地元から一歩も出たくなかった私が石垣島への移住きっかけに人生が様変わりした話

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【引越し編】



1。ふられた


まず、私がこの話で伝えたいことを書いておく。

ひとつめは、何かを失うことはこわくないということ。

ふたつめは、環境が変わることもこわくないということ。

みっつめは、付き合う人が変わると世界が広がるということ。


私はあと半年で30になる冬。当時4年くらい付き合っていた彼氏にふられた。



ちょうどその頃、弟の結婚が決まっていた。

私はとにかく気を紛らわせるため、仕事とバイトに打ち込んだ。 


わたし
わたしは、かわいそうじゃない。


自分がそう思っていても、周りは心配してくれる。

30手前で男に捨てられた友達。客観的に見たら、かわいそうだもの。


でも、私の中でその別れは、とてもほっとするものだった。

2年も前から関係は破綻していたが、お互いもはや「情」のようなもので繋がっていた。

私も彼にとって、彼も私にとって、「足かせ」のような存在になっていた。


だから、「彼女ができたからもう連絡してこないで」というメールを見た時に、

「これでやっと終われる」「やっと別れられる」

私はようやく新しいスタートラインに立てた気がしたのだった。


2。初めての沖縄


その直後、私はずっと行ってみたかった沖縄へ、友達と一緒に行くことになった。

別に傷心旅行とかじゃないけど。


沖縄の空気はとても自分に合うと思った。初めて行ったのにそんな気がしない。

私はきっとまた、ここに戻ってくるだろうと思った。


3。2回目の沖縄


2ヶ月後。私はまた沖縄の地にいた。今度の滞在期間は2週間だ。

私は仕事を辞めていた。


一週間、沖縄在住の幼馴染の家にお世話になり、

残り一週間はひとり、幼馴染がオススメしてくれた石垣島へ飛んだ。


そこで新潟から「沖縄行きたい!」と、母親も合流した。

意外とわたしのフットワークの軽さは、この母親から来ているのかもしれない。笑

 

今まで見たことのない、蒼い海に私は心から癒されていくことを感じた。

「私はここへ戻ってくる」


帰りの飛行機の中で、母親にそう言ったことを今でも鮮明に覚えている。


4。新しい命。


弟のお嫁ちゃんに新しい命が宿った。

私に初めての甥っ子ができる♡私はとっても嬉しかった。

が、実家における私の位置はどんどん微妙になっていった。


弟は所帯をきちんと持ち、安定した仕事につき、パパになろうとしている。

 

それなのに私は、30過ぎても派遣とバイト、そして派遣の契約期間満了とともにふらっと旅に出る。

そんな生活を続けていた。


世間的に見て、私は完全にアウトだった。

盆正月、親戚の家に行くのがこわい。

もちろんみんな私を心配してくれている、愛情からくるものということはわかっていたけど。それでも


親戚
彼氏はできた?
親戚
まだ結婚しないのか?


そんな質問がいつ来るのかびくびくしながら、

とはいえそれを顔に出さないように振舞うことは、かなりのストレスだった。


甥っ子が生まれたら、いよいよこの家に私の居場所はなくなる。

 

自分のどうにもできない「不甲斐なさ」を直視せざるを得ない現実を目の当たりにするのが、

急にこわくなった。


わたし
石垣島に引っ越します。


5。移住


そう決めて、周りに言ってしまったら、もう後には引けない。

すぐにネットで寮のある職場を探し、引っ越しの日程を決定し、黙々と準備を進めた。


超心配症の両親が一番のネックだったが、母親が石垣で合流してくれていたおかげで、あの島なら安心。

と意外とあっさり、1年の約束で島への移住を認めてくれた。


わたし
新潟市から一歩も出たくない!!


