内定ゼロのバンドマンが23歳でバレエを始めて劇団四季の主役になった話

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内定ゼロのバンドマンが劇団四季の主役へ


就活負け組の元フリーターが劇団四季で主役まで這い上がり、その後転落して野菜を抱えて飛び込み営業をすることになったが今は復活して講演家をして生計をたてているって言ったら信じてもらえるでしょうか?


僕はそんな、ちょっとスパイシーな人生を歩いてきた人間です(笑)


就活で一社の内定もとれずにそのままフリーターとなった僕が、大手企業の人事採用担当者の方々が集まる研修会で講演をさせて頂いた時に、このSTORYSのお話を頂きました。


僕の変わった経験が、このコラムを読んでくれた皆様の勇気に少しでもなれたら嬉しく思い、想いを込めて、書きたいと思います。


この記事の目次
1.どれだけ意識の甘い学生だったか
2.どれだけ中途半端だったか
3.状況を打開した最初の方法とは?
4.ドリームキラーを跳ね除ける方法
5.〇〇してたら一年で化けた
6.主役は断崖絶壁を命綱なしで登る心理
7.燃え尽き症候群になって自信損失
8.主役から、野菜を抱えての飛び込み営業の世界へ。
9.人生が拓かれていく秘訣とは?
10.内定が取れなかった学生が、大手企業の人事採用担当に講義しちゃった


どれだけ意識の甘い学生だったか

僕は1975年生まれで現在39才。現在は、講演や研修のお仕事をしています。

この年代は、とばっちり世代とも言われ、バブル崩壊の影響をもろに受けた就職超氷河期の世代です。


就職氷河期だから就職できなかった、というのはただの言い訳で、

・どうしたら華の大学生活が充実するか
・毎日を楽しく過ごせるか


しか考えていない、音楽に熱中しすぎて気づいたら就職活動を迎えてしまったという、いわゆる将来や仕事に対する意識が薄い学生でした。


突然髪の毛を短くして優等生になる周りの同級生達。一般常識やSPIという勉強を急に始めて、企業にとって都合の良い理論を急に身に付けようとしている同期達。



その姿がなんだか嘘っぽくて違和感を持ちつつも、流されるかのようにリクルートスーツを買って就職活動を始めたのでした。


僕の就活は、準備も勉強も全くしていない状態だったので志望動機すらまともに答えられないレベルのものでした。



就活生のA君
あぁ、早くどこか就職決めてあそびてーよ
就活生のB君
お前、何系受けてるの?
就活生のA君
え、〇〇系
就活生のB君
なんで???
就活生のA君
だって安定してんじゃん。

学食・ゼミで僕の耳に飛び込んでくるこんな言葉にますます違和感を持ちつつも業種を絞るわけでもなく聞いたことのある大手企業を受けて落ちるという日々を過ごしていました。


完全に甘えた学生だったのですが、さすがに自分を否定され続けると社会に対して反発心が生まれてきます。落ちまくると心も病んできますしね。


そんな時に、看板職人をしている親戚の叔父の家に泊まる機会がありました。叔父は沈んだ僕を察したのかわかりませんが「散歩しよう」と、日が沈んだ薄暗い街に僕を誘いました。


叔父は、ネオン管の入った輝く看板を指さし、

「あの看板はおじさんが作ったんだよ」
「あれもおじさんが作ったんだよ」
「おじさんの作品が街中に飾られているんだよ」

と嬉しそうに語ってくれたのです。


僕はその言葉を聞いて、自分の今の就活は間違っていると思いました。叔父のように自分の好きなこと・得意なことを仕事にしたいと感じたんです。


自分の好きな事で得意な事ってなんだろう?最初に浮かんだのが楽器演奏(ギター)でした。人から上手だねって言われることが多かった得意なギターを活かした仕事に就きたいと思ったのでした。


その時ぼんやり考えていたのは、バンドを組んで有名になるとかスタジオミュージシャン、ダメだったらギターの先生かなぁ程度でした。(ギターの先生に対してなんて失礼なのでしょう!)


そして社会の奴隷になってたまるかと、逃げるかのように就職活動を辞めてしまったんです。


どれだけ中途半端だったか。

そしてここから僕の中途半端さ・腹が決まっていない甘さが現れてきます。強がって就職活動を辞めると、とたんに不安になりました。


周りが次々と内定を決め始めたからです。そして将来の不安に猛烈に襲われた僕は、情けないことに就職活動をなんと再開したんです…。


そんな心境ですから、もちろん選考には通りません。顔が蒼ざめていたようです。


僕が当時住んでいた学生寮の寮長がそんな蒼ざめた僕を見かねて、地元の静岡にある旅行会社の就職を斡旋してくれました。いわゆるコネというやつですね。


僕は、ほっとしました。


そして、内定が事実上決まっている形式上の面接を受けに地元に帰ったんです。


しかし僕はその面接を受けて、今度は鉛を飲み込んだような重い気持ちになりました。担当した面接官や会社で働いている方々に元気がなく雰囲気がとても閉塞的だったんです。


こんなところで嫌々働いたらそれこそ社会の奴隷だ。やっぱり自分の得意な事、好きな事を仕事にする!

