「君のビジョンには魅力がない」と言ってお祈りされた企業に4年越しのリベンジしたお話。

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最終選考は社長面接

4次選考ほどを抜けてようやくたどり着いた最終選考は、志望企業のラスボスである社長との面接だった。

緊張と志望動機が固まっていないことが重なり、前日はまったく眠れなかった。当時のツイートを見ても、夜の2時までつぶやいており、翌朝の6時には起床している。

最終選考の前に人事担当者さんからは、「自分自身が将来的に何をしたいのか、言えるようにしてきてください。そして、そのためになぜ弊社じゃなきゃいけないのか、弊社以外でも達成できないのかを言えるように、準備してきてください。」と言われていた。

結局、具体的な将来の自分を想像できず頭は真っ白だった。


小学生の頃より趣味だった“ホームページ作成”を“Webサイト制作”という仕事にできることを知り、高校卒業と同時にWebデザインを勉強できる専門学校へ入学した。

地元の仙台へ帰るつもりは無いが、故郷に錦を飾るようなことはやりたい…

いつの日か、お世話になった高校の先生と一緒に働きたい…

いろんな思惑がめぐるだけで、熱意を込められる理由と手段が思いつかない。ただ、たまたま採用募集要項のマッチした企業が、間取りフリーク故に知っているサービスを運営していただけの志望動機だった。


「まあ、もうこんなもんだろ!」

そんな投げやりな気持ちのまま、最終面接に挑んだ。社長と1対1の面接だった。


「なんでうちじゃないとだめなの?」

「東京じゃなきゃそれできないことなの?宮城に帰ったら、それはできないものなの?」

「あなたはうちで何してくれるの?」


「いずれは、高校の時にお世話になった恩師と一緒に働きたいなと思っていて…」

「別にちばさんだけを責めるわけじゃなくて、最近よく疑問に思うことなんだけど、尊敬する人が会社辞めたら一緒に辞めるの?極端だけど、その人が目標もやりがいも失って尊敬している状態じゃなくなって、死ぬって言いだしたりしたらどうするの?極端な例だけれども」


質問にタジタジと答えては沈黙し、一言発してはまた悩み、の繰り返しで、いつもの自分じゃないようだった。

面接の途中であるにも関わらず、「あ、これもう落ちたわ」と心のなかで諦めていた。

その諦めた雰囲気も伝わったのだろう、社長に「君のビジョンには魅力がない」と言われた。返す言葉が見つからなかった。


30分程で面接は終了、早々に退出したい気持ちでいっぱい。

つまらない小娘が来て、社長という立場の人の時間を無駄にしてしまった。あぁ、恥ずかしい。早く帰りたい…勝どき駅には二度と来ないだろうな…

帰宅モードに入りかけた瞬間だった、


「まぁ、でもまだ19歳だよね?ビジョンとか言われてもわかんないよねー!ちばさんの場合だと、目標がこれだからーこういうロードマップが引けるとします、例えばね…」


突如、ビジョンとはなんぞや?セミナーが目の前で開始されたのである。

当時500人ほどの社員のトップだった社長、きっと、私が想像できないような偉い人としての仕事がたんまりあるだろう!なのにも関わらず、19歳の何も知らない小娘のために、マンツーマンで1時間30分もの時間を割いて、私の人生に関わることを一緒に考えはじめてくれたのだった。

その講義が嬉しくて、後日送られてきた不採用通知は晴れ晴れとした気持ちで受け取れた。

しかし、「19歳だからできない」という年齢に甘えた言い訳を使ってしまったことが悔しく、それと同時に、とてつもない敗北感を味わったことが心に強く残った。

この時の経験から「どんな人材になりたいか」、「どんな会社で働きたいか」、「その会社に自分が入ることでどんなことができるのか」を考えるようになり、おかげ様で前職のWeb制作・スマートフォンアプリ開発の受託会社にWebディレクターとして入社することができた。


新人は残業するな

社会人1年目が始まった。

先輩ディレクターがメンターとなり、出社初日からクライアントとの打ち合わせに同行させてもらったり、さっそく現場の雰囲気を体験させてくれた。

先輩は毎日「早く帰ろう!その日報書いたら、すぐ帰ろう!」と言い聞かせてくれており、そのおかげで入社すぐから学生時代から継続して参加、登壇していた外部勉強会などにも早上がりして行くことができた。

