クズ大学生が大阪ミナミで1000万稼ぎ、学生起業家へ。

2010年、僕は関西の某私立大学に入学しました。


大学に入学した当初は、本当に”THE大学生”でした。

普通に時間の切り売りのアルバイトをして、

少ない給料でサークルの飲み会や合コンに参加したり、彼女とデートしたり、、


心の底では、「ビッグになる」「社長になって糞金持ちになる」などと漠然と思っておりました。笑

しかし、実際には月に5~6万円の給料をもらうだけのアルバイト、、

こんなことをしてていいのか?

本当に自分はビッグになれるのか?

葛藤もたくさんありましたが、いつもポジティブにフェードアウトして、今じゃないと言い聞かせていました。

この先何の気なしに生きてたら、チャンスの女神が舞い降りてきて、自分に微笑んでくれんのちゃうかな?

なんてこと本気で思ってました!笑


そんな甘っちょろい自分から脱却したものの、

人生の意味をはき違い暗黒時代に突入し、、笑

現在の学生ベンチャーの代表を務めるに至るまでに、

僕が大学生活5年間で経験した数奇な人生を辿ってみたいと思います。





ホテルの配膳人のアルバイト


大学に入る少し前から始めた、僕の人生初のアルバイトです。

このアルバイトで僕が得たものは一つだけ。


人の幸せそうな顔を見ることで、

例えそれが他人であれ、

自分も嬉しくなるということでした。


得たものがたった一つだけだった理由。

それは始めたキッカケです、、

単に高時給だったからです。笑


人と話すのは得意だったので、

すぐに慣れましたが、

南港まで行く交通費が出ないので、

結果としてあまり稼げませんでした。


この時からとりあえず始めてみよう精神は培われていたかもしれません。


よく後輩(年齢は当時18歳の僕の4つほど上)にミスをなすりつけてましたね。笑


そして特にやる気もなく、

新しいアルバイトを探すのも面倒で

ただダラダラとシフトをこなしていたある日、、

その日は訪れました。


チーフと呼ばれる方(アルバイトを束ねてイキっているバイトリーダー的なおばちゃん)に呼び出しを喰らいました。


何かな〜と思いそこへ行くと、、


人間こんな顔することあるんや〜

幸せのお手伝いをする仕事のチーフがこんな顔していいのか?


と思うような鬼の形相をしたチーフが、、



パーーン!!!!





そうです。

ビンタです。

小2の担任以来のビンタです。

やる気はないけど、要領良く誤魔化してた僕をチーフだけは見透かしていたようですね。

まぁその日のうちに

事務所に行って辞めました。


これが僕のほろ苦いアルバイトデビュー戦でした。


次の日から飲み会のために、

アルバイトを探しまくりました。




焼鳥屋のアルバイト


ビンタを食らい、必死で見つけた次のアルバイトが焼鳥屋でした。

ここの焼鳥屋は焼鳥好きが高じて、脱サラした店長が1から立ち上げた個人経営の店でした。

もちろん、そんなことは露知らず、、


通学圏内、割と高時給、交通費支給、

この3点のみで応募しました。


しかし、この焼鳥屋で僕の人生は少しずつ変わっていきます。

今の自分を構成する1つの要因となったといっても過言ではないです。

このアルバイトで僕が得たものは大きいです。


・熱意は伝わるということ。

・一貫性が大切であること。

・感謝の気持ちを持ち続けること。


初めは、こんな気持ちなかったですし、

もちろんこの店のために!的な思いも一切なかったです。

面接も遅刻していきました。


面接に行くとすでに1名が面接をしていました。

その隣に座り、僕の面接もスタートしました。


将来の夢や目標、こんなことアルバイトに関係ないやろ、という内容ばかり聞かれ続け

気づけば2時間経ってました。

後にも先にもこんなに長い時間面接したのはこの店だけです。

知らず知らずに僕も熱くなり夢を語っていました。

隣の気持ち悪いやつに負けたくないという思いもありましたが。笑


そしてその場で2人とも採用。

隣のイキリは「今日から入れるっす!」と意気揚々と着替えを取りに帰りました。

僕は、次の日から出勤することになりました。


次の日出勤すると開口一番、店長に「昨日のやつ飛んだわ。」と言われました。

意気揚々と出勤したものの、あまりのしんどさにすぐに辞めたとか。

必然的に僕は辞め辛い状況になりました。


そして焼鳥屋のアルバイト生活がスタートするのですが、

この店にはいくつかのルールがありました。


① 出勤するときに「ただいま」という。

② その日の目標を紙に書き店長にコミットする。

③ 店長と握手してから業務開始。

④ 最後に店長との交換日記という名の日報を書いて退勤。


ただのアルバイトにここまでのタスクを課し、

アルバイト以上の関係を築こうとしてくれている。

ここまで帰属意識を高めようとしている店長の熱い思いに徐々に刺激を受けていく自分がいました。


仕事も覚え段々働くことが楽しくなる半面、

僕のクズの一面が姿を見せ始めました。


店長は焼鳥が好きすぎて焼鳥しか焼きません。(←職人。ほんまにおいしい。)

営業時間には僕たちアルバイトに目を向けず、焼鳥ばかり。

そのほかの料理、ドリンクは僕が作り、ホール業務、レジもしていました。

鶏修行として店長が1週間大分に行き、シフトに入れないことも、、

店長と喧嘩することも多々ありました。


しかし、店長の焼く焼鳥は本当においしく、今でもここの肝しか食べられないです。笑

東京や名古屋からわざわざ食べにくる方がおられるくらいでした。

実際にこの後、小銭を稼ぎ沢山のおいしい焼鳥を食べましたが、

今でもこの店がダントツの1位です。

(この年になると、客として行きたいものですね。)


ただ、こだわりが強すぎて、赤字商品も少なくなかったです。


生意気にも僕は、

店長は「焼鳥職人」としては超一流だが、「経営者」としては三流だなとか思っていました。


当時アルバイトは金を稼ぐものとしか思っていなかった僕は次第に

あれ?

