徳を積みながら生きていけたら。

外国で4人の幼い子供たちを守りながら生きてきた私は、自分の家族の幸せだけに集中することが精いっぱいだった。他の人の幸せを喜んであげることはできても、誰かのために何かをしてあげるという心の余裕はなかったようなきがする。

日本にいれば、いやでも周りの人のためにやらなければいけないことはたくさんあるが、外国で暮らしていれば、いやならやらなければいいという気楽さがあるので、それが心地よくて外国で暮らしている日本人もたくさんいると思う。私もその心地よさを楽しんでいた一人だとおもう。

だけど、短期滞在とかではなく、実際にアメリカに根を下ろして暮らしてみると、地域の人のために一生懸命ボランティア活動をしているひとたち、多くのお金を寄付をする人たち、中には自分の収入の中から、10%を教会の寄付におさめているという人たちがたくさんいることに驚く。また国の政策も移民の人たちに至れり尽くせりであることがわかる。

そしてとても不思議なことに、人のために何かをしている人たちというのは、世の中とかその地域社会で成功している人がとても多い。成功しているから何かやっているというより、人のためにもともとなにか自然にやっているから成功しているという感じなのだ。

そして、その寄付されたお金をありがたいと自分の成長することにつかっている人は別として、当たり前のようにそれを受け取っている人たちは、なぜかいつまでたってもそういう生活から抜け出ることができないようになっている。

日本では昔の言葉で ”徳を積む” という言葉がある。人が喜んでくれることを喜んでやりつづけることをいう。そして人の喜びを自分の喜びとする。

今まではそういうことをしていたら自分の人生がなくなってしまうのではないかとおもっていた。実際日本に暮らしていた時、私はまだ若くて周りの人に翻弄されてしまった経験が何度もあった。自分というものがなくなってしまうようなきがしていた。自身がなかったのである。

だけどちょっと深く考えてみると、私は自分だけが幸せになって、私の周りの人がみんな幸せではない状態でうれしいかと考えてみたら、それはやっぱりうれしくないのである。自分も笑顔でいたいように周りも笑顔でかこまれていたい。

それでは、自分の幸せを追求しながら、ひとの幸せのお手伝いもするためには私のようなふつうのひとはどうすればよいのだろうか?

それはほんの小さなことから始めてみるということではないかと思う。たとえば、誰かのドアを開けてあげる、荷物をもってあげる、淋しそうにしている人の話しを聞いてあげる。なんでもいいので、自分の時間の5%から、人の笑顔のために役立てる。そして、もっとできるようになったら、少し時間をふやしてみる。何かの宗教とかではなくて、ただ自分も幸せな気分になるからという理由でもいいと思う。

お金をたくさん稼げるようになったら、寄付もしてみる。自分が稼いだお金がだれかの役立っているとわかるときっとうれしい気分になると思う。

今までたくさんの人にいろんなことをしてもらって、ここまで生きてこれたことに気が付いた時、この世界には自分が所有しているものなんて本当は何もないのではないかと思った。家だってお金だって人間関係だって、この世界からいただいたもので、自分がこの世界をさるときにはすべておいていかなければならない。今だけの預かりものなのだ。

それでは、何が一番大切かというと、なくならないもの、その人の行動というもの、そのひとがどういう風にこの世界で動いたかという行動、生き方だと思う。そして、その生き方の中で、一番大事なことはどれだけ自分を活かして、ほかの人たちを照らすことができたかということ、そういうことではないかと思う。

そこまで考え付いた時、私は自分と同じように50代以上で、もう人生をあきらめている人たちを元気で美しくしたいとおもった。外見が美しくなれば、人間は元気になれる。歌もうたえるようになる。

私はこれから、一人でも多くの人と,、年をとっても美しく元気に暮らす生き方をしていこうと思う。

そして、私なりの徳を積む人生を歩いていきたい。





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