もし会話の苦手なサラリーマン研究者がアナウンススクールに通ってラジオDJを目指したら①

 僕がラジオを意識して聴くようになったのは、小学校5年生だったと思う。当時実家で初めてCDラジカセを買い、弘前のツタヤで毎週のようにCDをレンタルしては聴いていた。そのCDラジカセでラジオも聴くようになる。

 当時から実家でよく聴いていたのはFM青森である。FM青森は周波数が80.0MHz(東京FMと同じ)とわかりやすく、また音もよかった。日曜日、今でも続いている山下達郎さん、福山雅治さんの番組や、松任谷由実さんの番組をよく聴いていた。

 中学生になると、小遣いでビクターのMD付きCDコンポを買い、より一層ラジオを聴くことになる。特に定期試験前は夜10時から深夜までラジオを聴いていた。その中でもよく聴いていたのは、東京FMの「赤坂泰彦のミリオンナイツ」だった。赤坂泰彦さんは曲紹介がムチャクチャかっこよかった。また選曲も、ヒットソングに偏ることなく、オールディーズを積極的にかけていた。毎週火曜日に放送されていた「うさんくさいポップス」という珍盤、奇盤を紹介するコーナーもおもしろかった。最終回は確か中3の頃で、赤坂さんが泣いていたのを今でも鮮明に記憶している。まさに、僕の中学時代を代表するラジオ番組だった。

 また、時々AMも聴いていた。その頃はニッポン放送では荘口アナウンサーや、LFクールK(今の垣花正アナウンサー)のしゃべりがおもしろいと思っていた。今ではお二人とも落ち着いているので、僕も歳とったなと感じている。(特に垣花さんは現在朝の番組を担当されているので)

 高校も同じようにラジオを聴いていたが、特に東京FMの夜10時台は、やまだひさしさんのハイテンションぶりについていけなくなり、しばらくラジオを離れることになる。大学生の頃もラジオは聴いていたが、あくまでラジオというのは集中して聴く物ではなく、車の運転中にBGM代わりに流して聴くものになっていた。

 改めてラジオを意識して聴くことになるのは、社会人として茨城に来てからである。当時、茨城北部は東京FMやJ-WAVEがほとんどといっていいほど受信できず、やむをえず地元AM局の茨城放送を聴いていた。

 やむをえずとはいえ、土曜日の茨城放送を聴くと本当におもしろかった。まず午前中の「カビーとクラッチのどうよ」。鹿原アナウンサーのマニアックでかつおもしろい話、そしてアシスタントの倉田さんとのかけ合いがおもしろかった。そして、僕が初めてラジオにメッセージを送るということをしたのもこの番組である。確か「方言をしゃべる自販機」で投稿をしたと思う。偶然にも?鹿原アナウンサーの好評を得ていたのを記憶している。この頃から、僕はラジオ番組にメッセージを送るようになった。

 午後の番組「さてはトコトン恭ノ助」、後の「恭ノ助のココに語れば」もおもしろかった。恭ノ助さんの巧みな話術と、安藤かおりさんのかけ合いがおもしろいなあと思っていたが、番組の企画、例えば「ちあきなおみ」の特集とか、「居酒屋ランチコール」といったコーナーもおもしろいと思った。ラジオ番組の企画の中身に関して、初めて意識した番組だった。

 そんな僕は、3年前茨城放送アナウンススクールに通うことになる。きっかけはコミニケーションの苦手な自分を変えたいと思っていたからである。いざ入学すると、僕以外は全員女性で、しかも僕より年上の方が多かった。本当に1年間勉強していけるだろうか?僕はそう思った。

 しかし、いざ授業を受けてみると楽しかった。最初の半年間は発声練習がアクエント練習がメインで一見単調であったが、おもしろかった。日本語は奥が深いと思った。また、飯田校長の落ち着いているようで気持ちのこもった指導、そして日本語に対する知識とプロ意識には驚いた。毎朝5時にNHKのラジオニュースを聴き、アナウンサーのしゃべり方のチェックしているというのだから、やはりすごいなあと思った。

 10月を過ぎるとお姉様方(?)とも仲良くなった。当然茨城出身の方が多かったので、よく茨城のことを聴いては勉強していた。そして3月、オーディション(とはいっても実質は最終試験)を受けて終了となった。まだこの頃はラジオでしゃべりたいとは全く思っていなかった。

 この頃出会った番組が、J-WAVEのロケットマンショーである。僕が初めて聴いたのは土曜日の茨城放送での放送である。この当時、茨城放送では本来4時間の番組を3時間に編集して録音で放送していた。

 この番組のパーソナリティー、ロケットマンことふかわりょうさんは、テレビとは異なり、独特の感性で社会の出来事に対する感想を述べていた。また、リスナーからのメッセージに対して、真剣に考えて意見を述べることに対しても共感が持てた。また、まじめなトークだけでなく、うなずき役?のシリトシさんとの軽妙なトークや、ヒトコトリミックスといったネタコーナー、そしてセンスのいい選曲など、4時間通して聴いても飽きさせない仕掛けがあって、これはすごいラジオ番組だと思った。

 聴き始めてから約1年半後、僕はふかわさんに「目標はラジオパーソナリティなること」というメッセージを送り、番組で紹介された記憶がある。そのときのふかわさんの反応は、「とにかく苦しめ」とかいう反応だったと思う。

 このメッセージが読まれてから2週間後、東日本大震災が発生する…

著者の木村 隆之さんに人生相談を申込む

著者の木村 隆之さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。