新人は周りに比べたらパフォーマンスが悪いのだ。そんな新人に残業時間なんて与えてはならない。働くことに対するコスト意識を高められた最初のきっかけだったかもしれない。そして、新人は早く帰られた分勉強をしなければならないこともこの時に学んだ。伸びしろを感じられて、成長が目に見えやすい「新人」と言われる華の時期は、自分の価値を高めやすいチャンスなのだ。


IT、Web系の勉強会では名刺交換の際当たり前のようにTwitterのIDを交換する。

Twitterで同じクラスタの人間と繋がることで、最新ニュースやAPIのアップデート情報をいち早く社内に共有できたり、実対応やお客様への提案に役立てられたりもした。業界トレンドに敏感であり、且つ社内やお客様に還元できることが新卒で雇ってもらった恩を返すことができる、すぐに実践できる機会だった。

自分が名ばかりの“プロジェクトマネージャー”になった時には、Twitterクラスタのジャンルを広げた。そこから得た知見や情報を元に、足を動かして勉強をハシゴし、新たな学びの場を開拓した。

「今、自分がこんな状況で名ばかりPMになったんです」と素直に相談すると、周りの人は「あの人には会っておいたほうがいい」、「あの本この本はよかった、今度読書会あるけど来る?」と言ってとんでもねぇ価値ある情報をこれでもかってほど教えてくれた。

当時の上司に、「専門的な知識を語りたいなら、専門書籍を3冊読んでから語れ」と言われていたこともあり、毎日知らない分野も既知の分野も貪欲に吸収した。


そんな学び続ける日々を過ごせた自分のドリブンは、「明日、自分の知る技術が死ぬかもしれない危機感」だった。

様々な設計思考やエンジニアリングの思想や知識、デザインのトレンドや研究・調査に基づいた新たな表現などが日々アップデートされる日進月歩なこの業界で生き残るには、学びへの貪欲さというのはとても必要なスキルだった。そのスキルをうまく利用するためには、失敗を恐れないチャレンジ精神も不可欠であり、それをいつまでも失わないように不屈の精神を鍛えなければならない。技術以外でも磨くべきことがたくさんありますわ、生きるって大変だなあ。

失敗を重ねて、凹み、転落しそうになっても逃げ出さなかった社会人最初の3年間は私の宝物だ。

転職先として選ぶ3つの条件

在席も4年目となり、恵まれた環境で活躍もできていたが、ついに受託制作ではなく自社事業にコミットしたい欲が勝ってきた。

「今の会社じゃできないことをやりたいと思ったら転職しよう」と考え、これを機会として転職する必要性と正面から向き合い3つの条件を挙げた。

1. 自社で開発、運営しているメディアやポータルサイトを持つところ

2. そのプロダクトのことを私が愛せること

3. 失敗を受け入れられる、チャレンジを推奨する社風であること


検索条件を「Webディレクター 東京都内」として求人を眺めていたときだった、4年前に最終面接で落とされた、株式会社ネクストが候補にあがった。

4年前、会社説明会で聞いた経営理念や社是や自社ポータルのHOME’Sを思い浮かべ、現在の自分のスキルセットが募集要項に見合うか分からなかったが、すぐに応募ボタンを押してエージェントと連絡を取った。


書類選考が通過し、1次面接の日が来た。

事前に、「実際に配属されるHOME'Sのスマートフォン系部署の従業員と面接をします」と聞かされていたため、前職時代に取り組んだスマートフォンアプリ、サイト制作によって身につけたスキルを中心にまとめた。

通された会議室へ入室したのは国際事業部の方2名。部署紹介でHOME'Sを開発、運営する部署ではないことを知り、「遅れてもう1人来るのかな?」と思っていたが、なんと国際事業部配属としての面接となった。

