一生、下半身麻痺と診断された父との約束

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「鉄棒と水泳は俺がもらってもいいか」


父と2人で飲んだときに、言われた言葉だ。

鉄棒と水泳をどうしても孫に自ら教えたい。それを予約させてくれということだ。



父はアクティブでワイルドで、一カ所にジッとしていられない性格だった。

朝から川に行って魚を捕ってきたり、山で何か採ってきたりしていた。

公立中学の教師をしていたが、50代になっても運動会のリレーで走ったりしていたらしい。孫と公園で遊ぶときもダッシュしている。


教頭先生になったものの、何の仕事をしているのか聞くと、

「体育館の壁をなおす」「門をなおす」などと返ってくる。

それって、外注したり、用務員さんの仕事なんじゃ・・・

事務仕事よりも、そういう身体を動かす仕事の方が向いているのだ。


2013年7月

父が60歳の還暦を迎えたので、お祝いをした。

個室で酒を飲んだ父は、聞いてもいないのに、

「俺は逆立ちができる!」と言い始め、個室内で逆立ちをし始めた。

「一緒にやろうぜ!」と誘ってまでくる始末だった。

還暦のお祝いに3代で逆立ちをしている家なんてあるのだろうか。


父、寝たきりになる


そんな父が腰痛で寝込み、仕事にも行けなくなった。

原因を聞くと、校舎の修理ではしごから落ちた云々・・・

ギックリ腰みたいなものだろうか。

整形外科にも診てもらっているとのことだ。

少しは大人しく寝て休め、と言った記憶がある。


そこから父は寝たきりになった。


2014年1月

正月だし実家に行くか、と弟にメールをした。

実家では、父、母、弟の3人が暮らしている。

しかし、弟からは、「今はそんな状況じゃない」との答えが来た。

父の腰が相当に悪いらしい。


様子を見に行くと言うと、私一人で来るなら良いということだった。

どうやら、格好悪い姿を孫には見せたくないようだ。

実家に行くと、2階の寝室ではなく、1階の居間に布団が敷かれ、父が寝ていた。階段を上るのも難しい状態だった。

整形外科から薬をもらっているものの、あまり効いていないようで、近くの整体師に出張してもらって、腰を揉んでもらうとラクになると言っていた。

この整体師は私の同級生で、大雪の中も歩いて実家に来てくれていたらしい。

大学病院みたいなでかいところで診てもらったらどうか、という提案もしたが、色々と行けない理由を説明された。

とりあえず今のままで様子を見ることになった。


家、塩とトマトと煙まみれになる

2014年2月下旬。

その整体師の同級生からメールが来た。

内容は、父の状態についてだが、脈拍がどうの、「このことは伝えておかないといけないと思ってメールした」と書かれてある。

脈?

伝えておかないといけない?

