【ぞうれっしゃがやってきた!④】

前話: 【ぞうれっしゃがやってきた!③】

 しばらくして動物園は,軍の兵糧庫とされた。殺処分の進んだ動物園は,だだっ広かった。そこにまとまった食料が運び込まれたのだ。飼育係達は軍の目を盗んで,フスマなどを持ち出し,ゾウに与えていた。なお,盗まれていることを軍の責任者も承知で見て見ぬふりをしたり,わざと食料をゾウの檻のそばに置き忘れさせたりしたという。

 これらの努力で生き続けていたゾウ達だったが,終戦の前年,「キーコ」は死んだ。終戦の年には「アドン」が死んだ。


 そして,戦争が終わった。全国の動物園には,動物がいなくなってしまった。しかし東山動物園には,大きな動物がいた。何とか生き延びた,「マカニー」と「エルド」だ。


廃虚からの復活〜「ゾウを貸して下さい」


 長かった戦争は終わった。東山動物園は多大な犠牲を払ったが,「マカニー」と「エルド」は生き残った。当時は全国の動物園から動物が消えていた。苦肉の策なのだろう,「スズメ」「ハト」「イヌ」「ネコ」などを檻の中に入れて,展示しているところもあった。もっと悲惨になると,「サル」と書かれた絵を貼り付けているだけのところもあったという。


 さてそのころ,戦後の日本に育てなければならないのは[民主主義]だと,GHQは考えていた。その取組の1つとして始まったのが【子ども議会】だった。これは,子どもたちの代表が集まり,自分たちの生活を改善させるためにどうすれば良いかを話し合うというものだった。民主主義は話し合いから,頭の固い大人よりも,変化を受け容れやすい子どもから…GHQは,そう考えたのだった。

 その【東京・台東区子ども議会】で,ある日,切実な要求が出された。動物が見たいというのだ。しかし当時,東京の動物園には,ほとんど動物がいなかった。上野動物園のゾウ「花子」「ジョン」「トンキー」は餓死させられていた。名古屋の東山動物園にはゾウがいるらしいということを知り,議会を代表して2人の少年と少女は,名古屋に向かった。


「ゾウを貸して下さい」

「東京の子どもたちは,ゾウに会いたがっています」

 しかし,彼らの願いは受け容れられなかった。すでに上野動物園の園長からの依頼すら断っていた東山動物園の園長は,首を縦に振ることができなかったのだ。東山動物園の北王園長は,ゾウが高齢・栄養失調で長旅に耐えられないことを告げた。

 その時,【子ども議会】副議長の原田尚子さんは,突然立ち上がり,泣き叫び出したという。

「私,このままでは,東京に帰れない!」と。

 その様子に心を動かされた園長はなんとかしたいと行動する。ゾウを運ぶためには,その巨大さゆえ,1頭ずつ別の貨車に乗せなければならない。そのために運び出す実験をしたところ,2頭のゾウは引き離されると思ったのか,大暴れをはじめ,遂には鉄壁に頭をぶつけて出血してしまった。生き残った2頭のゾウがお互いを大事に思う絆の強さを垣間見た子どもたちは,引き下がるしかなかった。


 しかし名古屋市長も北王園長も,子どもたちの願いを叶えてやりたいと考えていた。そして出した結論は,「東京にゾウを運べないのなら,全国からゾウを見る子どもたちを鉄道で運んできてはどうか」というものだった。

 課題は山のようにあった。なんといっても戦後処理もままならない頃の話だ。しかし関係者の折衝は,熱意を持って続けられた。当時の国鉄の強力なバックアップもあり,遂に特別仕立の列車が編成された。これが世に言う「ぞうれっしゃ」である。

 本物のゾウが見たいという,子どもたちの熱い思いが大人たちを動かしたのだ。「ぞうれっしゃ」運動は広がり,最終的には10万人規模の子どもを運ぶことになった。


 子どもたちの願いは叶った。物語はこれで幕を引くかと思われたが,大きなサプライズが,この後,待っていたのだ。


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