志望動機の話をメインに話したが、美味い酒と美味いらーめんの話がほとんどだったことの方が鮮明に覚えている(笑)この話で盛り上がれる人と働けるのは、とてもよい環境だなあと思えた。「実は4年前に、御社の社長に“君のビジョンには魅力がない”って新卒採用落とされてるんですよ」と言ったときに爆笑されたことも、「あぁ、この人たちと働けたら楽しいんだろうな」と決意を固められた要因のひとつとなった。

なぜ私の配属先として国際事業部が適していると判断されたかは、この時点ではまだ明らかにはなっていなかった。しかし、先述した3つの条件はすべてクリアしていることから、「オフショア開発経験とベトナム赴任の経歴で判断された、か…?」と、それとない心当たりで自分を納得させてそのまま株式会社ネクスト 国際事業部の選考を進めることにした。1次選考通過の便りはその数時間後すぐだった。


「4年間よく頑張りました」

最終面接の日が来た。

エージェントから送付されたメールに煌めく「面接官:社長面接」の文面。

国際事業部の部長が代表の井上さんであることを知り、「あれ、次に偉い人ってもしかして」と予想してはいたが、改めて通知されると緊張が違った。

社長面接前に3人の偉い人と面接した後、人事担当の社員さんが現れてそのまま待つように案内され、ついに井上社長が現れた。

その瞬間に緊張は吹っ飛び、むしろ「4年前の自分とは違うところを見せたるぞ!」な燃える闘魂が気持ちの大部分を占めていた。

私は、4年間どのような気持ちでどんなことに取り組んでいたか、なにが楽しかったか、なにを楽しめるのか、将来何をしたいのか、その実現のために何をしたいのか、どんなマインドで挑む気なのかを有限の時間を気にしながら言い残しの無いように話した。

オフショア時代のあるある話に華を咲かせ、英語は日常会話レベルもそこそこであること、国際事業部でもそれがゆるされるのかということ、同時翻訳はまだですかねということ、など他愛のない話題で話をした後に井上社長が切り出した。


「それで、千葉さんの将来のビジョンを聞かせてよ。」


きた、きた!ついに、きた!と思った。

自分が3人姉弟でとても楽しく過ごせていたので、自分も3人子どもを産みたいと思っていること、そんな3人の子どもに「うちの母ちゃんまぢすげえ」と思われ続けることが目標であること、そのために、自分が「これ、私ができたらかっこいいよな」と思えることに挑戦し続けたいことをすべて話した。

自分の学びへの貪欲を保てるドリブンの話も含め、なぜこの会社でなければならないのか、をほんとに、ほんとにぜーんぶ話した。

それを聞いた井上社長から発せられた言葉は、「んー、まだまだ詰め切れていないことがあるかな」だった(笑)

しかしその後に続き、


「素敵なビジョンだとは思うよ、まだ詰め切れていないけどね(笑)

4年前、千葉さんを落としてしまったことはビジョンに魅力が感じられなかったこと以外も関係していていてね、正直言うと、千葉さんが何かを継続して努力できる、挑戦できる姿が想像つきませんでした。

でも、この面接が決まった時に改めてブログや勉強会のスライドを見させてもらって、その不安は払拭されました。」


驚くことに、忙しいであろう人が、ずっと見返してやると思っていた人が、ブログに書き留めていた活動経歴STORYS.JPに掲載した記事などを読んでくれていたのだ。

4年前は頭真っ白で伝えきれていなかったことが、ちゃんと対象者に届けることができていた。めちゃくちゃ嬉しい!そんな井上社長に、読んでくださったんですね、嬉しいです!を伝えたところ、


「そりゃ一緒に働く人のことですからね。4年間よく頑張りました、内定です、おめでとう!」


とお祝いの言葉をもらい、そのままテーブル越しに握手をした。

4年越しのリベンジは、綺麗なストーリーを作りながら最高の形で果たされたのだった。


「諦めずに頑張ったこと」なんて言わないからな!

株式会社ネクストに入社して気づけば1年ちょっとが経過していた。私の就活失敗談は、教科書に載せられるぐらいのとても綺麗な形で完結してしまった。

受け売りだが、失敗や挫折の経験は成功したときに美談になる。このストーリーを話せることは私の武器となり、自信となり、誰かの奮起のきっかけとなった。この時の感動や得た恩恵を忘れないようにしなければ…!


