母からのメッセージ

僕は物心つく前に母親を亡くし、小学生の頃から4歳年上の姉と10年以上を児童擁護施設で過ごしてきた。もちろん母親の顔も覚えてないし、写真を見せられても他人のおばちゃんを見ているようで特に何も感じることはなかった。

しかし、幸いにも施設の中では多くの友達もでき、職員の方たちも本気で僕たちのことを思って接してくれる人たちばかりだった。
それでも友達の家に遊びに行ったときや、部活の試合に応援に来てくれる友達の両親を見て羨ましいなと思う気持ちもあった。
そんな僕は高校を卒業した後、せっかく入った就職先を二ヶ月で辞め日雇いのバイトやパチンコなどで生活をする典型的なその日暮らしをしていた。
そんな生活が続く訳もなく、どうにもいかなくなった僕は姉の元に転がり込む事になった。
姉と一緒に暮らすようになっても定職に就かずフラフラする毎日、そんなある日母方の祖父から連絡が来て、母の遺品が見つかったから渡したいとの連絡が来る。送られて来た遺品の中には古ぼけた一冊の日記があった。



何から書き始めたらいいのか。ずっと書きたいと思っていた。病気になった時からずっと日記をつけておけば良かった。
肝転移が分かってからは、こども達や両親、友達へのそれぞれにあてた手紙を書いておこうかと思っていた。でも、そんなものを書いてしまったら本当にすぐに死んでしまいそうでなかなか書けなかった。
でも、最近もう本当に残された時間は少しなのだと感じ始めた。みんなにゆっくり手紙を書いている時間などないのだと。でも何か書いておきたい。何でもいいから、今感じていること、思っていること。今日どんな事をしたか。なんでもいいから、少しずつ…


なんで、こんなに気弱になってしまったのか…
やっぱり旅行から帰って急に体調が悪くなった。5月初めのある夜、お風呂に入る時、鏡にうつった身体を見てびっくりした。肝臓のあたりが、腫れているのがはっきり分かった。
足のむくみ、顔の発疹など症状がいろいろ出てくるとやっぱりしんどい。でも旅行中は本当に元気だった。私と子供たちは本当に楽しみました。旅行からは元気いっぱい帰って来たのに、2日目くらいから突然ガタッときた。
肝臓が痛い、身体がだるい、夜寝るのが怖い、もう目が覚めないんじゃないかと思う。昨日の夜は大きな腫瘍の塊が内から外へ押し出してくるような痛みで目が覚めた。1日中肝臓のあたりに、大きな爆弾を抱えている感じ、何もする気にならない。死ぬの?怖い…

5月24日
沙紀がまた熱を出して学校を休んでいた。最近しょっちゅう熱を出す。学校の先生から、家族でも健康管理に気をつけて欠席さないようご協力下さいとの手紙。
沙紀には、お母さんも頑張っているんだから沙紀も頑張りなさい。今度それくらいの熱で休んだら許さない、本当にしんどかったら途中で帰ってきたらいいんだから、とにかく学校にいくようにと話す。沙紀は泣きそうな顔で頷いた。

 沙紀、あなたの心の中は今どんな風になっているの?つらい思いをしているの?小さな胸にいっぱい抱え込んでいるんでしょうね。ごめんね。

5月29日
病院の食堂で母と昼食。放射線科に戻ると、もう写真が出来ていた。院長にお礼を言って帰る。
帰り道、CT写真を見てクラクラしてきた。大きい…大きくなっている
家に帰って父に見せる。
父「大きいな」
私は返事もしない。何故か腹が立つ。私はまだCTをとるつもりは無かったのに、来月で良かったのに、頻繁に放射線を当てたくない。こんなに腫れてるんやから大きくなってるのは分かってるのに。とりたくなかった。むしょうに腹が立った。何で早くとれっていったんよ。

ごめんね、お父さん。夜になってちょっと泣いて反省した。ごめんなさい。

6月1日夜中の2時過ぎ
電話のベルが鳴る。
「もしもし」
「お母さん?」
「良平?どうしたん?目が覚めたん?」
「うん、お母さん来て、すぐ来て」
「分かった。すぐに行くから待ってて」
西庄に行くと良平が不安そうな顔で布団の上に座っていた。しばらく話したあと、私の手を握って眠った。
昨年肝臓に転移したのが分かって、絶望的になっていた夜、沙紀が泣きながら電話をしてきた。
「お母さん来て」
夜中にとんで行った。
沙紀は布団の上で涙をいっぱいにためて待っていた。私の胸の中で眠り始めた沙紀を見て、「私、死んでなんかいられへん、この子たちを置いて絶対に死んでなんかいられへん」って思った。あの時、生きる力がわいてきたのをはっきりと覚えている。
最近夜中に電話してくることがほとんど無くなった。一度沙紀に聞いてみたが、夜中に目が覚めてもトイレに行ってそのまま寝てしまうか、寝れないときはお父さんに電話してると言っていた。
なんでお母さんにかけてこないの?と聞くと、「お母さん病気やから来てもらうの可哀想や」と言った。胸がしめつけられた。
でも可哀想だと思う反面寂しい気もしていた。だから昨夜久しぶりに良平から電話があって嬉しかった。お母さん張り切ってとんで行ったよ。子どもをこんな目にあわせて嬉しいなんてひどいけど、必要とされていると思うと、やっぱり嬉しかった。

6月29日小学校音楽会
朝起きた時からお腹がパンパンに張った感じで痛い。このままではとても音楽会に行けない。三年生は出番が一度だけだからそれだけ見たら帰ろう。薬を入れて出かける。学校に着いてもまだ痛い。
席に着くと薬が効いてきたのか少し楽になる。昨日の夜、西庄に行って沙紀の髪をくくっておいた。両サイドの編み込み。沙紀はその他大勢のリコーダーだったが一番前の席で良く見える。髪型凄く似合ってるよ!

