ユマニチュードで新たな生を見出したい

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「ユマニチュード」というフランス発祥の介護技術のことについて調べる機会がありました。

自分の祖母は、自分が生まれるずっと前に、若年性アルツハイマーで亡くなっています。それを苦に、伯父も26歳くらいで自殺したようです、というのも私が生まれるずっと前の話です。


ユマニチュードの哲学

このユマニチュードは「人とは何か」という哲学が根底にあって、「ケアされる人」でも「ケアする人」でもなく、「ケアする人とケアされる人との良い関係を如何にして築くか」というところに着眼点があります。


たとえ介護する人のことを認識できない人であっても、「人として尊重」して、「できることは自分でしてもら」いつつ、助けるべき所は助ける、そこから発展して「食事の時に相手を見る技術」など個別具体的な150以上の技術で構成されています。


このユマニチュードですが、最初に私が思ったのは「社員研修」や「学校教育」「子育て」などへの応用でした。


ネット依存にユマニチュードは有効か?

もう一度立ち戻って、ユマニチュードが中心とするのは、「ケアされる人」でも「ケアする人」でも「病気」でもなく、「ケアする人とケアされる人との良い関係を如何にして築くか」という「絆=他者との関係性」です。そして、社会性を失ってしまった人に対して新たな誕生をもたらすことを目的としています。


この他者との良好な関係性こそが、人間としての尊厳を支えるものだとすれば(ユマニチュードにおける定義)、インターネット依存症(SNS依存症)は、この関係性を過剰に追い続けた結果の病気(=自分という人間の存在を確かめたい欲望が過剰になった結果)ということになります。


では、良好な関係の再構築を図るユマニチュードは、このインターネット依存症などにも応用が利くのではないか、私はそう考えています。


ユマニチュードにおける4本の柱は、「見る」「話す」「触れる」「立つ」です。つまり、リアルが想定されています。「見る」こともなく「婦人科に来られても困る」と目をそらすお医者さんがいるのは、患者が多すぎるからかもしれません。けれどもこれをクリアできたら、Google GlassなどのICT技術も加えてアナログとデジタルと両方からインターネット依存症の人にもアプローチできるのではないかと考えます。


ふるさとの都会から離島に移住して

というのも、お店も信号も警察も医者もない離島に住んでいて、周りはお年寄りしかいないし、話し相手は夫だけ、日用品や食糧の買い物もほとんど行かれない状況に長くあった末に、うつを煩い、インターネット依存症に近い状態になっている自分を顧みてそんなことを考えたのでした。


「都会=働く場所 vs 田舎=癒やしの場所」というのは、地方から出てきた人の勝手な妄想です。私のふるさと横浜は、日産の業績悪化とともにベッドタウンと変貌し、地方からの流入者によって多くの素敵な部分を失ったと思います。田舎と同じような、下町の人間関係は失われつつあります。


人間は、やっぱりリアルに近い状態で他者とつながっていなければ不安になると思うんです。


高校を卒業と同時に、不便な場所に引っ越しました。そのとき私は浪人という身分でした。学校にも行かず、予備校にも行かず、地元の友達もいなくて知り合いもいなくて見ず知らずの不便な住宅街で浪人生活。不便だから、帰りの坂道を考えたら、どこにも行きたくなくなって引きこもり、どんどん壊れていく自分を感じました。でも、何もしなかった。


やっぱり、人間って人とつながってないとダメなんだろうなと今痛烈に感じています。今は、もがけばもがくほど苦しくなる自分を感じます。そう、ここに書いたのも、無駄なもがきの一貫です。多分あとから猛烈に後悔します。知ってます。

自分が体験してみないと分からない自分は、想像力に乏しいと思います。


主体的な選択こそが人間のアイデンティティ

ユマニチュードでは、「無理強いしない」というのが原則にあるんです。要するに「嫌がっている人を無理矢理お風呂に入れない」とか、そういう感じの介護でのことですが。


それは「意思を尊重する」ことと同義で、私の座右の銘たる

It is our choices, Harrry, that show what we truly are, far more than our abilities.

ハリポタの一説、「為人(ひととなり=自分がどんな人間か)というのは、能力なんかじゃなくて「何を選ぶか」なんだよ、ハリー」と全く同じことで。

ユマニチュードのキモである「絆」が、ハリポタではLoveと言われていただけであって。

まだ考えがまとまりませんが。そんなこと考えてます。


手術後、いろいろと悪化中

仕事を減らしたことによって、経済的・精神的にはよりいっそう苦しくなり、体力も戻らずに焦りばかりが募ります。

ユマニチュードを今最も欲しているのは自分なのかもしれません。

ロビンソン・クルーソーが社会性を取り戻して新たな誕生を得たように、

自分はアナログの死か、あるいはデジタル死によって新たな生を見出したいのかもしれません。


※これは、自分のサイトの記事に少し加筆修正を加えたものです。

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内藤 涼子

横浜生まれ横浜育ち、限界集落の離島に15年、自腹で光ファイバー引きました。 爾後、地元に戻って今は鎌倉の山奥に住んでいます。 意外に打たれ弱いガラスの心臓です。 取り扱いにご注意下さいm(_ _)m http://www.web-naito.net/

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