く行くかもしれない。この大学生活が、私に残された最後のチャンスでした。


身体が衰弱して起き上がれず、奨学金だけでは生活費を賄えず、家族に助けを求めても真剣に話を聞いてくれることはありませんでした。とてもお金にシビアな家庭だったのです。


しかし、アルバイトをするにも身体がついてきません。でも、お金が無いと死んでしまうので働かないといけません。


そんな負のサイクルで私の暗黒の青春時代は始まりました。


どうしたら、朝から晩まで働き続けることが出来る体力がつくのだろうか。

私は社会人になることが出来るのだろうか。


そんなことを毎日真剣に考えていました。



当時のわたしは、これで食いつないでいました。



読者Aさん
これはもしや?
わたし
競艇です。
読者Bさん
いや、むちゃくちゃじゃないですか。同情したわたしの気持ちを返してください。
わたし
すみません。。でもまだ続きが。

むちゃくちゃな話ですが、人間は死の境界を越える一歩手前で、とても冷静になることがあります。 

第六感というものがあるならばおそらくそれでしょう。

当時のわたしの勝率は、100回行って99回勝つというプロギャンブラーに匹敵する勝率でした。

はっきりと今でも言えますが、この競艇が無かったらわたしはここに生きていません。


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