給料安くないか?

と思うようになってしまいました。


そんなある日でした。

先輩が店を辞めると言い出しました。

ミナミで居酒屋のキャッチをすると。

それも完全歩合でかなり稼げると。


「完全歩合。」

「フルコミッション。」


その言葉を聞いた瞬間、僕の脳ミソはスパークしました。



これしかないと。

しかもこの先輩が稼げるなら、自分も絶対に稼げると確信していました。


次の日、

店長の2店舗目を出そうという目標もフル無視して、

留学に行くと嘘をつき辞めました。


今思うと、せめて本当のことを伝えて辞めればよかったと思います。


この店で店長が教えてくれたことがどれだけ大切だったか、

年を取るにつれて、身に染みて感じるようになりました。


辞めて4年が経った今でも店長の教えや考えを振り返る理由なのですが、、


実は、店長は開店してから今まで約5~6年間、毎日ブログを書いています。

僕は、何かに負けそうになったり、悔しい思いをしたときは、このブログを今でも見ています。

いつも勇気と元気をもらっています。

人の上に立つ立場になった今、店長の偉大さに気づかされます。


それから、、

余談ですが、この間ふと、この店の近所を営業で回っていると、、


なんと!!!

2店舗目ができていました。


しっかりとコミットしたことを達成している。

実は、涙が出るくらい嬉しかったです。

店ちょ!おめでとうございます!!




そして僕は、人生の暗黒時代へと突入していくのでした。




居酒屋のキャッチ




キャッチ生活の記事はかなり長くなるので、番外編なども含めつつ、分けて書いていきます。

ここではまず、最初の店のこと、キャッチの会社に入る前のことを書いていきます。


焼鳥屋を辞め、キャッチのアルバイトを探しました。

大阪ミナミの居酒屋の求人媒体に「ビラ配り」の文字が。

速攻で電話して、速攻で面接して、10分くらいで採用されて、

次の日から出勤することになりました。


その店は、近年よくあるキャッチ専門の店ではなく、

個人でやっているお店で、リピーターや一見さん、予約で人気の店でした。


そこの店では、「時給+ポイント給」と「完全歩合」の二つの給与体系がありました。

僕は新人でしたが、ノータイムで後者をチョイスしました。


不安1%、期待と自信99%でした。


このアルバイトを始めたときにもそうだったし、今でも意識していることがあります。


それは、何かを始めるときは、プライドを捨てることです。

プライドを捨て、とにかく下手に出て媚びる。


もちろん先輩も、他会社の人も完全歩合、、

いわば僕はライオンの群れに飛び込んだ猫です。笑


媚びて媚びて、したたかにお客様を捕まえる。

そうして先輩に取り入り、いろいろ教えてもらったり、自分が働きやすい環境を作ることから始めました。


その結果、出勤初日で7万円売り上げました。

日当にして1万円ちょい、時給換算すると2500円。

初日にしては自分の中では満足いく結果でした。

平日の雨ということもあったのと、他にもこいつには絶対に負けへんやろ!というような先輩もいたので、もっといけるという感覚がありました。


そうして、僕の学生生活の9割を占めるといっても過言ではないキャッチ生活が始まりました。

これが僕の人生をいい意味でも悪い意味でも狂わすことになるとは、その時は微塵も思っていなかったです。


キャッチを始めたときは、とてもピュアな気持ちでやっていたのもあります

なぜなら、キャッチを始めたのが1回生の秋、その冬にはバルセロナでサッカーを見るためにヨーロッパへ旅をすることと、2回生の夏にバイクで日本一周することが決まっていて、旅費とバイクを買い替えるお金が必要だったからです。


