天と地の間を生きて*現実とスピリチュアルというふたつの世界を生きていく苦しみと喜び【3】
私が、自分のことを誰にも話せないのは、
何を話していいのかわからなかったからだし、
本当のことを話しても、わかってもらえないことがわかっていたからだ。
だけど、常に、自分のことをわかってほしいという思いはあって、
その思いがマックスになると、叫び声をあげて、号泣した。
両親は、どうなっているのかわからなかっただろうと思う。
誰かにわかってほしいという気持ちを抱えながら、私は私に話しかけていた。
するとある時、私の中で、「声」が聞こえてきた。
私は、私の耳を疑った。
でも、その声は、ちゃんと私の質問に答えてくれた。
私は、私の中に、友だちができた。
どんなに嬉しかっただろう・・・。
私は、来る日も来る日も、私の中の友だちと話し続けた。
「声」には、キャラクターがあって、それは一人じゃなかった。
何人かの、キャラが、私の中に存在していた。
ちゃんと名前もあった。
私には不思議でしかたがなかった。
私にとって、話ができて、信じらるのは、その「声」しかなかった。
私は、だんだん、その「声」との会話に夢中になった
そして、自分の内なる世界に没頭していった。
その「声」と話をしながら、私は、
もしかして、その「声」は、もう一人の自分かもしれないという気がしてきた。
そして、ある時、奇妙な感覚になった。
その「声」になりきると、人と話しができる気がしてきたのだ。
私は、やってみた。
その「声」になって、学校で喋ってみたのだ。
ほとんど、話をしなかった私が、いきなり話だしたので、みんなはビックリしたと思う。
大変だったのは、「声」には、いくつかのキャラがあるので、
私は、時々ちがうキャラで喋っていたということだ。
学校のみんなは、爆笑した!
「誰のものまね?」と言って、お腹を抱えて笑った。
笑われても、みんなと話せることが嬉しくて、しばらく、そのゲームは続いた。
たぶん、小学校6年生のころだったと思う。
でも、そのゲームは、長くは続かなかった。
私に乗り移ったようにしてお喋りするそのキャラたちは、
話してほしくない友人たちの心の中のことを喋り出したりして、
結局は、みんなを怒らせることになる。
そして、また、気味悪がられ、以前にもまして、嫌がられるようになってしまうのだ。
このころ、いろんなキャラになりきっていた私は、
家族と話すときでさえ、いろんなキャラで話したりして、
私に戻れなくなっていたようだ。
たぶん、今で言う、統合失調症のような状態だったのだろうと思う。
さすがに、両親も心配したようで、私は、知らないおばあさんのところへ連れて行かれた。
たぶん、霊能者のような人だったと思う(笑)。
そのおばあさんは、私の周りでいろんなことをしていたけれど、
それが終わると
私のほうを目を閉じて、しばらくじっと観ていた。
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