といい続けていた私が、沖縄本島どころか石垣島へ引っ越すと言いだしたことを、

両親はどう感じていたのだろう。その時の私に考える余地はなかった。



2月24日。

父親の誕生日翌日に、私は沖縄へ飛びました。



一週間ほど、再び那覇の幼馴染の家でゆっくりさせてもらい、

2月28日。石垣島へ引っ越し。

3月1日から私の新しい環境での、新しい生活が幕を開けた。


初めての一人暮らしのはじまりだ。

 

【友達をつくろう!編】



1。何はともあれまずは友達が欲しい。


以前石垣に来た時に泊まったゲストハウスに、数名の知り合いがいた。

島の初日はそのゲストハウスに泊まることにしていた。

21時過ぎにひととおり部屋を片付け終えて行くと、知っている顔がいて少し泣きそうになった。


そう。

私はこの小さな島に、ここにいる数人しか知り合いがいない。


寮は共有スペースなども特にない完全個室マンション型だったので、

住んでる人は同じ職場ではあるが、出勤時間はみんなバラバラ。

実際お隣にご挨拶に行っても誰も出てこなかった。


焦っても仕方ないけどさみしい。

その日の日記にはこう書いてあった。


わたし
久しぶりに(ゲストハウスで)お兄ちゃんとダンナさんに会えた~♡知ってる人に会えて、ほんっとに心から嬉しかった♪

しかも今泊まってるお客さんまで私の相手をしてくれて…消灯時間までた~っぷりゆんたくさせていただきました♡

そしたらなんか、すっごいほっとして、ちょっと泣いた………笑

自分がどんだけひとりじゃいられないのか思い知った石垣島一日目。

ほろ苦い。

でもあったかい。

ちょっと外にでて空を見あげたら、読んで字のごとく満天の星空がひろがってた。

昼間はさんごの海もすぐ近く。

やっぱりここがステキなとこにかわりはない。

一年はがんばる。

できる。

なんでも経験。

ツライサミシイのあとには絶対人のあたたかさを感じられる。

そういう人がいるしあわせ♡

生活は修行。
がんばれじぶん。

次の日からいよいよ出勤です。頑張って友達をつくろう!!


2。出勤


配属部署は島の結婚式に携わりたい。という私の希望で「宴会」。

ここでとんだ誤算があった。

女の子がいない。


しかもほぼ全員が島んちゅ(石垣島出身)の男性だった。

しょっぱなからハードルが高い。


部署が違うとなかなか友達をつくりにくい。

しかも島んちゅ男子はかなりのシャイボーイだ。

打ち解けるには時間がかかる。


私の予想では内地からの女子はここに移住してる時点でかなり私と価値観が近いはずだから、

出会えたらすぐに仲良くなれる自信があった。

なのに、その前に出会えないって・・・泣。

 

どうやらレストラン配属だったら女の子もいっぱいいたらしい。

そんな中、日本にあの大事件が起きた。

 

3。発熱


東日本大震災。

私が島に着いてすぐのことだった。島は全く地震の影響を受けず、その日の宴会の準備をしていた。


そんな時、職場の偉い人が

偉い人
東北で大きな地震があったらしい。

と、伝えに来てくれた。

偉い人
山崎さん、新潟だよね?
ご家族は大丈夫?


そんなん知らん。


家族とこんなに離れて暮らすのは初めてだ。心臓がドキドキする。

上司に促されて携帯を確認すると、すでに母親から連絡が来ていた。


東北で大きい地震があったけど、
とりあえず新潟は大丈夫です。
まみのいる石垣島には今津波警報が出ています。
気をつけていてください。


その日家に帰って早速テレビをつけると、地震情報一色だった。

私は次の日、39.3度の高熱を出し、まだ新しい保険証も出ていないのに病院へ行くはめになった。


友達は、まだいない。

一人暮らしの病気はとてもしんどいものだった。

 

4。初めての友達


しばらく女の子の友達はできなかった。

が、そのうちたまに「レストラン」へヘルプで行くことがあった。


その時、同じ新潟出身の女の子がいることを小耳に挟んでいたが、

すごいタイミング悪くその子は帰省していた。。。

 

待つこと一週間。ようやくその子が島に帰ってきた!

その子の名前は「ゆかちゃん」。私より10近く若い、お酒が大好きなキュートな女の子だった。

やがて帰りにロッカーで偶然一緒になったゆかちゃんが


ゆかちゃん
これからおうちであめきさんと
イタリア会(という名の宅飲み)やりますけど、
一緒に飲みませんか〜?

と、誘ってくれた。

わたし
・・・!!!も、もちろん行きます!!!
(泣いてもいいですか。←心の声)


石垣島で、初めて女の子の友達ができた瞬間だった。

おめでとう私!!!!!