そのために40連勤したこともありました。

よく学校で「4連勤まじ鬼~」みたいなこと言ってる子を見ては、どついたろかなと思っていました。笑

でも全然苦じゃなかったですし、むしろ楽しかったです。

毎日、自分の数字だけではなく、店舗の売り上げを考えたり、

自分でオリジナルの名刺を作っては、常連や金持ちに配りまくっていました。



段々と周りの会社の人からも一目置かれるようになり、売り上げも気づけばその店の先輩だけでなく、そのあたりのキャッチよりもあげていました。

ただ、絶対にこの人たちには勝てないという化け物が2名いました。笑


そのうちの一人で一番よくしてくれていた先輩から、キャッチの会社でやってみーへんか?というありがたいヘッドハンティングを受けるようになりました。

しかしキャッチの会社に行って金に埋もれたくない気持ちや、その店ではかなり自由を与えてもらっていたので、キャッチの会社に行こうとは思わなかったです。

もっと好条件を提示してくるまで待ってみようという気持ちもありました。


そうこうしながら、毎日大阪ミナミでキャッチをしていると、給料が膨れ上がり、気づけば焼鳥屋のときの10倍くらい貰うようになっていました。


クソガキが学生にしてはかなりの大金を手にしたことで、微妙に人生の歯車が狂い始めるのでした。


そして、お金を貯めて僕は、ヨーロッパへと旅立つのでした。




ヨーロッパ・バックパッカー ~スペイン・オランダ~




今回は、番外編の第一弾として19歳の冬に行った、ヨーロッパの旅について書いていきます。


この旅に行こうと思った理由はひとつ。

FCバルセロナの本拠地、カンプノウで試合を見たかったからです。

僕は中学生の頃から、リオネル・メッシの大ファンでした。

人生で一度はこの目でメッシを見てみたいという思いがありましたが、こんなに早く叶えられるとは思わなかったです。


キャッチで金を稼いだ結果です。

キャッチ万々歳です。笑


まずは、試合の日程をチェックして、VSアトレチコマドリーの試合のチケットを取りました。

当時のアトレチコには、アグエロや、フォルランといったスター選手がいたので、バルサも温存したりしないだろうということです。


そして、航空券のみ購入し、いざヨーロッパへ。


スペインへの旅の前後にオランダも行くというスケジュールでした。

オランダといえば、、


そうです。

「フリードラッグ・フリーセックス」の国です。笑


到着してまずは、ホテル探しです。

これが意外と苦労しました。

何せ初めてのバックパッカーだったので、格安ホテルを探すノウハウもなければ、流暢な英語も話せませんでした。


なんとかホテルを見つけて、身振り手振りで値段交渉をして、格安ホテルを見つけました。

そして、夜のアムステルダムへ繰り出しました。


まずは、一服しようとカフェに入りコーヒーを頼むと、、


Aセット→コーヒー+マ○ファナ

Bセット→コーヒー+サンドイッチ


という具合でした。

さすがオランダっす!笑


オランダの夜を存分に楽しみ、次の日いよいよスペインに向けて旅立ちました。

到着してまたホテル探し。


そしてその夜にはカンプノウで試合だったので、急いでホテルを探しましたが、これまたなかなか安いところが見つからず、、

時間も迫っていたので妥協して高めのホテルへ。


でもキャッチで稼いでいたので、平気でした。

キャッチ万々歳です。笑


そして、待ちに待ったカンプノウへ。

入った瞬間の感動は今でも忘れられません。





全員でイムノを歌い、メッシコールをして、ハイネケンで乾杯。

最高でした。


ちなみにですが、この年バルサは史上初の6冠を成し遂げ、バロンドールの最終候補がメッシ、イニエスタ、チャビだった年です。間違いなく全盛期でした。





結果的にこの試合でメッシはハットトリックを決めました。

感動と興奮の嵐でした。


もう一度必ず行きます。

次はエル・クラシコを観たいですね。


スペインのバルセロナでは、バルサの試合のある土日は地下鉄が24時間営業です。


ですが、みんな大通りを酒を飲みながら行進していくので(自分も酔ってたので)、とりあえずついていきました。


それがミスでした。


そうです。

道に迷いました。

ホテルの場所も覚えてなくて、死にそうでした。笑


夜中になんとかホテルに辿り着きました。


次の日からは、サクラダファミリアに行ったが入らなかったり、闘牛場にいったけど開いてなかったり、フラメンコやってそうなお店で食事したり、糞カワイイ子がいるバーに通いつめて青春したり、地中海で海には入らずビーチでのんびりしたり、タトゥーショップにいったり、殺されそうになったり、バルセロナのカタルーニャ地方でアンダーグランドを感じたりしていました。


カタルーニャは駅前の広場より上が観光地で、下がスラムみたいな感じでした。スラムを抜けると地中海。格安ホテルはスラムにしかないので、毎日スラムにいました。地元のヤンキーと仲良くなったりして、最高に自由で楽しかったです。


ただ、連日泊まっていたホテルのエレベーターは渋かったです。

こっち系です。

ハリーポッターに出てきそうなやつです。





そうして、スペインを後にし、もう一度オランダに寄り、

レッドストリートで世界中の男とアホみたいなスケベ面で共感しあい、日本に帰国しました。


この旅では、

物乞いや乞食、貧富の差、日本の豊かさなどを肌で感じ、

僕の五感はMAXに刺激されました。

海外の恐ろしさ、魅力、不思議、景色に魅了され、この後の学生生活を非常に豊かにしてくれました。


と同時に、金を稼げばこんなにも楽しいことができることの魅力にも気づいてしまいました。

もうそうなれば、「キャッチのうまみが留まることを知らない」といった感じでした。笑


そうして、人生初のバックパックの旅を終え、夏のバイク日本一周へ向けて動き出すのでした。

この出来事が、人生のターニングポイントになっていくのでした。



バイク日本一周




今回は、番外編・第二弾として2回生の夏のバイク日本一周について書いていきます。

この出来事で、僕の人生は大きく変わります。


1回生の秋に、地元のツレ2人と共に、「ビッグなことしたいな~」と話し合い、

「よし、バイクで日本一周行こう」と決意しました。


北は北海道、南は沖縄まで、2か月かけて全47都道府県を回ることを決めて、早速行動に移しました。


まずは、バイクの買い替えです。

250ccのビラーゴというアメリカンに乗っていたのですが、400ccのスティードに乗り換えることに決めました。

とりあえず目立ちたいということで赤色のボディにシートが迷彩柄というイキりまくっているバイクでした。笑





次にバイク旅をしている人のブログや記事を読みまくって、必要なもの、旅費を計算しそれに向けて、金を貯め始めました。

一丁前に、週1でMTをし、毎回500円貯金をしていました。

毎MTで、大阪からのルートを話し合い、ツーリングマップに書き込む。この繰り返し。

ルートが進むにつれてワクワクが膨れ上がっていきました。


そんなときでした。

2011年3月11日。東日本大震災が起こりました。

東北へのルートが遮断されました。


しかし僕たちは、下道を使って、被災地に赴くことを決めました。

クズなことしかしていなかったので、たまにはボランティアみたいなこともしようということでした。


そうして月日は流れ、出発まで2か月になったところでようやく全員のバイクがそろいました。

予行として、四国や琵琶湖へのツーリングをしたりして、テンションは最高潮になっていました。


防水のナビや、ETC、トランシーバー的なやつも購入し、金も貯めました。

あとは行くだけ!!!



