祖父を看取るために旅した話

 慌ただしく人が行き交う羽田空港の出発ロビーで、機内の時間を潰すための文庫本とお菓子、ジュースを買い込む。レジでお金を支払い、ベンチに座ってぼんやりと定刻を待つ。

 周りには、笑顔が溢れていた。

 子供連れの家族。これからの旅行体験を楽しみにしているであろう学生。向こうに着いたらもっと厚着しないとね、と言いながらキャリーケースを転がす男女のグループ。


 そんな中で僕は一人、笑顔もなく、スマホの画面をじっと見詰めていた。


 まだ電源は落とせない。フライトの瞬間、電波を維持できるその直前まで、液晶画面を睨み続ける。

 何度も読み返したメールを、また飽きもせずに読み返した。

 僕よりも一足早く向こうに駆けつけた母からのメールだ。

 祖父の状態がひどく悪いことを知らせる──もういつ亡くなってしまってもおかしくない、そんな内容のメールだった。

                  ■ □ ■ □ ■


 飛行機は何の問題もなくフライトを終え、旭川空港に降り立つ。

 予約していたレンタカーを運転し、一路僕は生まれ故郷の街へと向かった。のどかというか、ただ田舎なだけというか、とにかくそんな風景を通り過ぎていく。慣れない車の運転に少しだけ緊張しながら二時間が過ぎた頃、僕は北海道名寄市に辿り着いていた。


 ひまわりで有名な街だ、と言っても多分大抵の人はポカンとするだけだろう。

 映画『星守る犬』のロケ地に選ばれた──と言っても、やっぱりいまいち通じないかもしれない。まあ観光資源が豊富なわけでもないし、交通アクセスがいいわけでもないので、聞き覚えがなくて当然だろうとも思う。

 僕にとっては大切な街だけど、他の人にとって大切であって欲しいとも思わない。

 車の運転は続く。祖父が病に倒れてから何度かお見舞いに来たことはあるのだけど、そのたびに道に迷った。今度は迷っていられない、そんな時間はないぞと焦っていたら、またいつかのように道を一本間違えた。

 ──どうして、こう。

 やるせない。自分の馬鹿さ加減には呆れるばかりだ。

 伝えた時間よりも十分ほど遅れて、僕は病院の自動ドアを通り抜けた。


 祖父の病室には母がいた。僕を見て「わかりにくいよね、ここ」と笑う。僕はただ、ん、と小さく頷くことしかできない。

 ベッドには祖父が寝かされていた。気管を切開し、胃瘻を繋ぎ、自分では寝返りを打つこともできない祖父。こんな状態で二年以上頑張ってきた。


「もう頑張らなくていいのにね」


 母が困ったように笑う。僕も同感だ。何もこんなになってまで頑張らなくてもいいじゃないか。楽になっていいじゃないか。もう十分だよ。声には出さないけど、言葉だけはいくらでも頭の中に湧いて出る。

 祖父はぼんやりと天井を見上げていた。

 焦点も合っていない。格好いい言葉遣いをするなら「虚ろな眼差し」というやつだ。

 だけど、確かな意志があるような気もした。

「おばあちゃん呼んできて」

 僕はまた、ん、とだけ頷いた。


 認知症が進行しグループホームに入所した祖母は、正直介護職員の僕から見ても難しい人だった。短期記憶の保持は困難、聴力が落ちているのに補聴器を毛嫌いするせいでコミュニケーションがとりにくい。リハビリには非協力的で、外出やレクリエーションも全て拒否する。

 もとから気むずかしく、笑顔を見せることも少ない人だったけれど(僕は不出来な孫だったので余計だ)、認知症によってその気むずかしさは一層拍車がかかっていた。

 ホームに向かう途中、僕はだから、正直困り果てていたのだ。

 どれだけ考えても、ベッドから起き上がろうとさえしない祖母の姿しか思い浮かばない。

 携帯電話の着信に怯えながら、ホームの駐車場に車を止める。何をどう言ったら、今の状況を祖母に伝えることができるのだろう。介護職員として培ってきた数年分の経験は、こんなときには何の役にも立ちはしない。


 事務所に声をかけてホームに入る。祖母の部屋は入ってすぐの場所だ。職員がノックして「○○さん、お孫さんがいらっしゃいましたよ」と声をかける──どうせ返事はないので、僕は静かに扉をスライドさせた。