5。楽しい島ライフ


友達ができてからというもの、私の島ライフは本当に本当に楽しいものになった。

芋づる式に新しい友達ができる。

沖縄は「いちゃりばちょーでー」文化がある。一度会ったら皆兄弟マインドだ。

 

勤務時間、配属部署を超えて、友達がどんどん増えていって、

仕事の休みの日は海にドライブ、離島巡り、プチ旅行、宅飲み、BBQ、三線、お散歩・・・

寝る間も惜しんでありとあらゆる楽しいことをいっぱいした。


昼間はエメラルドグリーンの海が目の前に広がり、

そこまでの道のりにはハイビスカスやブーゲンビリアなど、カラフルな南国の花が咲き誇る。


日本のどこよりも遅い日没。島のはしっこまで行って見る夕日は絶景だった。

夜には天然プラネタリウムのような星空が広がる。じっと見てると流れ星がしゅっと降ってくる。


まさに、石垣島は楽園だった。



しばらく住んでいると、私は島に暮らす人と、

私たち内地(本土)に暮らす人とのライフスタイルの違いに気づくことになる。


【またこの店開いてないよ!編】



1。不定休


島には定休日がないお店が多い。

ゲストハウスなどに限っては、オフシーズンになるとオーナー家族は3ヶ月海外旅行に出たりする。

ある時目に入った看板に、私は衝撃を受けた。

 

OPEN   あさから

CLOSE   にちぼつ

CLOSED   つかれたとき 

 

今となってはどこの看板か思い出せないけど、

そのくらい内容にインパクトがあった。


わたし
まじか!!


世間一般に日本人は真面目すぎるとよく言われるものだが、

同じ日本にこんな自由に生きている人がいるんだ!!!


たしかに、いつ開いてるのかわからないお店がかなり思い当たる。笑

1年もいると、どうしても行きたいお店に限っては

電話してその日の何時に開いてるか確認してから行くのが当たり前になっていたので

うっかりしていた。


この島のお店は、かなり好き勝手に休んでいる・・・!!!

(注*すべてのお店が該当するわけではありません。)

 

内地にいる時は定休日があることが当たり前で、その日以外は基本開いてるのが当たり前で。


少し言葉に語弊があることを恐れずに言うなら

どちらかと言うと、主導権はゲストにあった気がする。

しかし、島のお店やゲストハウスはそういった意味で、主導権はお店側にあった。

 

同じ日本なのに!!

しかも私はいつしかそれを当たり前に受け入れていた!!

それどころか・・・

 

2。私もそんな生き方がしたい!!


と、憧れすら持った。

そう。私は基本、単純で素直だ。

そう思ったら、そうしたい。


自分で時間と収入をコントロールできる人生を送りたい。




これが、今の私の思考のベースとなっている。

そこからいろんな意味で極端な私は、


わたし
好きなことしかしない!
好きな人としか付き合わない!!


という自分の人生におけるマイルールをつくる運びとなった。

 

3。那覇へ


あっという間に石垣に来て1年が過ぎようとしていた。

両親との約束の時。タイムリミットだ。


石垣に来る時に決めていた「八重山諸島全島制覇」はほぼ終わっていたし、

私自身、いつまでも島にいるという選択肢はなかった。

 

その頃、私は島出身のアーティスト「きいやま商店」を応援していた縁で、

職場以外にもかなり友達が増えていた。


島どころか那覇、東京、大阪、京都・・・北は仙台まで。

たくさんの友達がライブの度に島に来る。もう少し、沖縄にいたかった。


わたし
那覇に行く!

両親にそう告げると、父親は不得意なメールで

約束が違う!帰ってきなさい!

と反対した。

でも、那覇なら新潟まで直行便の飛行機がある。島も近い。那覇住みの知り合いも多い。

私はもう少しだけ「沖縄にいたい。絶対帰るから」と親を説得し、那覇での仕事を探し始めた。


4。就職


嘘のようなほんとの話。私は那覇で、初めて正社員になった。


那覇の人
事務できる方〜
那覇住みで、沖縄のイベントに
興味がある方いたら連絡ください。
わたし
!!!


これは・・・運命のいたずらか?

