小学生のころ、友だちをいじめた話

5月も近くなって暑さすらも感じられるようになり、道端にはツツジがきれいに咲いている。眩いばかりの紅いツツジを眺めていると、小学生の頃、こんなきれいなツツジを横目に通学していたことを思い出す。

ところで、STORYS.JPにアップした「小学生の頃、先生にいじめられた話」がこのところ急激に閲覧数を伸ばしている。この話では、自分は被害者であったわけだが、正直に白状すれば、僕は傍観者であったこともあるし、加害者であったこともある。

僕が通っていた小学校では、1年生は町内ごとにグループを組み、安全のためだという黄色いヘルメットをかぶって集団下校を行っていた。

この通学団のメンバーには、成績も優秀で大人受けも良いS(女子)、気が優しくておとなしいT(女子)、製材所の脇に住むO(女子)、通りの商店街の商店の子R(男子)やY(男子)、保育園からの幼馴染のJ(男子)などがいた。

そして、隣の町内の神社の裏に住むP(女子)。今思えば、Pには軽度の知的な障がいがあった。

4月に同じ小学校に入って、ちょうど今頃のツツジが咲く頃には、通学団のみんなはPの様子が他の子と比べ少し違うと言うことに気がつき始めていた。それから、Pはみんなから些細なことでからかわれるようになり、それが罵倒に変わっていった。

このいじめを主導していたのは、成績も優秀で大人受けも良いS(女子)だった。特に女子に関しては、完全にSの雰囲気に呑まれ半ば支配されているような感すらあった。帰りの道すがら通学団のみんなから囃し立てられるごとに、Pはうつむき歯を食いしばって耐えているのだが、耐え切れずに嗚咽を漏らすと、わっとみんなが喜んだ。

僕も、みんなと一緒に調子に乗ってPを取り囲み囃し立てていた。ある日などは自分を主人公にした「キャンディ・キャンディ」の替え歌を楽しそうに歌うPをさんざんからかった。

そんなことが続いたある日、経緯は忘れたがSはPのランドセルを通学路横の側溝に投げ捨てることをYに命令した。命令されたYは泣き叫んで抵抗するPのランドセルを背中から引き剥がし、頭の上までそれを掲げ側溝まで歩いていったあと、放り込んだ。

Pのまだピカピカのランドセルは、茶色い水が溜まる側溝にさかさまにぐちゃっと落ちた。ランドセルの上部脇から頭を出していたこれまたピカピカの教科書やノートの真っ白な側面がみるみるうちに茶色の水に染まった。

あー、本当に落としちゃった・・・

調子に乗って囃し立てていた僕は、茶色の水に染まっていくPの真っ白な教科書やノートの側面を見て、今までの高揚した気分が一気に縮み上がった。これはやってはいけないことだとやっとわかり、後悔した。子どもは、自分がやっていることがどのような結果になるかを実際に目にしてなければわからない。

抵抗することにも疲れ果て、アスファルトの上にしゃがみこんで肩を震わせて泣き続けるP。

絶対にやってはいけないことをおもしろがって眺めていた僕。

そのあとYはなぜか自分が放り投げたぐちゃぐちゃになったランドセルを拾い上げ、無言でへたり込んで泣き続けるPの前に置いた。

僕の記憶はここでひとまず途切れている。

それから、通学団は自然と男子と女子に分かれて下校するようになり、僕は指定された通学路を通らずに、清水の脇の段丘の草道を登って遮断機のない踏切を渡る別の道を通るようになった。

ここを通れば、女子と顔を合わせることもないし、何よりも指定された通学路よりも早く家に帰れる。

それでも、ときどきは女子グループのPはもちろんのこと、TやOまでもが通学路に一人立ち尽くして泣きじゃくっている姿を幾度か目にした。事情を聞くとSから自分の姿が見えなくなるまで、そこで立ち止まって歩き出してはいけないと命令されたのだと言う。

馬鹿らしいことをしているものだと思い、そんな命令を守る必要はないことを言い含めて帰ったりしたのだけれど、Sに抗議を申し入れるという発想は最後まで起こらなかったし、Sを責め立てた記憶もない。

僕の中ではいまだにSは明るくて勉強も運動もできるいい子だ。

今にして思えば、Sは小学1年生にしてなぜここまで過酷ないじめを実行することができたのだろうか。おそらくは似たような仕打ちをSも以前に他の誰かから受けていたのではないか。そうでなければ、わずか7歳の女児がこんなひどいことを思いつき、他人にできるはずがない。Pはもちろんのこと、子ども時代のSの壮絶な日常を想像すると、何とも言えない気持ちになる。

話はここで終わらない。

小学校高学年にさしかかる頃、Pの家族は隣町に引っ越していった。

それから数年後、なんとYがPとその弟を連れて我が家に遊びに来た。バツが悪そうにYが説明するには、久しぶりにこの町に立ち寄ったので、子どものころ遊んでいた友だちを訪ね歩いているのだと言う。

Yと僕は何とも言えない気持ちになった。少し、立ち話をしてから女子の家にも立ち寄ってみてはどうか話すとPと弟はそうすると言って、歩き去った。Yと僕はお互いにほっとした表情をして、目を見合わせた。

実はYも「ランドセル事件」のことをはっきりと覚えていて、中2の当時、既にヤンキー化しオキシドールによって真っ赤になった頭を抱えてその場に座り込んだ。

「弟を連れて来たから、仕返しに来たかと思ってさぁ、2・3発くらいなら殴られてやろうと思っとった。オレたちあんなことしたのに、昔の友だちに会いたいなんてなぁ。」

さらに、Yが言うにはPに誰の家に行きたいかと尋ねたところ「優しかったマツイ君」の家に行きたいというので、連れて来たのだという事だった。

Pの記憶がどこでどのように改竄されたかはわからないが、Pに対して優しく接した記憶はない。

暖かく緩んできた空気の中で目も眩むばかり紅いツツジを眺めていると、ふと遠い昔の記憶が蘇り、何とも言えない気分になった。

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