 ベッドの上には、記憶にあるよりもずっと痩せた祖母が寝転がっていた。

「ばあちゃん」

 声をかける。

 祖母は、僕を見て少しだけ笑った。

 ──珍しいな。

 正直、意外だった。

 近付き、耳元に口を近づけ、大声を張り上げる。

「ばあちゃん」

 ──じいちゃん、もう危ないって。

 言えない。

 廊下にまで聞こえてしまうような声でないと通じないのだ。祖父の容態まで、他の利用者に伝えるわけにはいかない。

 だから僕は、

「病院行こう」

 とだけ、伝えた。

 通じたのだろうか?

 自信はなかった。

 というか──多分そのとき祖母は、僕が何を言っていたのか、半分もわかっていなかったと思う。 けれど祖母は、「ああ、そう」とまた少しだけ笑って、するするとベッドから起き上がってくれたのだ。


 祖母が病室に着いて、「○○さん、来たよ。わかるかい。○○さん」と呼びかける。

 祖母が、「○○さん」と祖父の名前を呼ぶのをそのとき初めて聞いた気がした。いつも僕の前では「じいちゃんはね」「じいちゃんが」と呼んでいたから。

 そうだな。

 僕のおじいちゃんだけど、祖母からすれば夫なのだな。

 当たり前のことだけど、不思議な感覚だ。僕にとっての「お父さん」は母親の夫だし、「おじいちゃん」は祖母の夫だし、「お姉ちゃん」は誰かにとっての友人だったり恋人だったりするのだろう。

 当たり前だ。世界は僕を主役にして関係性ができあがってるわけじゃない。

 今更そんなことに気付かされる。

「○○さん。もう安心だな。××も、□□も来たからな」

 ××は、母親の名前。

 □□は僕の名前。

 名前が何度も呼ばれる。

 家族の名前が、病院の個室に木霊する。

「よかったなあ。遠くから来てくれたんだよ。安心したな。もういいな」

 ゆっくり、祖父の胸が動いた気がした。

 音も何もなく、ただ静かに息が止まる。

 母親が医者を呼んだ。祖母はまだ呼びかけ続けている。

 僕は目の奥が詰まるような感覚を堪えながら、そっと祖父の手に触れた。

 細い、今にも折れてしまいそうな腕だった。

 けれど、まだ温かかった。

 やってきた医者が臨終を告げる。

 僕は何だかふわふわした気持ちのまま、その後の通夜と葬儀に参列した。


                  ■ □ ■ □ ■


 公園は広く、それこそ地平線でも望めそうだ。

 恒例行事のように道に迷い、少し遅い時間になってしまった。日が暮れる寸前、冷たい風が吹き付けてくる。羽織ったコートの前をより合わせ、母を連れて車から降りた。


 映画のロケに使われたセットを見に行こう、と母が言い出して、慣れない道を運転してきたのだ。北海道立サンピラーパーク──なんて名前もほとんど覚えていなかったし、場所なんて見当もつかなかった。母親から「天文台があるところ」と言われて、ようやく「……なんとなくわかる、かも」と自信のない返事をしてしまったぐらいだ。

 僕も母も、方向音痴なことにかけては定評がある。カーナビを搭載した車を借りたのに、それでも僕達は道に迷い、ああでもないこうでもないと言い合って、ようやく公園に辿り着いた。

 広い、というのが最初の感想だ。

 もっとも、北海道なんて大抵どこに行ってもそう思うのだけど。

 母と二人、寒い寒いと言いながら遊歩道を歩いて行く。

 母とこうして話をするのは久し振りだ。五年近く、生存報告程度の電話連絡だけで済ませていた。僕はまあ、お恥ずかしい話、不出来な息子だったので、まあ色々面倒な問題があって家を出ていたのだ。

 不仲というわけではないのだけど、何となく一緒にいるのがしんどかった。

 だから僕は、東京のはじっこのアパートで、ぼんやりと暮らしていたのだ。


 旅をするのも久し振りだった。

 何もかも久し振りだけど、不思議と言葉はすらすらと出てきた。話したいこと、伝えたいことが沢山あった。人と話すことが苦手な僕なのに、後から後から言葉が溢れて止まらない。