私のFBのタイムラインに求人情報が流れてきた。笑

しかも「きいやま商店」のメンバーマストにぃが「いいね!」をしてくれたおかげで、

その求人が私まで届いたのだ。

 

よくわからないけど、これは連絡するしかない。

こう見えて私は事務歴10年以上。転職回数は半端ないが、土日は結婚式場バイトのため、

基本平日は定時で帰れる事務職を派遣で続けていた。

 

連絡をしたら、すぐに履歴書を送ってくださいと言われた。

手の届くところに、証明写真、まっさらな履歴書、ペン。

すべてが揃っていた。

私はすぐに記入し、その日のうちに履歴書を郵送した。



数日後、採用の連絡が来た。

面接は、していない。笑



仕事内容はなんとなく知っていたが、雇用形態、給与、家など、全く未確認のまま採用が決まった。

その後、上司になる方とのメールのやりとりで正社員採用ということがわかり、

絶句したのは言うまでもない。

 

あっという間に仕事が決まり、家も決まり、予定より早く島を出ることになった。

たくさんのイベントの予定があったがすべて泣く泣くキャンセルした。ハーリー、出たかった。

沖縄に一足早い夏が訪れた頃、私の那覇での生活が始まった。



きいやま商店:石垣島出身の従兄弟・兄弟で結成されたエンタメユニット。

メンバーはリョーサーだいちゃんマスト

3人のパワー溢れるステージパフォーマンスと爆笑トークは必見!!うちの甥っ子も大ファン。笑


*ハーリー:毎年旧暦の5月4日に沖縄県各地の漁港で行われる爬竜船(はりゅうせん)競漕と

その祭り。 爬竜船(はりゅうせん)を漕ぎ競い合うことで航海の安全や豊漁を祈願する。

「 ハーレー」「ハーリー」と地域によって呼び名が違う。


【那覇で正社員になってみた編】



1。正社員って


誤解がないように先に断っておくが、初めて正社員になった会社では

いつものように新しいステキな出逢いがあり、

そこでしかできない経験をたくさんさせていただいた。


万年ダブルワーカーの転職歴ハンパない私を正社員として雇用してくださった上、

大切にしてくださったご恩は今もなお、持ち続けている。

これを念頭において本文を読み進めていただけると幸いです。


初めて出勤した会社は交通の便もいい、

島から来たばかりの私からしたらかなり都会的な場所だった。


オフィスの入ったビルもキレイで、小さいながらテラスもあって。

とても恵まれた環境にため息が出た。


初めての名刺。初めての社章。初めての正社員。


日本人の大多数が目指す「正社員」に自分が初めてなれたことに浮かれていた私は

その頃にはあの看板のことなどすっかり忘れていた。


2。違和感


入社した会社は年俸制だった。その月にがっつり仕事をしても、ゆったりしても、

毎月毎月同じ金額が私の口座に振り込まれた。


私はずっとダブルワーカーで時給で生きてきたせいで、

そこに何より違和感を感じた。通帳、給与明細を見なくてもある程度金額がわかる。


夏休みで一週間休んでも、祝日のない月でも、休日出勤、残業をしても、毎月同じ金額。 


わたし
これが、みんなの求めている
「安定」ってやつなのか。


たしかに毎月入ってくる金額が定額というのはいろいろと計画が立てやすい。

でも・・・

おそらく私の今までが不安定すぎたのだろう。笑


自分が頑張っても頑張らなくても同じ金額が振り込まれるというありがたいはずの制度に

私はどうしても”違和感”が拭いきれずにいた。


3。はじめての入院


12月。いつものように家に帰り、夜ごはんを食べて、寝よう!とベッドへ入った時だった。

突然の胃痛、リバース、悪寒に襲われる事態が起こった。


何がなんだかわかんないけど、すでに病院の診療時間は終わっているし、

長い長い眠れない夜を越えて、私は早朝の病院へひとりで出向いた。


急性ウイルス性胃腸炎。おそらくノロウイルスだろうとのことだった。


私はそのまま入院することになった。


その日病院のベッドの中で、私は新潟にいる家族のことを思った。

一番の気がかりは今は亡き祖父のことだった。


那覇と新潟は飛行機で3時間弱。私のマンションは空港から割と近い位置にある。

とはいえ何かあってもすぐに帰れるかと言ったらそうではない。


今回は私だったからいいけど、これが家族だったら?

入退院を繰り返しているおじいちゃんにもしものことがあったら?


