二度と行くもんかと誓ったインドが今では故郷となった話。そしてこれからも(3)完結編

BUDDHA GAYA →KOLKATA May 1


朝5時に起床。6時からサントスと仏陀が苦行、瞑想したという山へ行く。朝は寒い。
もっと、もっと田舎町にある山。
こんな静かなところで一人仏陀は瞑想にふける。
瞑想した洞穴の隣にはダライラマが過ごされるという小さい建物があり、お坊さんがお経を唱えていた。

今日は学校の皆がミネハハを歓迎する日。
子供達の歌やダンスがとてもかわいい。”チューリップ”を日本語で熱唱。でもちょっと音程がずれていて思わずぷぷっと笑ったら前の娘が"静かに!”だって。怒られた。
 その後、私は一人の女の子の里親になるべく(寄付でね)一緒に写真を撮ったり契約書にサインをかわす。その子はまだ小さくなついてもくれないし、まだわかっていない様子。
でもだんだんと手紙を交わしたり会ったりすることで仲良くなれるんだろうな。

ディップが

本当にきてくれてありがとう。もう一旦ここにきたら一生アナタはブッダガヤと、そしてこの子供達と縁が切れないよ

と。
 私もそう思う。

午後は家で子供達、女性達、近所の人たちと戯れる。
外に出たら、大勢の子供達がついてきて私はNHKのお姉さんになっていた。子供達は私の取り合い。とにかく無邪気。
そのあとサントスの義理姉やお母さん達にサリーを着せてもらう。彼女らほっとんど英語できないからほとんどノンバーバルコミュニケーション。でもなぜか通じ合うの。

夜20:30 BUDDHA GAYAを離れ、KOLKATA行きの列車に乗る。
が、2.5H遅れの23:00発。朝から一緒に行動してくれて大変だろうに私の車両を確認してくれるまでずっと一緒にいてくれたサントス。本当ありがとう。またブッダガヤくるときはまたホームステイするよ。

23:00発でカルカッタ(ハウラー駅)に着いたのは6:00頃。5時に目が覚めてそれまでは同じボックス席(?)の40,60,70くらいのインド人と会話。チャイをおごってくれたりあめをくれたり。そして私が空港に向かうべくタクシー乗り場まで案内してくれて運転手さんに値段の交渉もしてくれた。
本当にインド人に助けられている。
カルカッタは朝早いというのに道は渋滞。やはりちょっとデリーとは違う雰囲気。


KOCHI  May 2

カルカッタは今ではただの通過点。
カルカッタから南インドのコーチンへは中部ハイデラバードというところでトランジットをしなければならない。

当初14:20頃到着のはずが飛行機遅れて16:00着。

KOCHIは前の会社の取引先で私が元担当していたお客さんがすんでいるところ。

でも仕事としてきたわけではない。友達として遊びにきたのだ。

KOCHIは北部デリーやカルカッタと打って変わって、熱帯雨林の街。南国の雰囲気そのもの。人もがつがつしていないし、洗練されている。この洗練されている雰囲気は街にいくほど感じる。高層マンションや高級ホテル、ショピングセンターがあるからだ。

 SASI(38)とは半年ほどチャットで濃い話をしてきたけれど会って話すのは初めて。でもそのままの人柄。

車を走らすこと15分。着いた家は6ベットルームのでかい家。そこではお母さん(67)お父さん(73)が住んでいた。着いてすぐ、沢山の果物マンゴーとかみかん、スナック菓子を頂く。おなか一杯だけどマンゴー2個を切ってくれたので断ることはできない。
 その後、病院へ。SASIの奥さん(30)のお母さんが手術をしているという病院へ。そこには娘さんのスルティ(13)ゴピカ(10)もいた。
 その、お母さんは私が得体も知らない外国人だというのに、強く手を握ってくれた。まるで家族として握ってくれている暖かさ。思わずハグした。