文章の節々に緊急性を感じたので、一人で実家に駆けつけてみた。


玄関を入ると、煙い。むせる。

1階の居間には、布団が2つ並べて敷かれており、父の隣には母が寝ていた。

介護状態が続いており、夜中でも面倒を見るために隣で寝ているらしい。

そして、布団の周り、部屋の隅には、大量の塩が袋に入れられたまま積まれていた。30パックくらいはある。


えっと・・・

「とりあえず、この煙は何?」

母は言い始めた。

「私たちは、お父さんの腰を、お灸で治すことに決めたのよ」

お灸の匂いだったようだ。


「お灸?何でまた?」


「病院に行っても良くならないし、整体の○○君も一度病院でレントゲンを撮ってもらえって言うし。もう頼れるのはお灸だけなの」


「じゃあ、その塩は?」


「お灸の先生から買ったのよ。塩を枕元に置いておくと良いんだって」

枕元だけではなく、布団を取り囲むように並べられている。

塩を買った経緯や値段を聞くと、騙されて大量に買わされているという感じではないものの、お灸しているどころではないだろう。


「というか、ちゃんと食べてるの?」


「身体の中からキレイにしなきゃいけないから、トマトだけ食べてるの」

キッチンに置かれた皿の上にはトマトの輪切りが並んでいる。



いや、もう絶対ダメだろ、これ。

父の症状を聞くと、痛みもあるし、入浴もできていない。それどころか下半身が麻痺するようになってきたそうだ。

で、それを支える母も睡眠不足で思考ができていない様子だ。

「どう考えても、でかい病院に入院して検査してもらった方がいいって。

 その方が安心だろ?」

私がそう提案すると、母は答えた。

「お前に言うと、そう言われると思って、黙ってたのよ。でも、もう私たち決めたことだから」


何か微妙に敵視されている。

父が痛みをこらえて口を開いた。

「たぶん、これだけ痛いのは、骨肉腫しか考えられない。もし大学病院とか行ったら、もう俺はこの家に戻ってこられないんだ」

骨肉腫とは骨のガンだ。


2人が寝込んでいる部屋を出て、同居している弟とヒソヒソと会話する。

「おい、これおかしいだろ?お灸じゃ無理だろ。入院させた方が良いと思うけど?」


「うーん、整形外科でも診てもらってるし、母ちゃんもああだし。とりあえず、もう少し様子を見てみるよ」


「ちゃんと情報伝えろよ。やばくなったら救急車呼んだ方がいいって」


数日後、弟から、救急車を呼び、父が入院したとの連絡を受けた。


父、入院する


病院に行き、既に医師から説明を受けた弟と父から話を聞いた。

詳しく検査をしてみないと何とも言えないけど、どうやら、腰のあたりの骨が折れていたようだ。圧迫骨折の疑いらしい。

骨折?

それ、お灸でもトマトでもマッサージでも治らんだろ!?


父も栄養を取れたからか、元気な表情になり、コーラを飲んでいる。

水とトマトばかり食べていたからか、こういう不健康なものを飲みたくてたまらないらしい。

母は過労で倒れているので、当面、弟と交互に見舞いに行くことにした。

弟と初めて携帯メールのアドレス交換をする。

まあ、骨折部分を固定化すれば退院だろうと考えていた。

このときは。


父、告知される


数日後、弟からメールが来た。

「病院から電話があった。前立腺にガンがあって背骨に転移して神経が潰れたらしい。お父さん本人にも告知したとのこと。」

検査結果が出る日程で、家族に説明するので病院に来て欲しいと言われる。

指定された日時には、総合法令出版で書籍の打ち合わせが入っていたが、事情を説明してキャンセルにしてもらう。



母は過労のため動けず、弟と二人で病院に行くと、当然ながら父は元気がなく、食事もとれていないようだった。

本人も詳しい話はまだ聞いていないが、ガンだという悪い予感が当たって相当に落ち込んでいる。


夕方、日が落ちた頃、医師2名とソーシャルワーカーが病室に来て説明をしてきた。

・ガンの数値は極めて悪い

・背骨に転移し、神経がつぶれて下半身麻痺が生じている

麻痺が回復するのは難しい

寝たきりになる可能性が高く、よくて車椅子の生活

・長期間の入院はできないので、自宅に帰られないのであれば、終末型の病院に転院するか、老人ホームに入ることを検討して欲しい

・施設に入ることなどを考えると、早期に介護保険や身体障害者の申請をしておいた方が良い。

・そのための症状固定の診断書はいつでも出せる

症状固定とは、治療しても良くならないということだ

ガンについて適切な治療をすれば今すぐ命に関わるということはないが、下半身が動かないということは確定らしい。


医師たちが去り、静まりかえる病室。

弟は床にヘナヘナと座り込んでしまう。

呆然としている父に何と声をかければよいだろうか。

悲しむべきか、落ち込むべきか。


違うだろう。

自分の役割は。


「医者がそう言ったからって、決まったわけじゃない。」


「医者がダメだって言っても、治った例は山ほどある」

本で読んだ気がする。


「医療でわかることなんて大したもんじゃないんだから」

それは事実だろう。


「だから、とりあえず飯を食え」

栄養を取らなければ何も始まらない。


そんな現実逃避ともいえる発言をして弟と二人で病院をあとにした。


化学反応、起きる


帰りの車の中で、弟とは無言の時間が大半を占めたが、

「現実だから仕方がない。今自分たちができることをしよう。それしかない」

と、医者の言うことを前提に、描ける未来を話した。


寝たきりよりは、車椅子生活の方がまだ良いはずだ。まずそこまでリハビリだ。

実家の構造で車椅子生活は難しいだろう。

バリアフリーの家に引っ越す?

近くの老人ホームに入る?

