貧困について思うこと

「神様が良い方なら、どうして貧困がなくならないのだろう」
およそ5年前、友人が投げかけたその素朴な質問に、クリスチャンになったばかりのわたしは答えることができなかった。そしてこの問いは、アメリカでの日常生活、アフリカに住む家族との会話、南米旅行の途中などふとした場面でわたしをとらえ続けてきた。
新しい大きな家や豪華なビルの横の道路で、信号ごとに立って小銭を乞うホームレス。一つ角を曲がるだけで肌で感じる貧富の差。もちろんそれぞれの事情があると思うので、一概には言えないけれど、努力だけでは越えられない壁を感じることがある。
貧富の差は昔からあれど、どうしてここまでひどくなったのか。
今、わたしなりに答えてみるとすれば、それはわたしたちのわがままな思い「貪欲さ」と「与える心」の欠如だと思う。
聖書の神はモーセに、収穫する人は、収入を自分たちで独り占めするのではなく、周りの貧しい人にも残しておくべきだと言われた。
「あなたがたの土地の収穫を刈り入れるとき、あなたは刈るときに、畑の隅まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂も集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」(レビ記23章22節)
フランスの画家ミレーの油彩画「落穂拾い」を思い出してもらいたい。題名の通り、彼らは収穫しているのではなく、収穫後の落ち穂を拾っている。後ろには積まれた穀物の束が見えるので、きっと豊かな農夫が残しておいたものと思われる。
この精神が薄れてしまったのが、自分を含め、現代の多くの人の問題だと思う。
では、少しでもこの問題を解決するにはどうすればいいのか。収入を得た時に、必要が満たされていない人のことを覚えて少し寄付するというのはどうだろうか。
初めは自分のこともまだまだなのに…と躊躇したが、少し無駄遣いを減らすだけで、誰かが笑顔になると思うとやる価値はあると思って参加し始めた毎月の寄付。
個人的には、ワールド・ビジョンの「すべての人々に何もかもはできなくとも、誰かに何かはできる」という精神がとても気に入っている。
わたしは、この素晴らしい世界を造られた神様が良い方だと信じ、またわたしたちがこの与える精神を持ち続ければ、いつか貧しい者がいなくなると期待して行動することを選んでいく。
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七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない。その免除のしかたは次のとおりである。貸し主はみな、その隣人に貸したものを免除する。その隣人やその兄弟から取り立ててはならない。主が免除を布告しておられる。外国人からは取り立てることができるが、あなたの兄弟が、あなたに借りているものは免除しなければならない。そうすれば、あなたのうちには貧しい者はいなくなるであろう。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えて所有させようとしておられる地で、主は、必ずあなたを祝福される。(申命記15章1−4節)
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