 その後家族みんなでビーチへ行く。7時を過ぎているので暗いけど、子供達と手を握って波遊び。パンツまで濡れた。となりの家族のお父さんがあえて転んで全身びちょびちょでみんなで大笑い。

 ところで南インドでもKOCHIの人たちの言語は
 マラヤラム語という。アルファベットはまるでヒンディー語よりかミャンマーやタイみたいな丸っこいかんじ。
 
”踊るマハラジャ”の言語であるチェンナイのタミル語はまた全然ちがうんだって。近いのにね。 
 
  
インドは広い。

KOCHI  May 3

SASI家はヒンドゥー教徒。毎朝神様にお香を炊き、お祈りをする。お寺にもおまいりする。

そして近くには彼らの通うヒンドゥー教の寺があり、毎朝4:30頃女性の声のお経?がスピーカーで流れる。でもはっきりいって機械音で、色でいうなら神様の肌のお色のアノ不気味な青と妙に人工的なピンク。それが30分~1時間ほどよ?怖くて目が覚めちゃう。
それが終わると男性の正真正銘お経。これは日本のそれとにているから懐かしさを感じる。

SASIが教えてくれた。ヒンドゥー教はなんでもありの、全ての宗教を統合した宗教だって。 あ、じゃあアタシもヒンドゥー教徒だ。

朝からカレーではない、南インド式朝食バリバリのご飯をたらふく食べる。北インドではみたことのない食べ物がずらり。

SASIと子供達と街とボートにのってフォートコーチンという観光地の島にいく。ココナッツジュースやアイスクリーム、お昼ご飯で鳥の炊き込みご飯のビルヤーニ代を出してくれただけでなく、お土産やさんで像の置物等その他もろもろプレゼントしてくれた。こっちは家まで泊まらせてもらっているのに、むしろ出すのは私の方なのに、といったら"千里はゲストじゃないよ、大事な友達だからなにかしたいんだ”と。

 夜はSASIの弟(32)家族の住む家でご飯をご馳走になる。
奥さん(28)はインドの映画スターのようなめっちゃ美人さん。美男美女の夫婦。そして家の内装はめちゃめちゃモダン。キッチンが私の家より広いしキレイよ??!
マンゴーカレーやらタンドリーチキンやら魚のカレーやら。
 なんと私のた為に 胡椒と塩のみで味付けした辛くない魚のソテーを出してくれた。なんというおもてなし。
 私が”ナラ(おいしい)”というとみんな微笑む。
 なんなんだ、この団欒。素敵な家族達じゃないの。

 夜は子供達とMrビーンみたりSASIにウィスキーのみながらYOGAを教えてもらう。

明日はいよいよ帰国。

KOCHI →JAPAN May 4

4:30 あの音で目が覚め準備し終わってキッチンに行ったらすでにお母さんが食事の支度をしていた。
私もちょっとお手伝い。

7:30頃みんなとお別れの挨拶をする。
特にお母さんは何度も何度も抱きしめてくれる。

SASIが 一週間はKOCHIにいなきゃ案内しきれないよ、と。
スルティもゴピカもこんどは一週間ね、いや、二週間、ううん、一ヶ月遊びに来てね だって。

まるで短縮版ウルルン紀行。

 搭乗時間になるまでSASIと空港で話をする。
 今まではチャットでしか話できなかったけど、
 本当に来てくれたね。チャットでも千里は本当の友達だと
 感じだけど、実際にあってますます本当の友達と感じたよ。
 千里がgood person だから僕達家族はは千里が好きなんだ。
  
 ......これ以上泣かせないでくれ。

 SASIは姿が見えなくなるまで見届けてくれた。
 10時から仕事があるというのに。

 私はトランジットのムンバイ空港で一人泣いた。

 
 今回の旅ではインド人に本当に支えられた。
 神様が私にいい人たちを導いてくれたという感動
 生かされているという感謝
 守られているという確信

著者のMori Chisatoさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。