あたりまえ?大袈裟?

「このあと急死すれば、これが最期の会話になる。」
私が人と話すとき、わりと本気で意識してしまうことです。
大切な人や、あまり会えない人との会話で、特に発動します。
震災で意識する人も増えたかもしれませんね。
私の場合、単純に小心者だからなんですけど。
一寸先は闇とばかりに常に怯えているのです。
あ、スタバのロゴとかも怖いです。

夫への挨拶

朝、私が出勤するとき。
家人に「いってきます」だけは聞いてもらいます。
通勤中の事故や災害、急病で、死に別れる可能性を考えてしまうから。
夜中に仕事してた夫が朝寝てるときでも。
(いちおう返事してくれるけど覚えてないらしい)
ケンカ中で不機嫌でも。会社に遅刻寸前でも。
(たまにしくじるけど…できる限り!)
ここがホーム、ここに戻ります、という意志と願いを込めて、「いってきます」。
無事生還し、「ただいま」が言えればメデタシです。

親との会話

自分や夫の親からの他愛ない電話のとき。
コチラの作業が中断されるとソワソワしてしまう。
でも…
親世代にとって、1年は私が感じるよりもずっと早く過ぎてそう。
自分の老い先を、私が想像するよりも短く感じているかもしれない。
きっと「突然死んじゃう心配」も、よりリアルなお年頃。
そんな時に「私との会話」に時間をとろうとしているなんて!
(いまわの際の親が電話してきてるとこまで妄想)
親孝行したいときに親はなし、っていいますよね。
いつやるの? 今でしょ!
ちょっとくらい丁寧に話ききましょうや。
と、思いなおすのです。

人生マジいつ終わるかわからない

10代から30代にかけて、難病やら悪性腫瘍やら患いました。
「親知らずの抜歯では助かった命だが、今度こそ死んじゃうな。」って覚悟してました。
今は回復して、特段困った症状もなく過ごせてます。ミラクル。
その一方で…
身近な、まだ若い人の死に何度か遭遇しました。
夢を応援してくれた人、病気のとき励ましてくれた人、
心優しい気遣いをくれる人たちが亡くなっていきました。
悩んでる人、近々会いたいと思っていた人、
かけたい言葉がたくさんあるのに亡くなっていきました。
そんな「あっぶねー」と「ちっくしょー」を通して思うことはただ一つ。
大切な人と何気ない会話をかわせる幸せタイムを大事にしたい。
自分の人生を充実させるために。
大黒柱が家族を養うために。
働き盛りの年齢なら特に、よほどの理由がなければ
仕事の時間が優先されるもんです。
だからこそ「時間の共有」をプライスレスの贈り物として
心待ちにしている人がいるかもしれません。
ほら、あなたの隣にも。( ´_ゝ`)フッ
という、かまってちゃんの主張でした。…あれ?

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