過敏性腸症候群 3回目

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2011年から




 S県から帰ってきた私は荒れていました。


 そして翌年の2011年3月。私は電車の中にいました。


 母は職場にいながら、私のことを心配していました。


 テレビは連日、東北の状況を放送していました。


 どうしてこの時、東北に行かなかったのか。


 母に、「私の子供なら行ってほしかった」としみじみ言われて


 内心「お腹のことが心配過ぎて無理なんだ」と思ってました。



 



 そして同年10月、母はクモ膜下出血で急逝しました。


 48時間も持つことなく、そのまま逝ってしまいました。


 母の口癖は、私が子供のころから「疲れた」「もう休みたい」


 だったので、



 良かった、と、思っています。



 私が母の寿命を縮めたことは間違いありません。


 元気明るさや、思いやりとはかけ離れたところにいつもいて


 何もしてあげられないまま母を送ってしまった。



 今は、父の寿命を縮めないように、勤められている気がしないので、


 何かしたい。



 話は戻りますが、


 母の告別式の日。


 兄が隣にずっといました。



 私は、こんな時ですら、



 自分のお腹のことばかり考えていました。


 




 その時兄がいいました。



 「お前が考えてるほど、臭くない。気のせいだ、気のせいだ」



 




 父母に何百回も言われ続けた言葉なのに、なぜ。


 その一言が、大きな変化をもたらしました。


 またその後、防衛大学の胃腸科の先生にも「異常はない」と言われ


 さらに追い風になりました。





 思春期時代、ずっと我慢してました。


 友達と遊びに行きたい。


 普通に学校に通いたい。


 恋がしたい。


 親戚の人たちと普通に会って、近況を色々教えてほしい。


 家族を心配させることなく、


 普通にまともに、優しく、思いやりのある…




 でも、この病気? もうわかりませんが、このお腹のせいで出来なかった。



 これまで、すべての乗り物に乗れず、(おならが勝手に出て後ろや周りの人を不快にさせてしまったら)



 人込みの中を歩くこともできず、(トイレの場所がわからない事が恐ろしい、

                歩きながらおならが出てしまったら)



 外食することも出来なかった。(座った瞬間おならが勝手に出て後ろの席の人を不快にさせたら)



 実際に、あったことなので、嘘じゃありません。


 冗談だったら、どんなに良かったか。




 でも、


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