ターニングポイント

憧れ

 小学生低学年くらいの頃、初めて母の仕事姿を見ました。
 それは、ニュージーランドに向かう飛行機の中でした。その時、笑顔で接客している母が、キラキラしていたのをなんとなく覚えています。その時の母は、人一倍輝いて見えました。
 母親の仕事のおかげもあって、幼い頃は、よく旅行に連れて行ってもらいました。旅先では、母が外国人と英語で会話し、母がいなければ海外に旅行へ行くなど考えた事もありませんでした。
 母は私の憧れなのです。英語も話せて、積極的で行動力に溢れる女性。休みには家事もこなし、私達の相手もしてくれます。

悔しさ

 私が大学2年生の頃、一週間ほど休みが取れたので、ずっと憧れだったニューヨークへ母と旅行に行きました。そしてこの時も依然として、英語を話すことが恥ずかしく、同時にいいたい事が伝えられないもどかしさもあって、結局全て母に頼っていました。小学生の頃は英会話に通ったり、中学生の頃は英検を受けたり、英語の勉強を頑張ってはいましたが、いざとなると恥ずかしさの方が勝ってしまっていたのです。
 この旅行で、私はとても自分が何も出来ないこと、頼りっぱなしで自立出来ていない事、英語がいつまでたっても話せるようになっていない事、様々な事に気づきました。これが、ずっと迷っていた留学の決意を後押しする事になりました。
 
 しかし、当時は、体育会女子ラクロス部に所属しており、留学をするには退部をしなければなりませんでした。その時の私は、何かを継続させ、根気強くすることは得意でしたが、新しい環境に飛び込む事はどちらかと言えば苦手でした。かなりの時間を使って悩み、チームメイトや先輩には自分でブレない決断が出来るまで一切話す事はありませんでした。そして、私が悩んでいる間に、何人かの友達はすでに留学を決めていました。これが、私の負けず嫌いに火をつけました。
 ついに、大学2年生の夏、一部昇格を目指していたチームに退部して留学したい事を告げました。同期を泣かせてしまったり、ミーティングをしたりと、先輩方にも多大な迷惑をかけました。でも、私はブレませんでした。英語が話せるようになりたい、自立したいという目標、そして大学を4年で卒業するためのラストチャンスだという事…全てが原動力でした。
 このときに決断した留学は、まさに人生のターニングポイントでした。

学んだこと

 留学中は、自分から発信することの大切さ、タフさ、フレンドリーさ、そして支えてくれている家族や友達への感謝、日本を誇りに思えるようになった事、新しい環境に恐怖心ではなくの好奇心を持てるようになった事、様々な国の人の価値観、違いを喜ぶ事など…本当に私の中身を一転させてしまった出来事の連続でした。
 今では、あの時留学を決めなかったらどうなっていたのかと考えると、怖くなる程です。
 今の私があるのは、留学中に出会った様々な国の友達、背中を押してくれた家族と友達、本当にいろんな人たちのおかげだと思っています。
 これからも日々、感謝の心を忘れず、初心を忘れず、前に進み続けていきたいと思っています!
(写真に写っているのは、今でも連絡を取り合っている、スペイン、ウクライナ、ドイツ、オーストリア、日本の友達です。)

ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者のIshiyama Megumiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。