この経験で言いたいことは、「諦めずに頑張ったことが内定に繋がった」ではない。(粘り強さって必要だと思うけど、戦略無くしてこの言葉を使うのは、いかんねぇ。)

1. 自分の頑張ったことは謙遜せずにバンバン創作物(作品や文書)としてアウトプットしろ

2. 頑張ってないフリとか全く得しないから止めよう(ってかカッコ悪くない?)

ってことだけ。


最後に、なぜ私の配属先として国際事業部が適していると判断されたかについては、入社したときに話を聞かせてもらった。

当時、私が応募したときには希望部署の募集はちょうど締めきってしまっていたのだ。しかし、どうにもエントリーシートが引っかかったとのことから「この人落としちゃダメな気がする…、それにもっと自由に振る舞いやすそうな部署に行った方がいい気がする…」と判断され、国際事業部にエントリーシートが託されたという。

そんな会社中の皆様の図らいのおかげで、かつての海外赴任経験で味わった海外と関わる仕事の旨味を再び味わうことができたのだ!ありがたい!


入社したときに、上司から「千葉ちゃんは入るべくして入った人だと思ってる」と言ってもらえたことを誇りに思っており、だらしない自分に喝を入れるとき、この言葉を繰り返して言い聞かせた。人に期待されることと、酒と女とらーめんが千葉 礼美の動力の源となるのだ、失望させてはならないのだ。


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最近、自身の後輩にあたる方たちと話す機会が増えました。これから就活を始める人含め、現在就活中の人が頑張るぞぃ!って思ってもらえたらいいな、を込めてこのストーリーを書きました。

現在、私は前述したような「すげぇ母ちゃんになる」目標実現の一環として、クライアントワークに取り組む様々な業界のプレイヤーの環境を改善し、ものづくりの価値を高める世の中の実現をビジョンに掲げ、キャリアパスを練り直しています。

私はアニメも漫画もゲームもWebも大好きです。これまで、そんなコンテンツたちは私を幸せにしてくれてきました。そんなコンテンツ業界が環境や賃金に恵まれていないのは、やはりおかしいと思うんです。

このキャリアビジョンの実現をできる日を目指して、引き続き酒と女とらーめんを原動力に邁進していきます!

最後までお読みいただきありがとうございました。


【追記:2016/01/05】「お祈りされた」というのは起業から届く不採用通知のことです。「今後の○○さんのますますのご活躍を心よりお祈りしております」等の文章で結ばれることが多いことから、通称「お祈りメール」と言われています。皆さんコメントありがとうございます!

読んでよかった
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ぐっときた

すっきりする、とてもいい話。教訓もすごくいい。
> 1. 自分の頑張ったことは謙遜せずにバンバン創作物(作品や文書)としてアウトプットしろ
> 2. 頑張ってないフリとか全く得しないから止めよう(ってかカッコ悪くない?)
「すげえ母ちゃんになる」という目標も、共感できるし、応援したい。
そんな目標を持っている人なら、育児休暇とか絶対にマイナスにならない。むしろプラスだし、会社的にも日本経済にも無くてはならない人材だと思う。

読後、爽快でした。
とても面白かったです!

ちゃんとした話になっていておもしろかったし、努力したことが感じられた。お祈りされた企業って「お断り」された企業のことかな?

めっちゃいい話。大切なことがぶれてない。

1. 自分の頑張ったことは謙遜せずにバンバン創作物(作品や文書)としてアウトプットしろ
この言葉に勇気をもらえました。

千葉 礼美

宮城県出身。東京都でダーリンと同棲中。Web系事業会社の国際事業部の人。人に喜んでもらうことが設計信念。座右の銘は「酒と女とらーめん」。

千葉 礼美さんが次に書こうと思っていること

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千葉 礼美

宮城県出身。東京都でダーリンと同棲中。Web系事業会社の国際事業部の人。人に喜んでもらうことが設計信念。座右の銘は「酒と女とらーめん」。

千葉 礼美

宮城県出身。東京都でダーリンと同棲中。Web系事業会社の国際事業部の人。人に喜んでもらうことが設計信念。座右の銘は「酒と女とらーめん」。

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