赤点の半分は青点といって、青点で4冠王を達成していた高校生の頃の話-僕の高校時代0-

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定期試験の平均点の半分を赤点という。赤点の半分、平均点の4分の一以下をなんというか知っているだろうか。

それを青点という。

16歳、夏休みが始まる前に英語A、英語B,数学Ⅰ、数学Ⅱの4科目で僕はそれらすべてが青点だった(しかも数学ⅠかⅡはカンニングした)。担任の先生からは「4冠王」というありがたい称号をいただいた。その称号を聞いて高校時代を通してほぼ唯一の友達と言えたドスコイ(つまり彼は太っていた)は勝ち誇ったかような仄暗い笑みを僕に投げかけた。

おまえだって3冠王じゃねかよ、くそう。

学期末の3者面談の時、母親の前で担任のキンちゃんにこう言われた。

「勉強がんばってってくださいね。」

自分のことながら当たり前すぎて、笑ってしまった。もうちょっとパンチの効いたこと言ってくれよ。帰りの車の中で母親に恥ずかしいから、せめて赤点にしてくれと言われた。

3人兄弟の末っ子である僕は、特に出来が悪く上の2人が進学した地元の進学校に入ることができなくて、隣町のこのまあまあな高校に入った。当時としては校則もそれほど厳しくなく、牧歌的なのんびりした学校だった。

入学時にドスコイと一緒に入った剣道部もやめてしまって、2年生の1学期はほぼ何をするでもなく過ごした。良いことも悪いことせず、もちろん勉強もせず、弁当だけを持って通学した(教科書はすべて学校の机の中。しかし、生物の教科書は先生が嫌いで5月くらいに捨てた。)。でも、ある日、弁当を持っていくことも面倒になって、お母さんに頼んで昼食を買い食いに変更してもらって、手ぶらで学校に行くようにした。

そのうちに学校に行くことも面倒になって、週1日くらいは、学校に行くふりをして近くの河川敷で一日中、横山光輝の三国志全60巻を読んだ。登場人物が多すぎてかつ、キャラクターの顔がみんな同じなので、1回読んだだけではストーリーが頭に入らず、5回くらい読んだ。

だから、高校時代のことはこの高2時代を中心にほぼ三国志のストーリー以外の記憶がない。

朝、学校に行って、授業が始まると世界史以外は先生が何を言ってるか全くわからない。数学と英語に至っては授業の内容を教科書で追うことすら不可能だった。

勉強ができないなら、スポーツができたかというとまったくこちらもダメで、スポーツができない男子高校生というものは全く校内において存在価値がなくて、もういてもいなくてもだれも気にも留めないという感じだった(だからあのトレンチコート・マフィアの事件を起こした高校生の気持ちが少しはわかる)。

朝来て、3時間机に座って、昼は近所の王将でラーメン食べて、4時間目が英語か数学ならそのままドスコイと隣の運動公園で三国志の話をして、それが盛り上がればそのままドスコイの家に行って、PC9801の「三国志Ⅱ」で中原の統一に励んだ。

それ以外の日は、授業が終わって3時半には学校を出て4時には家で「アルプスの少女ハイジ」の再放送を欠かさず見ていた。まあ、ときどきはあまり仲良くのない友だちとパチンコ行ったり、ちょこっと悪ぶってみたりもしたが、実はそれもつまらなかった。悪さなら一足先にグレた兄がさんざんやってたので、もう疑似体験してしまった。

それよりもハイジの生放送。

何となく友だちに誘われてビートルズのコピーバンド(地味にベース)を組み、秋の文化祭に出ることが決まって、「ツイスト・アンド・シャウト」とか「プリーズ・プリーズ・ミー」なんかのスコア譜で練習なんかもしたけど、親指の皮が一枚めくれた段階で飽きてしまった。

だから夏休みに入って何をしていたかも覚えていない。

覚えているのは、姉の通学定期を使って、電車に乗っていたことが駅員にばれ、学校に連絡が入り1週間の謹慎になったことぐらいだ。定期の日付の下に赤線が引いてあって、それは女子用でそんなことを知らなかったので、検札のときにあえなく御用になったというわけだ。

謹慎になったということで、秋の文化祭のバント出演も不許可になって、バンドのメンバーは悔しがったが、全然練習をしてなかった僕はむしろベースから解放されてホッとした。

かわりに僕はこの学校の「謹慎・停学クラブ」のメンバーになり、同じような経験をした男子学生が集う野球部の部室の隣の部屋(喫煙とマージャン、エロ本の殿堂)への出入りが許されることになった。

バイク、ケンカ、飲酒や喫煙、はたまた不純異性交遊とかある意味「カッコイイ」罪状と比べ、僕の罪状は「通学定期不正使用」という何ともケチ臭い前科で「謹慎・停学クラブ」の中では全く恰好がつかず、ケンカなどの前科を持つ先輩には全く頭が上がらくて、この部室に通うのものすぐにやめてしまった。

あいかわらず、王将とドスコイと三国志Ⅱな高校生活を送った。

この話にはオチも教訓もない。

ただ、フィリピンの高校にいたときにも一日中何をするでもなくぼーっとしてる男子生徒なんかがいて、他の先生は「何をしたいのか、考えているかわからない。」とぼやいていたけど、僕にはちょっとだけそういうやつらの気持ちがわかるような気がしていた。

ややこしい話ではない、本当に何も考えてないだけだ。たぶん悩みすらない。

僕個人の経験で言えば、思春期というのは多感な時期ではなくて、おそろしく空っぽな時期だったということ。ただ、からっぽであるということも実は悪くなかったなと思っている。からっぽということは、それだけ何かが入る余地があるという風にも無理やり理解してみる。

でも、いまだに僕はからっぽではあるけれども、それでもある時期自分が徹底してからっぽであった経験は、何かを見て、感じて、考えるための助走期間だったような気もする。何も考えない、感じない、でも決めつけない。経験に対する解釈ができないから。

自分は人の間を漂う空気のようでいて、まあでも自分と世界との間に何かしらの直接的な接点を持ち始めるのだが、それが何かはわからない。簡単に決めつけて、それで終わるよりも、何もわからず、何もできない時期があって、それをそのままにしていても、それもあながち無駄ではなかったかなと思う。

こんなことうまく言語化できないけれども。

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