入念な打ち合わせの元、ルートも決まり、旅立ちの日まで1週間に迫ったある日でした。

一緒に行くツレの1人で、地元で一番のクズから電話が来ました。


クズ「ごめん、日本一周行かれへんくなった。」


僕「え?!なんでなん?今どこおんねん?」


クズ「病院。」


僕「事故ったんか?」(いや、事故ってたら電話できへんか)

僕「バイク壊れたんか?」


クズ「いや、俺はかすり傷やし、バイクも無傷。」


僕「じゃあなんやねん?」


クズ「実は俺、免停くらってて、免停中に事故ってもうてん。」


僕「・・・。」


そうです。この場合99%免許取り消し。

僕らの中では3人で行かないと意味がないと思ってたので、こいつのせいで日本一周は中止になりました。


準備期間10か月。

使ったお金70万以上(バイク代含めて)。

貯めたお金50万。

旅立つ1週間前。


やってくれました。

今やから、笑えるんですが、その当時は本当に怒りと落胆と絶望でした。


ここまで読んでいただいた読者の方にも申し訳ないです。笑



ただこの出来事で僕の人生は暗黒時代に突入するので、引き続き読んでくださいね!


未練も残したくなかったので、バイクや備品はすべて売りました。

売りに行ったときにバイク屋の店主に、


「もしかしたら、行ってたら事故って死んでたかもしらへんし、まだ若いねんからこの先でも行けるやろ。」


と言われ、少し救われた気になりました。


そうして、心にポッカリ穴があいた僕に残されたものは、


2か月の休暇と80万ほどの金のみでした。



この2か月で僕の人生は狂い始めます。

暗黒時代に突入したのも、現在の学生ベンチャー代表をしているのも、この地元のクズのおかげです。笑


2か月の休暇




この2か月の中で僕が得たものは大きいです。それは、、


お金の大切さと怖さ。

人の欲深さ。


です。

2か月遊びまわる中でたくさんの人と出会い、たくさんの考えを知りました。


この時に感じたことや、なりたい将来像が今でも自分を構成する大部分を占めていることを考えると、この2か月はとてつもなく濃かったなと思います。


バイク日本一周が失敗に終わり、心にポッカリあいた穴を埋めるように僕は遊びまくりました。


毎日、大阪ミナミや北新地に繰り出し、金をばらまくように使っていました。

車で海やレジャーにも出かけました。

もともと物欲があまりないので、

とにかく毎日何かしらして遊んでお金を使っていないと気が済まなかったです。


そうして、アルバイトもせずに遊びまわっているときに、

自分のことを「カリスマニート」と謳ってイキり倒していました。



働いていないけど、金持ってるのがかっこいいと思っていました。

僅かな距離もタクシー乗るのがかっこいいと思っていました。

新地などで美味いもん食べて、キャバクラやラウンジで飲むのがかっこいいと思っていました。

大阪ミナミのクラブのVIPで女の子をはべらかすのがかっこいいと思っていました。



もちろん働いていないですし、このお金は貯めたお金なので、使えば消えていきます。

お金の儚さを知りました。と同時にお金の大切さも知りました。


出会ったばかりの頃、腐るほど金を持っていた人が2か月で破産していく姿も見ました。

この時僕は、なんでもおごってくれるええ人やなーとしか思っていなかったので、今思うと、、


あの時、僕の近くにいた人は本当の僕を見てくれていたのだろうか?

僕のお金を見ていたのではないだろうか?


