世界は苛立ちに満ちているのかもしれないという話の続き

今、自分がこんな境遇に陥っているのは、一体どこの誰のせいなのかと人々は苛立ちをつのらせる。

ただし、諸悪の根源を金融資本主義やグローバリゼーションに還元してしまうことは、決して生産的な行為であるとは言えない。これらの現象によって多くの人の雇用が創出され、その結果世界人口は70億まで増加したとも言える。ただ、それでも世界は苛立ちに満ちている。

このような現象に関わらずには生きていけないことは明らかな現実である。そこで、この現実の中で苛立ちに満ちた世界をどのように捉えていくかについて考えることは無駄ではない。自分が立たされている舞台はどのように出来上がっていて、そして、今、この舞台に共に立っている他者とは何者か?僕はそれを知らずして舞台に立ち、そこで何がしらの役割を担わされることには我慢できない。

せめて知りたい。

そして、できることならばもっとより良い形で世界に関わりたい。そこで、この苛立ちの成り立ちを考えるうえで、いくつかの例について考えてみたい。

1930年代のドイツ。人々が希望を託した19世紀以来の近代合理主義は、第1次世界大戦で人類が初めて経験した総力戦を可能にし、科学主義は機関銃、飛行機、戦車、潜水艦、毒ガスなどの新兵器の発明による大量殺戮を誘発した。戦争に敗れ経済が破綻したドイツでは、合理主義にも科学主義にも希望を見出せず、閉塞感に満たされた人々は、やり場のない苛立ちの中で思考停止に陥っていた。

この大戦の傷痍軍人で、画家志望であったオーストリアのアドルフ・ヒトラーという男は、閉塞感漂う当時のドイツで、その苛立ちの矛先をユダヤ人に向け、拠るべき価値観を喪失した大衆を幻惑した。その結末はここに書くまでもない。

戦後、ユダヤ人の「最終解決」実施の責任者であり、ヒトラーと同じファーストネームを持つアイヒマンという男の裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、この男の特徴を「思考停止に陥った凡庸な男」であると喝破した。つまり、想像を絶する所業を働いたこの男はどこにでもいるつまらない小役人であったというのだ。

ユダヤ人を片っ端から列車に詰め込み、強制収容所に送り込んだこの男が、救いがたい反ユダヤ主義と、底なしの悪意を持った悪魔のような男であったならば、その責任はナチスと彼個人の行為に帰せられる。つまり、ナチスを断罪し、アドルフ・アイヒマン個人を処刑しまえば問題は解決する。

多くの人がそれを望んだし、事実、復讐的な死刑が執行された。

しかし、自らもドイツ国籍を持ち、ドイツで生まれ高等教育を受けた亡命ユダヤ人であったアーレントは、このような大量虐殺が特定の集団や個人の責任に帰せられ、全てが清算されてしまうような結末にどうしても納得することができなった。

彼女はこのよう考えた(個々の事実については反論があるものの)。

何百万人ものユダヤ人がガス室に送られる状況の中で、その当事者であったユダヤ人は、なぜ羊飼いに導かれる羊のようにガス室に足を運んだのか?そして、昨日までの隣人であったドイツ人はその時、何をしていたのか?また、移送に協力的だったユダヤ人指導者はなぜナチスの命令に従ったのか?そして、なぜ世界はこの大量虐殺を知りながらそれを傍観していたのか?

もちろんアイヒマンの行為は許されない。しかし、この凡庸な男が「活躍」する舞台を作り出したのは、当時のナチス政権はもちろんのこと、被害者であるユダヤ人自身、その隣人であったドイツ人、そして、それを傍観した世界中の人々であったのではないか。これらの人々全てがその舞台を作り上げていたのではないかとアーレントは考察した。

まさに同時代人でありホロコーストの嵐を生き抜いたアーレントは、このように思っていただろう。

だって、あの時、多くの同胞は、恐怖におののきつつも、殺されるその瞬間まで従順だったじゃない。私たちの指導者の多くはしぶしながらも協力したじゃない。隣人であった多くのドイツ人も、見て見ぬふりをしたじゃない(彼女の師であり愛した人であったハイデガーも)。世界は、それを知りつつも何もしてくれなかったじゃない。

つまり、アーレントは、アイヒマンという一人の男の肉体にすべての罪を被せようとした当時の「世界そのもの」を告発しようとした。ユダヤ人も、イスラエル政府も、非ナチ化を宣言した西ドイツ政府も、旧連合国の人々も。みんなこのホロコーストに加担し、さらには状況によっては誰しもがアイヒマンになりうると。

もちろん、アイヒマンを復讐的に処刑することで自らの「脛のキズ」を忘れたいと苛立っていた人々は、アーレントの告発によってその機会を奪われた。その中でも、とりわけ激烈な反応を示したのは当のユダヤ人で、「ナチ擁護に走った」アーレントを糾弾した。多くの友人は彼女のもとから去って行った。

アーレント自身は、当然このような反応を予想していたように思う。

それでもなお彼女が「世界そのもの」を告発せざるを得なかったのは、価値観崩壊後のドイツで「何か」に苛立ちつつもそれを見極める努力を怠り、社会全体(加害者はもちろんのこと、被害者でさえも)が思考停止に陥り、その結果、辛酸を舐め尽したその人々が、また同じような苛立ちの中で絶対的な悪を仕立てあげ(かつては自分たち自身が絶対的な悪に仕立て上げられたにもかかわらず)、それにすべての罪を背負わせることでこの問題を「解決」してしまえば、結局、世界は何も変わらないのでは、と思い至ったからに違いない。

現在のパレスチナ問題を取り巻く状況を考えれば、残念ながらアーレントの「世界そのもの」に対する告発は有効に機能しているとは言い難いのだけれど。

それで、パレスチナの例を持ち出すまでもなく、僕たちは、僕たち自身のやり場のない苛立ちを熱源とする思考停止に陥らずにきちんと見極めようとしているだろうか?

(つづく)

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