僕がジャニーズを辞めた理由

 僕の知人に有名な演出家がいる。彼はよく言っていた。学校では成績が悪く、進学したい学校に行けなかった。就職しようとしてもいいところに就けない。そして彼はどうしても人には選ばれないようなので、選ぶ立場の人間になろうと思ったという。


大学受験失敗、決意

 確かに僕も日本の大学受験は思うようにいかなかった。当時の日本はというと、いい大学に行き、いい大企業に就職するという図式しか無く、そうでもなければ出世の道など考えられない。ましてや、ベンチャーで成功するなんて夢にも思わなかった。当時の僕は他の人々と同様、受験勉強を一生懸命やった。それなのに希望校に落ちてしまった。その時は何故かショックを受けるより、日本の社会に自分は選んでもらえず、縁がないものだというふうに思った。そして妙に落ち着いていた。いつか日本が自分を必要とするまでは、海外で成功してやると思い、アメリカ留学を決意したのだ。


芸能界へ「天下を取るとはこういうことか」

この決意の背景には、僕が中学1年から高校にあがるまでジャニーズ事務所に所属していたという経験が大きく影響している。当時、ジャニーズジュニアといえば20名ほどの少人数で、仲間が順番にアイドルになっていった。僕も中学3年間、テレビやドラマなどに出演をした。それは一種独特な非日常が繰り広げられる世界だった。一度この世界を知ってしまうと、二度と忘れることはできない。

 ジュニアの子たちは誰もが皆、マッチやトシちゃんに憧れ、派手な衣装を着て舞台に立つことを夢見ていた。しかし不思議なことに、僕の興味はどちらかというとジャニーズ事務所の社長であるジャニー喜多川さんの存在そのものだった。

 レッスンが終わるとジャニーさんの黒塗りの大きなベンツに、少年隊や、他のジュニア達と乗り込み、原宿のジャニーさんの自宅兼合宿所に行く。初めて見る原宿の高級マンションはアメリカを感じさせるインテリア。中には田原俊彦さん、近藤真彦さん、川崎麻世さんが住んでいる。広々としたリビングルームには見たこともない大きなテレビと、オーディオセットがあった。バスルームは私の家の居間ぐらいの広さがあり、そこにはジャグジー、アメリカ製のシャンプーや石鹸があった。

 彼の生活、彼のステータス、そして存在感を思い知らされた。ジャニーさんはロサンゼルス生まれの日系2世であるため、彼のアメリカナイズされた暮らしはカルチャーショックだった。頂点を極めた人の生活を垣間見てしまったことと、海外に対する強い興味が芽生えた。高級感あふれる広々とした空間、嗅いだこともないシャンプーの独特の匂いは今でも私の脳裏に焼きついている。「天下を取るとはこういうことか」という思いが漠然と芽生え始めた頃だった。


「選ぶ立場」か「選ばれる立場」か

 高校受験が近づいてきた頃、少年隊のデビューが決まった。これは次のデビューは私達の番だということを暗に意味している。私の周りはにわかに色めきたった。しかし自分の中には冷めた部分があった。当時の僕は自分の置かれた境遇を妙に客観視している所があった。そして気がついたのは、ジュニア時代は過保護なほど可愛がられるのだが、デビューすると一転して使われる身分になるということ。アイドルと言っても所詮は使われる身分。時代が終われば使い捨てられる。それだったら自分はしっかり勉強して、ジャニーさんのように「使う側」になろうと。こう考えた私は事務所をやめることを考え始めた。人を蹴落としても、自分が出る。そんな世界に嫌気がさしていたのもあるが、なにより一番は「選ぶ立場」か「選ばれる立場」かを、少年ながらに意識してしまったからだ。

今思うとこれが僕の成功志向の始まりだった。元々家庭が貧乏だったこともあり、それとは恐ろしいほどに鮮やかなコントラストを見せるジャニーズの世界が、僕を何か大きなことをやってやりたい、成功者、勝ち組になりたいという強い思いに駆り立てることとなった。


そして、ジャニーズ事務所をやめる

 中学時代は芸能生活が忙しく、ろくすっぽ勉強をしていなかった。このままでは世間を知らない教養の無い人間になってしまうという焦りが高校受験を決意させた。僕はとりあえず3か月間ジャニーズを休み、死に物狂いで勉強をした。その結果希望の高校に受かったのだ。その後一度は芸能生活を再開したが、すっかりこの世界への興味は薄れてしまい、高校入学後しばらくしてジャニーズをやめることとなった。

 テレビでは自分の同期が光GENJIや少年忍者として華々しくデビューしていた。やめた私は悔しさを禁じえなかったが、その反面、将来彼らを超えてやるという成功志向的な強い野望を抱いた。この頃私が子どもながらに考えていたことは、たった一人の人間の意向で人の人生が大きく左右されるという残酷さ。ジャニーズ事務所で言えば、ジャニーさんの決定でデビューするもしないも決まってしまう。それは誰も教えてくれないがとてもリアルな社会の縮図だった。僕は人に左右される側ではなく、する側になりたかった。

 若い時はどうしても、すべては誰かに環境を支配され、自分で何かを決めたくても否応なしに決められてしまう存在である。自由とは何かと考えたとき、やはり人に選ばれる立場よりも自分で選択した道を歩みたい。私は自分で決めた生き方をしたい。そのために起業もした。そんな折に知人の演出家の言葉を聞き、自分と同じように考えて生きてきた人がいることに勇気づけられた。


僕がジャニーズ事務所で学んだこと


 現在はニューヨークに住んでいるが、あのときの決断がなければ今の自分はない。海外に出て留学、起業し、様々な苦労や失敗もあった。


しかし、あのままアイドルになっていたよりも、「自分らしい人生」を送っていると実感できる。

選ばれる側ではなく、自分で選んだ道であれば後悔もないはずだ。また、自分の選択であるから、そのことを大切にでき、余裕をもってことにあたれるだろう。

あの時のジャニーズを辞めた決断が今でも僕の人生の基礎となっている。





板越ジョージ
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George Itagoshi
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