 祖父の思い出。祖母のこれから。大昔、家族皆で旅行に行った話。親戚の子供の話。今の仕事について。

 祖父が亡くなったことで、家を売却する必要に迫られていること。土地の一部を市から借りているので、家を売却するなら土地の一部を返納しなければいけないこと。返納を受け付けてくれない場合も多く、その場合は不動産屋を何軒か巡らなければいけなくなり、まだしばらくは名寄に逗留する可能性があること。祖母の介護度が上がり、グループホームではなく特養に移るべきか悩んでいること。

 現実はいつでも早足だ。家族を亡くした悲しみに浸るよりも、その後始末を迫ってくる。

 ちゃんと全部終わるまで付き合うよ、と僕は母に伝えた。

 母は「そうしてくれると助かる。車の運転をしてくれるだけでもありがたい」と言って、また笑った。


                  ■ □ ■ □ ■


 映画に使われた奥津家のセットを、携帯のカメラで撮影する。

 時期が時期だけにひまわりは咲いていなかったけれど、その代わり観光客もいなかったので、人嫌いの僕としては都合が良かった。このまま人が住めそうだな、とセットを見上げて思う。映画を撮るのは大変だ、などと、呑気なことを考えたりもした。

「父さん、昔から犬を飼いたがってたんだよ」

 母が不意にそんなことを言った。

 映画『星守る犬』から連想したのだろうか。

「でも母さんが絶対に許してくれなくてね。その代わりに、沢山鳥を飼ってた。私は鳥って怖くて苦手だったんだけどね、父さんは凄く大事にしてたよ」

 祖父の思い出だ。

 母の中にしかない、『母の父親』としての、『僕の祖父』の思い出だ。

「動物の世話するのが好きだったね。今はいないだろうけど、昔名寄神社にエゾリスがいてね。勝手にエサをやって、よく怒られてたの。いけないことなんだけど、何だかおかしくってね。厳しい人だったんだけどね」

 祖母の気むずかしさは、体験として知っていた。けれど、母の言う『厳しい人』だった祖父を、それこそ僕は話の中でしか知らない。こんなことがなかったら、きっと僕は一生孫を可愛がってくれる祖父の姿しか知らなかっただろう。


                  ■ □ ■ □ ■


「ああ、あれがそばの花だ」

 母の声に、僕は少しだけ足を速めた。

 ピンク色──というか、赤というか、紫というか、とにかくそんな色の小さな花が咲き誇っている。思っていたより小さい区画だったけど、思っていたより綺麗な花だった。新聞に書いてあった、そばの花が咲いたという記事を読んで、僕はそれがどんなものか気になっていたのだ。

 小さいし、目立たない。記事で見る限り一面の花畑という感じだったけど、なるほどプロのカメラマンっていうのはうまいこと写真を撮るもんだ、と変な感心をしてしまう。

 けれど、見ることができた。

 間に合った。

 不意にそんなことを思う。

「寂しいけど、安心したねえ」

「おじいちゃん?」

「そう。もうずっとね、物も言えないしご飯も食べれないし、あれは可哀想なことしたなって思ってたもの。母さんが勝手に色々決めちゃってね。もうちょっとこっちに帰ってたらよかった」

 母はそう言って、そばの花に携帯電話を向けていた。シャッター音が鳴って、フォルダに写真が一枚追加される。あとで母さんに見せてやろうと言って笑っていた。

 僕も、誰に見せる予定もないけれど、一枚だけ写真を撮った。

 母と二人でしばらく園内を散策して、再び車を走らせる。

 名寄温泉サンピラーという小さな観光ホテルに向かい、そこで僕達は何泊か過ごすことになった。


                  ■ □ ■ □ ■

 気乗りしない旅だった。

 間に合わないものもあったし、間に合ったものもあった。

 ここから先、間に合わないものの数を少しでも減らしていきたい。

 何となくそう思う。

 名寄を発つ日の朝、朝食の途中で、僕は、

「色々済んだら、家に帰るよ。空いてる部屋を借りるから」

 と告げた。

 母は、そう、ありがとう、悪いわね──と返してくれた。

 その言葉が、僕の旅に終わりを告げた。


 僕の、名寄の旅も。

 家族から離れて暮らす旅も。

 きちんと、終わらせるべきときに終わらせることができた。


 間に合った。


 そして僕はまた、新しい旅の計画を立て始める。  

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