と今になり感じ、お金の怖さも知りました。


ただ、この時はまだまだクズなので、よし!もっと稼いでもっと遊んだろーと思っていました。笑

単純です。


目的が旅に出るとか明確なものではなくなったので、どんどん心が汚れていっていました。

お金がないと不安でしょうがなかったです。

お金があっての自分だと思っていました。


この時ですね、キャッチの会社に入って本格的に金に溺れるという決断をしたのは。笑

夜の世界ももっと知りたい気持ちもあったので、バーで働こうとも思いました。

こうなれば、本当にクズ一直線です。


こうして、金と酒と女に埋もれながら過ごした2か月はあっという間に過ぎました。

2か月で100万近い金を使い切り、すっからかんになった僕は

さらにキャッチという仕事にしがみつくようになり、大阪ミナミの夜の街に染まっていくのでした。






大阪ミナミ ~キャッチとBAR~




2か月の休暇を終えた僕は、ミナミに住み始めました。

3LDKのマンションを2人でルームシェアしながら住むことになりました。

初期費用45万で、家賃は14万でした。




そして、バーのアルバイトも始め、

キャッチの会社に入社して、本格的にキャッチにも専念し始めました。



キャッチの会社では、新しくできる店舗のキャッチを個人店の時からの先輩と一緒に任されることになりました。


初めは、その会社で僕と同い年のやつはいなくて先輩ばかりで、強者の洗礼というか、化け物たちに、けちょんけちょんにされました。


客は取られる、無視はされる、で中々辛かったです。笑

ただ、「こいつら全員見とけよ」と逆にハングリーにもなりました。


もちろん優しくて良い先輩もいましたが、そういう人は大体キャッチへぼかったので、すぐに抜かしました。


早く、古株が卒業して、自分らの時代が来ることを願ってやまなかったです。笑


キャッチの会社に入ってよかったことは、店側がキャッチをかなり優遇してくれるところ。

ホールの子たちが、勝手に単価を上げてくれました。

前の店では、お客様を連れていくと、鬱陶しがられるのに、この店では喜ばれる。


同じ学生でここまでのモチベーションでやってくれることがすごい嬉しかったです。

ただ、そうやって僕たちによって忙しくさせられているホールの子たちの

5~6倍の給料をもらっていたので、よく差し入れを持って行ったり飲みに連れていったりしていました。


そうして僕のキャッチ会社でのアルバイト生活は始まりました。

ちなみに焼鳥屋のときの先輩はライバル会社に所属していました。僕の方が稼いでいましたが。笑


それと同時期にバーのアルバイトも始めました。

もともと、個人店でキャッチをしていた時の知り合いに紹介してもらって入りました。

僕は、地元のツレのクズじゃない方を誘って入りました。

そこのバーでも主にキャッチをしていました。


ここの給与体系は時給で1000円でした。

時給1000円もらいながらナンパできることが最高の幸せでした。

よくサボってクラブに行っては時給1000円もらいながらナンパしていました。

そしてナンパした子をバーに連れてきては時給1000円もらいながら、合コンしていました。

よくお会計が爆発して、朝方に女の子とATM行って金降ろさせていました。

最低のクズです。でもそれが水商売だと言い聞かせていました。笑



僕たち2人は各大学のツレや地元のツレを呼びまくり、20人くらいのクズ集団を組織しました。

オーナーに言って、無理矢理2号店もオープンさせました。


その時のバーの店長は、かなりキモかったですが、

みんなとアホやれてたので最高に楽しかったです。

ただ、この店長ダーツは化け物並にうまかったです。笑


毎日キャッチして、夜はバー出勤して、みたいな生活がスタートしました。


この時のクズ集団は今でも仲良いですし、そのうちの1人と仲良くなりすぎたことで、僕のクズっぷりに拍車がかかっていきます。


毎日そいつらとアホなことをしているのが、その時は最高でしたし、そこで遊ぶための金を稼ぐために、シフトも死ぬほど入っていました。


この時は何も考えてなかったです。

完全に悪循環に陥っていました。

結果的にこの時の経験は良くも悪くも僕の人生にかなりの影響を与えていくのでした。



暗黒時代




いよいよ、僕の人生の暗黒時代に入ります。笑

ここから約1年に及ぶクズ生活が始まることになります。


キャッチは結構真面目に金を稼ぎに行ってたのですが、

バーでは、組織したクズ集団と共にクズなことばっかりしてました。

勤務中にクラブ、キャバクラ、バカラ、麻雀行ってサボり、朝方店に戻り


「いやー、昨今は世知辛いっすねー>_<」

みたいなことをカスの店長に言って適当に過ごしてました。


金持ちのおじさまが来た時だけ、積極的に店に入り、浴びるように酒を飲ましてもらう。

一度、ど偉い金持ちにスーツのシャツをビリビリに破られて、乳吸われまくったこともありました。ほぼレイプでした、あれは。笑

しっかりお小遣いもらいましたが。


バー出勤じゃない時も常にそのメンバーで遊んで、毎日朝まで飲んでました。


しばらくそんな生活を続けると、身体に異変が、、、



酒を死ぬほど飲んで吐かないと寝れなくなったりしました。

ナルコレプシーという睡眠障害にもかかってるとナースの子に言われたこともありました。


ただ、一度リミッターを解除した欲は留まることを知らず、寧ろ加速していくばかりでした。


金稼ぐ→金使う→楽しい→さらに金稼がないといけない→さらにレベル高い遊びする→究極的に楽しい


この最悪(当時は最高)のスパイラルに入りました。


深夜から

うまいもん食いに行って、飲みに行って、キャバクラ行って、クラブ行って、キャバクラ行って、セ◯キャバ行って、風◯行って、さらに風◯行って

というのを1日でしたこともありました。


特に大阪難波のシークレットクラブはお世話になっておりました。笑

難波BOOKのカード今でも3枚くらいあります。←分かる人にはわかります。笑


学生のうちにこんなことしてる自分が最高にクールだと思ってました。

学校も全く行ってませんでした。

学祭だけ行きました。

でも単位とれた授業がありました。笑

学校やめて朽ち果てたという変な噂も流れてました。


そのくらいどっぷりと夜の世界というか黒い世界に浸かっていました。


もちろん、怖い思いもしました。

中国の方の怖い人たちに目をつけられたり、

日本の怖い人たちに後輩が一升瓶で頭ペチッてされたり、

日本の怖い人におしりペチッてされて

「あんまり大人舐めるなよ^ ^」

って言われたり。←この時大阪湾が頭をよぎりました。笑


小銭稼いでたのに、

「おれ金ないんよ〜」

と言って貢がせたりもしていました。

本当にクズでした。


長々と書きましたが、

この時の経験は、自分にとって本当に大きくて、、


人の気持ちや感謝の心。

仲間や家族の大切さ。

お金の儚さ、怖さ、ありがたさ。

人間の欲の強さ。


沢山の人と出会い、沢山の価値観を知り、沢山の経験をしたことで、

初見で大体その人がどんな人かがわかる特殊能力をゲットしました。笑


この1年間で生き急いだ僕は、

段々と疲れてきました。

人の醜さ(自分も含め)に疲れました。


その反面、そんなクソみたいな僕を見放さずに側にいてくれた本当のツレや家族への恩返しをしないといけないなと少しずつ思うようになってきました。

希望の光が見えてきました。



しかし、中々この生活からは抜けられず

もうしばらくは続くんですが。笑


キャッチリーダー



人生に疲れてきた僕は遊びをしなくなりました。

その代り、麻雀と風○は死ぬほど行っていましたが。笑



麻雀と風○とキャッチを繰り返す毎日でした。


キャッチのほうではエリアリーダーを任され、店舗とのミーティングやメンバーの構成とかも決めたりしていました。


リーダーを任されたころの店長は僕と同い年で最初かなりやりづらかったです。

でも徐々に打ち解けていき、2人で年末のコミットを掲げ、1人で夜中までキャッチして、2人で最後まで店を回したりしていました。

学生のうちにここまで勤務先の店に対してコミットできたことは、今でもかなりいい経験だったと思います。


特に、環境作りの部分ではかなり尽力しました。

各店舗の店長とのやり取り、メニューや料金設定、看板、フライヤーなども変えさせて、よりキャッチしやすい環境作りに励んでいました。

同い年の店長が辞めてからは、いい店長に巡り合わず苦労しました。言い合いも毎日したし、お互いにいい店にしようという気持ちが強かったです。ただ、僕のせいで2人の店長が飛ばされました。