そう思って、なんと僕はそのコネを蹴ってしまいました。

※余談 当時の僕が、今、目の前に現れたら間違いなく僕はスリッパを脱いで上から頭をはたきますね。
もしくは下から鼻に指を二本突っ込んで1㎝くらい空中に持ち上げちゃうかも知れません(笑)。

寮長に報告した時の、怒るでもなく呆れるのでもなく、哀しそうな顔は今でも忘れられません。そして今度は完全に就職活動を辞め、不安を抱えたまま大学を卒業してフリーターとなりました。



いざフリーターとなると今度は現実を知ります。ギターが上手い人など山ほどいるんです!!


御茶ノ水の楽器屋さんで、メチャクチャ上手いデモ演奏をしている若者を見るだけで吐きそうになっていました…。



「井の中の蛙だった…」

そして、やりたい人・上手い人は腐るほどいるのに仕事はほとんどない事を感じ、さらにたまたま出会った音楽プロデューサーの

プロデューサー
君は人生の道を間違えてしまったねぇ…

この一言で、三か月ほどでギターをあっさりとあきらめてしまいました。


そこから、アルバイト先と27000円のボロ住まいを行ったり来たりする何をしたらいいもわからない無目的な生活になってしまったのでした。


状況を打開した最初の方法とは?

夢ややりたい事がはっきりしていて、その夢に突っ走れる人は素晴らしいです。


しかし、僕のように逃げるかのようにフリーターとなり、現実の厳しさを知って自分には向いていないと夢をあきらめ、もう後戻りができずに路頭に迷ってしまう流れは非常に厳しいです。


では、僕がどうやってその悲惨な状況を打開したと思いますか?


僕が状況を打開すした最初の方法は、
自分を変えたこと。一歩踏み出して行動してみたこと。でした。


行動により出会いが変わり、その出会いによって人生はいい方向へとどんどん導かれていきました。逆を言うと自分を変えようとせず自分の枠組みの中で納まっていたら何も変わらなかったと思うんです。


僕は、ふらふらと街を彷徨っている時、田舎に帰る言い訳ときっかけをさぐっていました。


そんな心境で迎えた23才の誕生日に、鏡で自分の死んだ魚のような眼と何かに怯えたような顔を見て衝撃を受けたんです。


「このままじゃ、やばい。人生の落伍者になってしまう」と。

そして、変わることを決意しました。


心が大きく入れ替わり光が見え始めて人生がいい方向へ進み始めた具体的な話があるのですが、後ほどじっくりとお伝えします。だから最後まで読んで下さいね。(焦らし3割(笑))


僕は、就職の事で親にも心配をかけました。
そして友達にも心配をかけました。
就職を斡旋してくれた寮長を裏切りました。


だからこのままじゃいけない!人から認められるくらいになろう!こう考えたんです。


その頃、たまたま新聞の片隅に俳優養成所のオーディションの広告を見ました。


どうして俳優なのか今でもよくわからないのですが、何かのきっかけになるのではないかと勇気を振り絞ってそのオーディションを受けました。つまり勇気を持って一歩踏み出したんです。



誰でも受かるそのオーディションに僕は受かり、貯金をはたいて入学金を払ってそこに入りました。そしてそこで妙に気が合う二人と出会いました。

すぐに仲良くなり、その二人が劇団四季の舞台を観に行こうと誘ってくれました。


その舞台で出演者の魂のこもったパフォーマンスを三階客席の一番後ろでみて僕は身体が震えるような衝撃を受けたんです。


劇団四季なんて幼い頃からバレエや声楽などの特別な芸術訓練を積んでいるエリートが入る自分とは関係のない雲の上の別世界だと思いました。


しかし、その友人二人が今度は「バレエを学ぶと身体の基礎ができるから」と劇団四季でバレエの指導をしている先生の個人スタジオに通おうと薦めてくれ、


勇気を持って一歩踏み出して門をくぐってみると更に衝撃を受けたんです!!

そこには、劇団四季に入るという夢のために、真剣なまなざしでキラキラと美しい汗を流す若者たちの姿がありました。「この環境に飛び込んで自分を磨きたい!」すぐにそう思いました。


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