7月4日 母誕生日
父と母に甲子園に誘われていたが、最近痛みが酷く無理かなという気がしていて、断っていた。でも、子どもを連れて野球を観に行きたいとずっと思っていた。夕方思いきって行く事にする。
念のため薬を入れてきたが電車に乗ると、すぐに痛みが出てきた。途中乗り換えの時に良平と沙紀がトイレに行きたいと言いだした。
えー!と思いながらもトイレに連れて行く。階段を上ったり下ったり、でも今日はこんな事まで面白い。
甲子園に着いたのは八時頃、父も母もまさか来るとは、と驚いていた。すぐに風船を飛ばし二人とも嬉しそうな顔。特に良平はスタンドいっぱいに広がる風船を口をあんぐり開けて見続けていた。思いきって連れてきたかいがあったな!
帰りの電車は混んでいたけど、沙紀がすぐに一人分の席を見つけて「お母さん、ここ空いてるよ!」と言って座らせてくれた。「良平はこっちおいで」と言って手すりを握らせていてくれる。
二人とも、今日は本当に楽しかったね。また行こうね。

7月18日 良平5才の誕生日
良ちゃんおめでとう!
夜、ウチに連れて来て三人でケーキでお祝い。たったこれだけのことなのに、「楽しいケーキパーティーやったなー」と良平は喜んでいる。二人をウチに泊めると、本当に心が落ち着く。
いつも夜中に西庄から帰るとき、二人の寝顔を確認して玄関のドアを閉めるとき、胸が苦しい。あの人は何時に帰るのか、このあとこの子達は何時間二人で眠るのか、もし火事になったら、いつもいつも同じ事を何度も考える。どうしてこんな事になってしまったのか。
ごめんね、沙紀、良平。

沙紀の日記をつい見てしまう。
「私のゆめはおいしゃさんになることです。お母さんのようなびょうきの人をだしたくないからです。」

7月22日
西庄で急に肝臓のあたりが痛くなってきた。最近痛みはあまり無かったのに突然痛みが出てどんどん酷くなっていく。布団に横になってあちこち向きを変えるが動けないほど痛い。破裂したのでは…
沙紀が横に来て心配そうにしている。沙紀の手を握る。そのうち沙紀が泣き出した。
「お母さん大丈夫?頑張って、死なんといて」と言う。
「病院に電話しようか?沙紀何でもするから言うて、死なんといて、頑張ってお母さん」と必死で言う。沙紀の言葉と痛みで涙があふれる。
2、30分経っただろうか、少しづつ痛みが引いてきた。良平が部屋に来て、「お母さんどうしたん?」と聞く。
沙紀が「静かにし、お母さん今痛くて泣いとるんやから」と言う。
私が「もう大丈夫、良平歯磨きして寝なさい」と言うと「一人で行けへん」
沙紀が「お姉ちゃんがついてったる。お母さんちょっと待っといてな、すぐに帰ってくるから」と言って良平を洗面所へ連れて行く。戻ってきた沙紀は、私の手を握ってくれる。
私が「ごめんね、沙紀。もう大丈夫やから」と言うとまた沙紀は涙をこぼした。本当にごめんね、沙紀。


日記はそこで終わっていた。
しかし、最後のページに母から僕たちへのメッセージが残されていた。



沙紀、良平へ
一緒に暮らせなくてごめんね。寂しい思いをさせてごめんね。こんな病気になってごめんね。お母さんは沙紀と良平の事をいつもいつも思っています。
もしお母さんが死んでも一つだけ、これだけは忘れないで。もし心ない人に何か言われても、決して悲しまないでね。この世の中にお母さんがいない子なんて一人もいないのよ。
お母さんの身体は消えてしまってもお母さんは沙紀と良平の心の中にずっと生きているから、沙紀と良平のお母さんはちゃんといるんだから。寂しい時、つらい時、くじけそうな時、胸に手を当ててお母さんの事を思い出してね。お母さんは二人をずっと見ているから、ずっと愛しているから、ずっと二人を応援しているよ。



全てを読み終えて涙が止まらなかった。
読んでいる途中から自分の中に母親という存在が溢れていくのが分かった。
自分にもお母さんがいたんだと、こんなにも愛してくれている人がいたんだと。
もし仮に天国なんてものがあって、もう一度お母さんに会えるのなら胸をはってこう言ってあげたい。
「お母さんの子どもで良かったよ」と。

読んでよかった
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読んでて涙が出ました。1歳になる息子を叱ってばかり…大切なのにどうしてだろう。そして反抗してばっかだけど今も全力でサポートしてくれる母。親子って血がつながってるだけで、なんでこんなに相手を思えるか不思議ですね。植村さんにお母さんからのメッセージが届いて良かった。

私も子供が二人います。だから、良平さんのお母さんの気持ちを思うとどんなに辛かったかと涙が出ます。
今までお姉さんと力を合わせて生きて来て偉かったね。これからもがんばれ。お母さんが見守っていてくださるはず。

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