それでも、間違ってないと思っていたし、キャッチのみんながもっと稼げる環境を作りたかったんです。


なので、、

その結果、キャッチだけで月間3000万の高い目標売上を達成した時のことは今でも覚えています。

クズ集団も本気になればここまでの金を生み出すことができて、何かに全力でコミットすればこんなにも達成感があるのだと、この時実感しました。

達成祝いで、みんなでわけわからんくらい高い焼肉行ったのも最高でした。

わけわからんくらい迷惑料取られましたが。笑


ただ、それと同時期に他社との揉め事が絶えなくなってきました。

毎日、やれ「俺らの客や」やれ「ここでキャッチするな」と言い合いが絶えなかったです。

警察にパクられる先輩や、他社の社員などもいて、新聞やニュースなどでも取り上げられ、段々と社会的意義の部分で疑問を持ち始めました。


と同時にこのままキャッチしてても、小銭は稼げるけど、もっとビッグにはなれないし、、


と思い、嫌気が指してきた僕は、キャッチもそろそろ潮時かな~と思うようになりました。


しかし、3年間もこのバイトをしていると、他にこれ以上稼げるバイトや、これ以上短い時間でラフにできる仕事は中々なく、生活レベルも落とせないので、キャッチを辞められずにいるのでした。


とにかく、ミナミの生活から離れようと決意し、

大学の前に住むことを決めました。


大学前に住みだす




ミナミの喧騒に嫌気が指した僕は、大学前に住みだしました。

マンションを選ぶ際にこだわりを見せました。


大学まで徒歩2分。

ほとんど料理もしないのに、システムキッチン完備のデザイナーズマンション。笑

セパレートの広いバスタブ。

独立洗面台。

家賃7万円。

初期費用35万円。


今思えば、ここまでこだわる必要まったくなかったです。笑



大学前での生活は僕にのんびりした時間と落ち着いた生活をもたらしました。


夜寝て、朝起きる。

こんな当たり前なことが、とても気持ち良かったり。

大学の友人と他愛もない話をしたり飲みに行くのが、幸せに感じるようになっていきました。


しかし、生活レベルを落とすのには本当に苦労しました。


3年間、毎月のように40万50万を使っていたので、

月20万稼いでも足りないと感じていました。

でもここで同じことを繰り返してはいけないと、遊びは断りまくっていました。

自制していました。

たまに行く麻雀でも当時の5分の1のレートで可愛くやっていました。笑

今では、また当時の爆弾レートで久しぶりにやりたいですね。笑


キャッチも以前ほど入らなくなり、ミナミで遊ぶことはほとんどなかったです。

ふつうの大学生のように、学校に行っては、夕方からバイトに行く。

大学のみんなとユニバに行ったり、誕生日会をしたり、鍋パやそうめんパーティーをしたり。

そんな本当にありきたりな学生の生活でした。











あれ?


ちょっと待てよ。。。


自分はこんな普通なことしてていいのか?


エッジも何も効いていない。


日々の生活に刺激がない。


でも何をすればいいのか分からない。


このままじゃ将来自分はどうなるんや?



自分の中で、すごい葛藤がありました。


今現在、このような気持ちを抱いている学生の方は結構いるんじゃないでしょうか?

僕もまさに、そんな悩める学生の1人でした。



自分には何ができる?


キャッチは出来る。


それが何になる?


自分の長所は何か?



そんなことを考えまくっていました。


キャッチの出勤を減らし、ミナミの喧騒から離れたからといって、

幸運の女神が自分に微笑むわけはない。


幸運や自分のなりたい将来像、夢や目標は待っていたって掴めない。

かなり遠回りしましたが、ようやく"自分がするべきことが何か" 少しわかった気がしました。


新しい環境に飛び込んで、環境を、時間を、そして人を変えようと決意しました。


そうして出会ったのが、現在の営業職でした。


夏までキャッチをやりきって、

どこか海外でのんびり過ごして、

帰ってきたらキャッチをやめて営業を始めることにしました。


ここから、僕の人生は大きくうねりをあげて変わり始めます。


・・・その前に、去年の夏に行った、東南アジアの旅を番外編の最終弾として書きたいと思います!!





東南アジアの旅




ついに3年半に渡るキャッチ生活にピリオドを打った僕は、東南アジアへと旅立ちました。


まずは、フィリピンで一週間だけ語学学校に行き、

タイのバンコクに入り、

その後陸路にてカンボジアのプノンペンからシェムリアップへと行くという至ってシンプルなプラン。


旅の目的は、タイはもちろんゴーゴーバー笑。



あとは、タイガーテンプル、アユタヤ、ワットポー、ワットプラケオ等の観光。


カンボジアでは、アンコールワット、ベンメリア(ラピュタのモデルとなった場所)、小学校訪問。




とにかくその国を全力で感じるプランでした。


プランだけ練ってあとは現地調達でした。




フィリピンでの語学留学は特におもしろくなかったので、、、端折ります。笑




バンコクについたのが夜中だったので、次の日に早速、ワットポー、ワットプラケオに行きました。


圧巻の仏像!!!