ひょっとして、今、描ける未来の中で、もっとも希望があるのは、施設に入って、近くの公園で孫が遊んでいるのを車椅子から見つめる父。

そのあたりなのだろうか。

そんなシーンが頭に浮かんでくる。

父しか乗っていなかった車を処分したり、父が借りていた畑も返さなきゃいけないな、と弟と今後の役割分担についても話をした。

弟を実家に送り、帰り道。


渋滞がひどい時間帯に入ってしまったため、車が進まない。



運転操作が落ち着いていると、脳が勝手に映像を流し込んでくる。


孫が生まれて大喜びしていた父。

孫に高い高いをして笑わせていた父。

孫を追いかけてローラー滑り台の階段を全力で駆け上がる父。

一緒にサッカーをしていた父。


そんな2人の関係がずっと続くとは思っていなかった。

きっと、小学生にもなったら孫から「もうじーじとは遊ばない」と相手にされなくなるんだろうなあ、と冷めた目で見ていた。

「相手してくれるのはきっと今だけだぞ」と父に言ったこともある。


だが、まさか、父側の事情で2人の関係が変わってしまうとは思ってもいなかった。最後に2人が遊んだ公園でのシーンが浮かぶ。


そのとき、車内でGReeeeNの「両親への手紙」という歌が流れた。

ランダム再生していたスマホがこの曲を選んだ。

結婚する娘から両親に手紙を送る歌だ。

親が見守ってくれていたこと、親が叱ってくれた意味、親の愛

それらにありがとう

という内容の歌詞が車内に次々と流れる。


嗚咽


それは突然来た。化学反応のように。


ぐふっ

という声が出てしまう。

視界がぼやける。


これはまずい。

何しろ、運転中だ。

渋滞していて、車をどこかに停めることもできやしない。事故など起こしたら面倒なことになる。


歯を食いしばる。

ハンドルを強く握りしめる。

上をにらみつける。

そうしてあふれ出る涙を少しでも減らす。


前の車が少しずつ進んだ。

アクセルを踏まないと。前に進むために。


----------------------

幸い事故を起こさずに家に着いた。

自分の身体にこんな事が起こるとは驚きだ。

病室や弟との車内で泣かなくて良かった。一人の時間に起きたのが幸いだった。

誰にもばれずに済む。


そう思って、家に帰ると、妻の第一声は

「泣いたの?なんて言われたの?」

だった。


2秒でばれた。

滅多に涙を流さないため、泣いたら目の状態でばれてしまうと、このとき知った。

今後のために、泣いても目を腫らさない方法を検索しておこう。


父、弱る


告知された直後の父は、弱気だった。

下半身の感覚は全くない。夢ではないのだ。


「お前たちには伝えておかなければ」と「石井家の系譜」みたいなメモを渡された(誰と誰の仲が良いとか悪いとか、祖父の酒癖とか・・・)。


孫を残して自分が死ぬというストーリーの絵本を出すと言い出したりもした。

父が絵を描いているところなんて見たことないが?というツッコミは置いておき、少しでも前向きになるよう「死んだと見せかけて生き返ったって話にしようぜ」と伝える。


リハビリにも前向きにさせなければならない。

寝たきり状態から車椅子生活にするにも、本人の努力が必要なのだ。

「ここから回復してくれよ。そしたら、俺が今書いている本に、その話も出せるからさ。夏くらいまでに歩けるようになってると原稿的に助かるな」などとその気にさせる。


仕事関係の人がお見舞いに来てくれる。

だが、父の状態を見て、泣き出してしまう女性もいた。

仕事中に動き回っていた父とのギャップが大きいからだろう。

ただ、泣くなら病室の外でやって欲しいと思ったりもする。

父は前を向かなきゃいけないのだ。


平成26年3月下旬。

父は教員の仕事を退職する。

仕事人間で、有給消化率が絶対に低かった父は、病室で定年を迎えた。

自分の身体よりも、職場を気にしているようで、退職の挨拶で同僚にお菓子を配りたいと言い出す。

それどころじゃないだろうに、と思いつつ、学校の職員室に大量のお菓子を届けた。

その際、父が職場に置いていた私物も引き上げる。

校舎などを直していたと言っていただけあって、大工道具とかチェーンソーみたいな道具を受け取る。



銃刀法的に大丈夫だろうかと不安になる。


父、車の処分に反対する


少しずつ、父の気持ちも前向きになってきた。

リハビリの時間外でも、病室内で握力を鍛えたり、感覚がない足を動かそうと意識を集中させたりするようになった。

「ちょっとだけ指が動くんだよ」と言ってくる父。

「おお、すごいな」