私はすぐにそばに行くことができないんだ・・・

と妙に実感してしまった。


 


それと同時に「正規雇用」。

その雇用形態は私にとって特に意味を持たないことが、実際になってみてはっきりした。


もちろん家のローン審査だったり、銀行から借り入れをするには

会社に雇用されているほうが有利なことは知っていたけど、

そもそも私は自分で家を買うことなど、おそらく一生ない。


わたし
新潟に帰ろう。

4。再び地元へ。


決めたら、早い。

それは私の長所であり、短所でもあるかもしれない。

すぐに辞表を作成し、上司に提出した。すでになんの戸惑いもなかった。


そして3月。会社を辞めた私は石垣島の地に戻り、みんなとしばし、楽しい時間を過ごした。

そして、お世話になった社長、専務、スタッフのみんなへ感謝の気持ちを伝えるために

東京へ立ち寄った。


そこで私は社長と専務に、


わたし
私は自分の好きなこと、得意なことで
人の役にたつ仕事がしたいです。


と独立の意思を伝え、ソメイヨシノが咲き誇る地元新潟へ約2年ぶりに降り立った。



いざ帰ってみると、

沖縄生活は夢だったんじゃないかと思えるくらい、新潟に自分がいることが自然だった。


とはいえ、石垣で生活したこと、那覇での暮らし。 

あのタイミングで沖縄にいたからこその様々な出会いは、

私の人生を今まで以上に明るく楽しくしてくれた。 

飾らずに生きる、ありのままの自分を受け入れる、自分の人生は自分で決める!


長い間なかなかできなかったことだったけど、

八重山の自然の中で、かけがえのない出会いに恵まれて、

たくさんのエネルギーをチャージできた。 


沖縄ライフはわたしの人生に、とても必要な期間だったと思う。 

この経験を通して、自分が人にできることがしたい。


それこそがわたしにしか出来ないことのはずで、自分の役割だと思った。


そして今度こそ私は、

時間、場所、お金にとらわれない働き方をするんだ。



そう、覚悟を決めた。


それからのSTORYはこちらの上京STORYでお楽しみください。


人生は、思った通りにしかならない。


いつしかこの言葉がわたしの座右の銘になりました。

お読みいただき、ありがとうございました。




******


自分の”好き”を生きよう☻♡ 

「人生は思い通りにしかならない!!」を絶賛体現中♡ 

そんな仲間をどんどん増やしたい♡ 

ピンと来た方は是非お友達になりましょう♡♡♡


やまざき まみ


読んでよかった
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不定休わろた。
それが自然だよね。

るんちゃん♡
いいね♡むしろこれからはそういう時代かもね〜
お客さまは神様じゃないよ。
お客さまも、お店の人もおなじ”人間”だよね。

陽一さん⭐︎
それ、普通ですから〜笑
最初はまぁ衝撃でしたけど、やがて人って慣れます。笑

島暮らしでのエピソードをもっと聞きたい気持ちになりました!

石垣での生活、那覇の暮らしが目に浮かびました。自然も環境もとっても好きです^^でもほんとうにシャイな方多いですね。去年宮古島に2週間滞在して感じました。離れるからこそ判ることあります、それをもっと感じて生きたいです。読ませて頂きありがとうございました。

サイコーです!
上京STORY拝読させていただきます!

高さん☆
島ぐらしのエピソード・・・
虫ネタとかいっぱいあります。笑

イクイさん☆島人はたしかに恥ずかしがりの方多いかも〜笑
とは言えこちらがオープンマインドで寄っていくと
そのうち受け入れてくれますけどね♡
なんでもゆっくりのんびりなんですね〜そんなとこも含めて愛しい島です♡

まりかさん♡
めっちゃストレートな感想ありがとう〜!!
ほんとそう言ってもらえると書いてよかったって
こころから思います。
骨折してよかった!笑

まみさんの生き方や素直で正直な人柄にとても惹かれます。このストーリを読んで自分のこれからに背中を押してもらいました☆ありがとうございます^^

Mami Yamazaki

まみたそ☻自分の”好き”を生きよう♡ 自分の”好き”を生きよう☻♡ 「人生は思い通りにしかならない!!」を絶賛体現中♡ そんな仲間をどんどん増やしたい♡ 旅と人とあったかいとこが大好き♡お寿司はさび抜き。 絶叫系乗れません。 ソウルナンバー22を持つ超強運体質です。笑

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Mami Yamazaki

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Mami Yamazaki

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