とにかく、派手でした。


僕は、東南アジアは汚くて、地味なイメージでしたが、一気に払しょくされました。


建造物がどんどん建っていく様や真新しいビルは、まさに発展途上という感じでした。




その反面、アウトローなところも攻めていたのですが、物乞いや、貧富の差はすごく感じました。


アラブ系の金持ち御用達のエリアでは、アラブ人が現地の子供に札をばらまいている姿も見ました。

何とも言えない感情でした。


初めから、東南アジアを五感でビンビン感じることがとてもエキゾチックでした。




観光地のすごさや、貧富の差なんて今や当たり前。


周知の事実ですよね。




もっとディープな話しましょう。


そう、風○ですよね、みんな聞きたいのは。笑




まずは、マッサージパーラーに行きました。ここは落第点でした。


日本の圧勝。


マッサージパーラーの帰りに、夜道を歩いていると、ネオンの香りがプンプンする町が見えてきました。


ノータイムで行きましたよね。


そこは、風○店のみが入ったテーマパーク、という印象でした。


そこがどこかも分からず、テンションだけ上がっていました。


マッサージパーラー行ったのに?


関係ないです。


上がるもんは上がるんです。




とにかく徘徊していると、見たことのある看板が。








「NANA PLAZA」






???






もしや、これが、、、


全世界の男を虜にするという噂の、、、


楽園を見つけたのです。




速攻で、目の前の「NANA HOTEL」に行き、明日の部屋を予約しましたよね。笑




その日から、結果的に、


タイを離れるまでずっと連泊しました。笑


旅でもなんでもない。笑




朝から観光地を巡り、夜は楽園へ。


もうもはや観光地は作業でしたよね。


楽しかったですが!!




レインボー4では世界の端っこで愛を囁きました。笑


そんな感じでタイの旅は終わりました。




そして、時間に余裕があったので、カンボジアへと陸路で向かいました。


これが本当にしんどかった。


しかもカンボジアではタイムリーに国王を決める選挙で暴動が起きていて、

街中拳銃だらけ、入国審査もかなりめんどくさかったです。




楽園に戻りたいと切に願っておりました。




なんとか入国を済ませ、プノンペンに入りホテルを探して決めたのはいいものの、

雨漏りが果てしなかったです。


東南アジア旅してる感が出てきました。




フィリピン、タイで金もほぼなくなって、貧乏旅行のスタートです。




カンボジアでは本当にのんびりしてました。


時間がゆっくり過ぎるのを感じながら、過ごしていました。


小学校で子供たちとサッカーしたのもすごくいい思い出です。




シェムリアップでいった、アンコールワットとベンメリアは感動しました。




ただ、ここで片言の現地人と思われる女(のちに、ただの訛っている日本人だと判明)にかなり騙されました。


これも東南アジアならではでした。


少々高めの授業料ですね。




そのあとは、シアヌークビルに移動し、無人島へ行ったり、さらにスローライフを楽しみました。




これが、僕の東南アジア旅の一部始終です。




バンコク、シェムリアップ、シアヌークはもう一度行きたいですね。


特にバンコク。


特に「NANA PLAZA」。




そうして日本に帰国した僕は、


新たなスタートを切るのでした。




いよいよ、この物語も終盤です。



キャッチを辞めて営業へ




東南アジアから帰ってきた僕は、すでにやると決めていた営業の道を歩み始めました。


正直キャッチをしていたし、コミュ力、営業力には自信がありました。


特に研修などをがっつりすることもなく、現場に出て肌で感じて吸収しようと思い、とにかくがむしゃらに稼働していました。


営業をし出して数日、またもや僕の悪い癖が出始めました。


努力なんて全然していないのに、成果が出だしました。


こうなったら、「やっぱり俺天才」なんて驕りが自分の中で出てきます。(驕りだなんて一切思っていなかったが。笑)

半端ないドヤ顔してたと思います。




当然のごとく、結果としてのちに苦しむことになります。


成果が出たのは自分の実力ではなく、運の要素が強く、且つろくに考察もしていかったので、なぜ成果が出ているのか、すらわからなかったです。


課題が分からければ解決策を考えることもできないし、成果が出なければモチベーションも下がる。負のスパイラルに入りました。


こんなにも営業って難しいんだと痛感すると同時にキャッチほど楽に自由に短時間で稼げる仕事もないんだなと痛感しました。




壁にぶち当たったものの、生まれてこの方、何かしらの困難も乗り越えたことのなかった僕は、それを解決する術がわからかったです。


今までの人生、大抵のことは感覚ベースで乗り越えてこられたし、大きな挫折を味わったことも無かったツケがここに来ました。自信を失い、自暴自棄になったりもしました。家賃が払えなくなり逃げるように実家に帰りました。クズみたいな生活をしていたことをほんの少し、後悔しました。


正直100万回くらいキャッチに戻りたいと思いました。


ですがそこで戻らなかった理由は、「かっこつけ」です。


タンカ切ってキャッチを辞めて新しいことにチャレンジした僕に、


「お前やったら何やっても成功しそうやな~」とか


「応援してるで」


と言ってくれた仲間に尻尾撒いて帰るようなダサいマネはしたくない。


その強がりだけで踏ん張っていました。




人間究極まで追い込まれると、両親と良心に行きつくと聞いたことがありますが、本当にその通りでした。親に本当に迷惑かけたし、心配かけたし、この時ほど自分と向き合ったことはなかったです。ここまで育ててくれた両親に感謝するとともに恩返ししないといけないなと思い始めました。



