風刺のことで、今回はこの件を考えて見たいんだ。思想の争いについてではなく、単純に。

今回のことで大事なことを学んだ。

人質問題について、少なくとも言えるのは、捕まえたあちらも死ぬ覚悟はできてるんだろうなってこと。それに、助けるにはどちら側かを死なせるつもりでことに当たらなければいけないのかもしれない。テロに屈さない。それが国連の姿勢なのだし金銭や要求に応えることは難しいだろう。けれどもあれだけ喧嘩を売っておいて、あちらも全員が全員、武力制裁の可能性が0だと考えているお気楽集団なのだろうか。それに組織である以上、表に出てくる人たちは、裁量ひとつで組織内で処分が下らないとも言い切れない。天秤にかけてるともいえるのかなってこと。結局はどっちかが死ぬんだ。道連れかもしれないけど、選択肢としては。

その前提は、一応頭に入れておこうと思ったよ。

多分もう、うんざりするくらい繰り返されるだろう事件について、自身が身構えられることはこれだけだ。

お偉いさんの、いや、世論の(むつかしく言い換えるならば『ビック・ブラザー』の。もしくはそれ以上に猛威を振るう『リトル・ピープル』の)「誰が悪い彼が悪い」という話をうっかり耳にする度、気分が悪くなっていたらキリがない。

ここいらでひとつ、自分の「こういった件」に関する姿勢、というのを、試しに固めてみる。それは身を守る手段としては、悪くないんじゃないか。と、私は思ったのだった。

とりわけペシミストでもないし、日本が嫌いなわけでもないけれど。きっと、これまでのパターン等からして、日本政府は、人質の方を助けには行けないだろう。身代金も、介入も無理だ。どんなに親御さんが役に立つ方だ、と「熱弁しても」それは変わらないのだ、と思うと、本当に、「ただ」痛ましく思う。

大どんでん返しが起こらねばむつかしいだろう。アメリカがバババババ、と銃を乱射して突入、というのがわかりやすい図式ではなかろうか。どこがやるにせよ、概ねそんな感じで、自身が武装した相手に対して生き伸びる為には、そういかざるを得ないのではないか。本能として。一種の生物として。それこそ「説得」の、知恵と理性。そして我々は社会的動物・ソーシャルアニマルなのだという自覚の上で成り立つ社会間での心理、慮りと科学のせめぎ合いの構築の洗練を重ねた、そうして初めて得られる説得、対話の技術がなければ、それは単にお茶を濁す程度の「お話し合い」になってしまう。

けれど持ち得たとして、戦場でそれは、どれだけちっぽけなものだろう。

もう、いいかげんに耳を塞ぎたくなる。誰が悪いとも言いたくもないし、何かしてよくなるものでもない、とわかるくらいには歳を取り過ぎた。

死刑反対がどうだ、とか、命の尊さがどうだなどと言うつもりはない。政治的、道徳的な態度をとるつもりは一切ない。

ただ「そこにはふたつの、違った性質をもつ立場の人間がいて、他方を助けようとするとき、他方の死の危険はある。立場の違いに依って」それだけだ。

これを思うのに、切欠になった話がある。言い回しも冒頭で引用した。アメリカのアニメ「サウスパーク」。

それは海賊についてのエピソードだった。某映画海賊に憧れてやってきて、一人の統率力のありすぎる少年によって順風満帆な海賊生活を送る子供たち。何故海賊になった?と言われ、自由になりたかった、宿題や学校がうんざりなんだ、と言う。そこでソマリアの海賊に、作中でこう言わせる。

「何故海賊になりたがるかわからない。学校に行きたい、それでお金を稼ぎたい、海賊は死ぬかもしれなくて怖い、でも自分がやらなきゃ家族や友達が死ぬ」

それでなんとも言えない顔になって、もう帰ろう、と子供の二人が言った次の瞬間、子供を人質と見做している国の軍が海賊たちを一瞬で殺す。そこで終いだ。

とは言え、サウスパークは「風刺」とはいえ一周して自国にも跳ね返ってくるような描き方をしているし、一事が万事この調子なので今更といったら、まあ今更ではある。それに趣旨はブラックジョークの感がある。教育番組では断じてないし、一応「今日は大切なことを学んだよ」などと主人公たちは言ってみるものの、それも皮肉めいている。教育番組になってしまったら嫌だ。(凡百の楽しめないものになってしまうという意味で。)

聞いたことがある。優れた風刺というのは、円になるのだという。相手への皮肉、自分側への皮肉も交え、おちょくり合い、廻り廻ってお互い様で着地し、ユーモアあるものが、スマートな風刺なのだと。

そういうものを楽しんで笑える場を、つまりは失くしたくないというわけだ。


けれど、これで「大切なことを学んだ」ところはあった。道徳観や事情は抜きにしても。

「人質を取り、身代金を取る側は、報いを受け殺されるかも知れない側に立たされてもいるのだ」ということを。

助けは来ずとも、あの地域にいれば、人質に取った側も紛争相手が来てきっと殺されるのだろう。少なくとも、遅からず。

風刺、といえば。これも風刺がらみの事件ではある。

そして風刺のコラなんかも出回った。これらに関しても、私は特にどう意見しようという立場にはない。ただ、向こう側の国の、テロリストだって、コラ画像(あれは風刺というよりも意趣返しなのか)を返してきた。割と生々しい、SNSを使って。あれには今まで報道には存在し得なかったテロリストの姿、同じようにふざけた、生きた人の息づかいがあった。

人殺しが喜ばしいとは決して思わない。けれど、そうした通信で、死とともに、相手もまた生きているのだと。生の気配も、また感じた。

ただそれだけを、そういうことを私は思った。

優れた風刺というのは、円になるのだという。相手への皮肉、自分側への皮肉も交え、おちょくり合い、廻り廻ってお互い様で着地し、ユーモアあるものが、スマートな風刺なのだと。

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