下半身麻痺には変わらないから、焼石に水だとは思いながらも、父の気持ちを奮い立たせなければならない。

少なくとも寝たきりから車椅子までたどり着かねばならない。


症状固定の診断書をもらい、介護保険や身体障害者の手続をする。

父のリハビリも車椅子での運動が始まる。

やはり車椅子生活が現実なのだと思い知らされる。

そのうちに、ベッドから上半身を起こし、身体を滑らせて車椅子に移動させる動きができるようになった。

これで、病院内を車椅子で移動でき、自販機や売店にも行けるようになった。



行動範囲が広がったからか、よりリハビリをやる気になる。

たまに、足がビクッと反応したりする。神経を集中させているようだ。

車椅子での生活になることを前提に、父が借りていた畑を明け渡した。


さらに、誰も乗らないであろう車も処分しようと父に提案した。

しかし、父は反対した。

俺はまた歩けるようになるんだから

と言うようになった。

自分に言い聞かせるかのように口にする。

さすがに車の運転は無理だろうと思いつつ、車検時期までは保留にしておこうかと決める。

最初に治るかもって言っちゃったのは私だし。


2014年5月。

父の下半身が動くようになってくる。歩行器を使って立つ練習も始めた。

まだ感覚が戻らないらしいが、片足は意識をすると少し動かせるらしい。

主治医も驚きを示すようになった。


父が主治医に質問する。

退院した後、歩けるようになったら、尿管をどのタイミングで外せるのか、などを聞いていた。

主治医も「そこまで行けるか分からないけど、石井さんの場合は、特別だからなあ」と一般的な方法を説明をしてくれる。


この頃、症状固定という診断であれば、受給できる年金があることを知った。

そこで、年金受給用の診断書を作ってもらったら、「治癒の可能性」欄には「未定」と書かれた

症状固定=治らないと言っていたのに、未定になっている。これでは年金はもらえない。

父に診断書を取り直すか聞くと、「いいよ、たぶん治るから」と言う。


車椅子生活なら、父は施設に入るしかないと思っていた。

実家は全くバリアフリーではない。廊下も狭い。玄関までに20段くらいの階段を上らないといけない構造だ。倒れた母に介護は無理だし、弟だって大変だ。


しかし、この頃から、弟が、父が家に戻るための動きをし始めた。

「できるなら、戻ってきて欲しいと思っているんだ」と言い始める。

いつの間にか頼もしくなっていた。

弟は、ソーシャルワーカーと打ち合わせ、どうすれば自宅の構造で生活できるかを考え始めたようだ。

階段は車椅子を滑らせる機械を使えば上り下りができる。いつの間にか研修も受けていた。

居間に介護ベッドを置けば、生活はできるという結論になった。


ただ、この生活では、弟が実家に縛られてしまう。いつか家を出たくなることだってあるだろう。そのときに、父の介護に縛られてしまうのではないだろうか。

そんなニュアンスの言葉で弟の気持ちを探ったら、

「兄ちゃんの言うように、夏までに歩けるようになるってのも、あながちなくもないかもね」

あっけらかんと答えてきた。


父のリハビリへの前向きな態度を見て、病院からの帰り道に感じた。

医者から一生、下半身麻痺と言われても、気持ちを奮い立たせ、周りの考えも変えてしまう。そんな父の行動は、世間に勇気を与えてくれるに違いない。

勇気をもらえた。この話は、自分が孫に語り継いでいこう。

そんな美談にまとめてしまう自分がいた。


だが、父の物語は始まったばかりだった。


父、家に帰る


2014年6月。

これ以上は、入院が続けられないということで、退院。

父は実家に帰り、車椅子生活となった。


リハビリは、週1回のデイケアでおこなうことになった。

しかし、父は、自宅でもリハビリの運動ばかりをする。

歩行器を使って、手の支えをせずに立つ練習。

それができたら、歩行器を使って足を動かす練習。


定期的に実家に様子を見に行くたびに、父の症状は回復していった。

歩行器を使って歩けるようになった。

家の中の段差がとにかく厳しいらしい。


また次に行くと、

杖をつけば歩けるようにもなっていた。

「あれ、尿の管はどうした?」

「ああ、もう取ってもらったよ」

ちょっと足が悪いおじいちゃん、くらいの動きができている。


母が文句を言ってきた。

「聞いてよ。朝、何か車のエンジン音がすると思ったら、お父さんが勝手に運転してっちゃったのよ

「いや、ちょっと近くを運転しただけだよ」