必死になって現状を打破する方法を考え、成果を出す方法を考えました。

PDCAサイクルをひたすら回し、検証と考察を繰り返しました。

人間努力できることが一番の才能なんですよね。


徐々に徐々に、

成果がまた出始めたときは本当にうれしかったし、成長を実感できました。


ですが、それを分かち合う仲間はいませんでした。




この時に強く思ったのが、キャッチがあれだけ楽しかった一番の理由は、しんどいことを愚痴り合える、嬉しさを共有できる仲間がいたからなんだということです。


そしてその時に、今やっていることをもっとたくさんのメンバーと出来たら、おもしろいんじゃないか。


僕が人生で初めて味わった挫折や苦しみ、そしてそれを乗り越える喜び、達成感をもっともっと若い世代に伝えられるんじゃないだろうか。


学生のうちにこの困難に立ち向かい乗り越えることが出来たなら、どこにいっても通用する、そんな価値を提供したい。


自分の中から、熱いパッションがあふれ出しました。





そうして、最強の相方と共にMustacherという学生ベンチャーを立ち上げるに至りました。




僕がクズ生活を謳歌したミナミで稼いだ金額は1000万円を超えていましたが、人生の酸いも甘いも経験した代償に全部なくなりました。


貯金と共に体の悪玉菌を出し切った僕は、お金じゃない「新しい価値」を提供するべくMustacherの代表になりました。



最強のパートナー




組織を立ち上げようと決意した僕の横には最強の相方がいました。

今回は、そんなデキる相方のことを書こうと思います。


読者のみなさんには信頼出来るパートナー、心を許せる相方はいますか?



僕にはいます!!!




但し、ここまでのブログを一通り読んで頂いた方は僕という人間がどういう人間かある程度お察しはつくかと思いますが、(笑)


相方は全く真逆の人間です!!!


賢くてクールで数字に強くて超論理的で、

友人とするビジネスにおいて最も邪魔になる馴れ合いや甘さを僕に一切与えず、それでも愛と信頼をもって接してくれます。


近すぎず、遠すぎず、ですね。


今の組織において彼と僕の役割は両極端です。


僕の趣味は飲み歩きです。

彼はお酒が飲めません。


僕は感性の人間です。

彼は論理の人間です。


僕はベイマックスです。

彼はウルトラ男前です。


僕は熱量でみんなを牽引します。太陽となりみんなを導きます。


一方彼は、冷静に客観的に物事を判断し、いつも的確なディレクションを行い、且つヒール役に回ってくれます。

ヒール役に回ることって本当は孤独で、しんどくて、誰にも出来ることじゃないですよね。


彼は気難しい人間です(笑)

愛着心があると冷酷になり、無関心だと死ぬほど愛想がいいです。

ふつう逆ですよね。

1年半彼のそばにいますが、愛情表現がこんなに苦手な人間はいません。不器用なんですよね。

でもその愛情表現を享受できるようになると彼のスペックの高さ、思考の深さ、愛の深さに気づくんですよね。

自分で言うのもなんですが、彼の相方は僕にしか務まりません!!!(笑)


苦しいことも、辛いことも一緒に乗り越えて、嬉しいこと、楽しいことを共有してきました。

彼には本当に感謝しかないです。


意思決定をする際も、彼の視点と思考にはいつも助けられます。


これからもし友人や近しい存在の方とビジネスを展開していく方がいるなら、似たようなタイプの人間とすることはオススメしません。


妥協したら終わりですからね。

且つシナジーを生むためには違う視点と違う感性をもっている方が良いと思います。


組織に属しながら、組織を俯瞰視出来る人間を側近に置くことは大切です。


もちろん、1人で全て出来れば1番だと思います^ ^


僕は、

1人では生きれないですし、

1人では何も出来ない未熟な人間です。


だから最強のパートナーがいるし、

支えてくれる幹部陣がいるし、

一緒に走れるメンバーがいます。


役割分担が明確なので、最上級のコミットが出来るんですよね!


最後に、僕が好きで、大事にしている考え、言葉を紹介しますね!




①僕にしか出来ないことは僕がします。

僕に出来ないことは周りの仲間がしてくれます。(ワンピースのルフィの考え)


②例え社員に知力や体力で負けていても意志力では負けない。(DeNA南場智子さん)


③リーダーは組織を写す、写し鏡である。


以上です。

自分の役割は決まっています。


これからもみんなの太陽となり、

人を巻き込んで行きます^ ^!






次回は、

僕が代表を務めるモスターチャー(Mustacher)という学生ベンチャーについて書きたいと思います。



読んでよかった
このストーリーをブログ等で紹介する

続きがきになる!

Masutaさん、ありがとうございます!!
続き書きましたので、ぜひご覧になってください!

凄まじい人生ですね∑(゚Д゚)
本当にクズですが、なんでもかんでもやり切ってる所がカッコイイ、尊敬しますよ!
どんな所で働いても何やっても、重要な事は何処と無く共通しているのかなぁと思わされる記事で読み出したら止まりませんでした。

Takahashiさん。
お返事遅くなりました。
コメントありがとうございます。
今でも学生に伝えていますが、何事も最後までやり抜くことが大事ですよね。

僕はほとんどのことに対して中途半端な人間なので、すごく羨ましいなと思いながら見ていました。
やり抜いての失敗や成功を重ねるのが人生を楽しくすることなのかもしれないですね

川崎 亮也

クズ大学生だった自分が数々の経験を経て、学生ベンチャーを立ち上げ、現在の起業に至るまでの経緯を書いていきます。ぜひ、読んでくださーい(^^)/ 

川崎 亮也さんが次に書こうと思っていること

|

川崎 亮也

クズ大学生だった自分が数々の経験を経て、学生ベンチャーを立ち上げ、現在の起業に至るまでの経緯を書いていきます。ぜひ、読んでくださーい(^^)/ 

川崎 亮也

クズ大学生だった自分が数々の経験を経て、学生ベンチャーを立ち上げ、現在の起業に至るまでの経緯を書いていきます。ぜひ、読んでくださーい(^^)/ 

川崎 亮也さんの他のストーリー

  • クズ大学生が大阪ミナミで1000万稼ぎ、学生起業家へ。

  • 川崎 亮也さんの読んでよかったストーリー

  • クズ大学生が大阪ミナミで1000万稼ぎ、学生起業家へ。