セックスワーカーとして生きる

タイ、ミャンマー、カンボジアでセックスワーカーとして生きていく女性たちの生活は簡単なものではありません。カンボジアで出会ったLiは、首都プノンペンから南西に車で2時間離れたKrong Kampot(クロン カンポット)出身の22歳。お金を稼ぐためプノンペンへやって来て、バーで働いている。客が入ると十数名の女性たちと共に客の前に並び、指名を待つ。指名されれば席に着きお酒をねだり、日本でいうこところのスナックに近いサービスをする。その後、客からの交渉が入る。おおまかな金額は2時間30ドル(約3000円)〜1泊80ドル(約8000円)で、客との行為はNS(ゴム無)の場合も同額。(参考:カンボジア労働省は今月12日、縫製労働者の月額最低賃金を128ドル(約13000円)と発表している)


カンボジア南部のKrong Kampotはとても貧しい農村というわけではないが、Liは教育を受けることはできなかった。辛うじて話す英語も単語を並べているだけであって、紙に書かせたスペルはどれも正しいものではない。(カンボジアには特有の英語訛り、発音、省略があるが、それとは違った意味)出身地を聞いた時も、街の名前を「クロン カンポット」とは言うものの英語表記のスペルが分からず、クメール語での表記を訪ねても頭文字の「ស」しか分からなかった。また、カンボジアの地図を見てもらい、Liの生まれた街がどこなのか訪ねたが「車で2時間の場所としか分からない」と言う。

Liは「私にできる仕事はこれしかないが、KTVや持ち帰りバーで働くことは生きていくうえで仕方のない選択。でも、いずれこの生活を抜け出したい。プノンペンの街はとても綺麗だからここでの生活を望んでいる」と言い、今日も客の相手をしている。

彼女たちにとって売春、セックスワーカーというのは自らの意思で選択できる、将来の可能性見出すひとつの手段でもあるということ。人身売買が未だに数多く存在することもまた事実。全てのセックスワーカーが救済を必要としているわけではないけれども、犯罪、ドラッグ、セックスワーク、その全ての事実、背景を理解すれば、絶望的な貧困が根底に視えてくるのではないかと思っています。


■理解について

たとえば物乞い(物売り)に

①何も与えない

可哀想で直視できない

裏にビジネスがあることを知っているから何もしない

困っているひとりに何らかの援助(寄付)をしても、全てが救えるわけではないから何もしない

②何かを与える

可哀想だから寄付してしまう

できることはしたいと寄付をする

③理解


それぞれが独自の考えを持ち行動し、それは他人から押し付けられるものではなく、個々の経験や価値観から導き出した答えのもと選択すればいい。ただ、日本国内でもそうですが、異国の地で安易に上記の①や②の答えを導き出し、選択し口にされるのはとても浅はかなものであり、選択はしていますが、理解することを放棄しているのではないかと思っています。行為により物やお金が動き、相手に何かを与える、与えないという選択が為されたとしても本質の理解がなければそこには何も生まれず、根を断つことはできないと思います。



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