万一、事故でも起こしたら、過失の程度が重くなるから止めてくれ、と釘を刺してはおいた。

が、言うこと聞きそうな雰囲気ではない。


次の機会には、実家の玄関が広くなっていた。

車椅子で階段を移動させる機械がなくなっている。

「ああ、もういらないからレンタルやめた」

孫に追いかけられ、ぎこちないが早歩きくらいのスピードで歩けるようになっていた。


2014年11月

車の運転ができるようになった。

動きを見ていても、問題なさそうなので、もう何も言うまい。


2014年12月。

デイケアでのリハビリも卒業した。

車だけでなくバイクにも乗れるようになり、市外まで出かけるようになった。

立ち幅跳びの練習をしているらしく、60センチ。新記録70センチなどと記録を連絡してくる。

実家に行くとキッチンに立ち、孫にオムライスを作ってくれる。

「まだ膝が張っている感じで、正座はきつい」

いや、そんな61歳はたくさんいるから!


父は、宣告時の医師について、

「あのときの先生たち、ひどいよなー、もう俺、死ぬんだと思ったもん」

と今では笑い飛ばしている。


もちろん、定期的な通院は必要だが、「寝たきり、よくて車椅子生活」と言われた父は、ここまで回復することができた。医師の診断を覆してしまった


私自身、「医者がダメだって言っても、治った例は山ほどある」とは口に出したものの、この未来は描けていなかった。

未来はこうだと決めつけちゃダメだと良い意味で思い知らされた。


2015年1月。

下半身麻痺を告知された日、打ち合わせをキャンセルした総合法令出版さんより、本が出版された。

父の話も少しだけ書いたところ、無事、原稿に残された。


「ここから回復してくれよ。そしたら、俺が今書いている本に、その話も出せるからさ。」

親父よ、この約束は守った。


「鉄棒と水泳は俺がもらってもいいか」


今度は、そっちがこの約束を守る番だ。

さっさと孫を鍛えてくれ。


あと少しだ。



この話から学んだこと

・お灸よりもでかい病院に行く

・とりあえず前向きな反応をしておこう

・車の運転にはくれぐれも気をつけて。


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将来、自分が同じような状況になったとき、父の話を思い出し、気持ちを奮い立たせるため、ここに刻んでおきます。


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素晴らしいお父さんですね。諦めない心と努力が奇跡を起こすんだって思います。お父さんこれからも頑張ってくださいね。まだまだ若いもん

藤江さん、コメントありがとうございます!動けるようになると、やはり若さが戻るみたいです。61歳、まだ若いですよね。父にも伝えておきます。

(´;ω;`)ブワッ

感動しました。。病院の診断って、本当に絶対的な物ではないのですね。

溝部さん、コメントありがとうございます。私も、本などでは読んだことがあったのですが、ここまで違うのは本当に驚きでした。

お父様もご家族のサポートも素晴らしいと思いました!

実は私の父もある症状を治す為に手術が必要なのですが、成功確率は50%
失敗すると寝たきり、車椅子になると言われており、手術に踏み切れずにいます。

もし万が一そのような状態になっても前向きに、ポジティブにサポートしようと思います!
このストーリーに出会えて良かったです。

黒川さん、ありがとうございます!人間の持っている力はすごいですよ。言葉一つでも違ってくると思いますので、前向きなサポートをしてあげてください!

病は気からですね

人というのは、目標をなくすと力をなくす。でも、前向きにやればできるという気持ちさえ出来上がると人それぞれですが目標を達成してしまうことがあるんですね。一病院の診断を信じてしまうのも怖いこと。セカンドオピニオンを受けるようにしたいですね。

石井 琢磨

弁護士 http://sagamigawa.blog73.fc2.com/ 『めんどうな人をサラリとかわしテキトーにつき合う55の方法』(総合法令出版)著者。 弁護士。幼少時から家族が次々と壺を買わされ、自身も絵画・会員権を買うよう個室で長時間取り囲まれるという、ダマされ環境で育つ。平穏な生活を脅

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石井 琢磨

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