時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険①

時速80kmの車に轢かれ13m飛ばされ、高次脳機能障害で国立大学院生が「大きい」すら書けなくなった1000日の冒険①
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あなたは高次脳機能障害のどんな事を知ってますか?

アイムホームの木村拓哉さん演じる「家路久」で少し知っているかもしれませんね。

例えば、新しいことを覚えられない。過去5年がわからない。人とのつながりがわからない。

そして、1話ごとに鍵を通して記憶が戻っていく・・・そんなケースもあるのかもしれません。


ただ僕の場合、過去をほぼ失いました。めちゃくちゃ色んな能力が落ちました。

それから、この事故のストーリーを書けるようになるまで1000日以上かかりました。。

なぜなら・・・


1、1分前に読んだ文章すら忘れてしまう状態でした。(記憶障害)

2、まともに文章が書けませんでした。話もできませんでした。(言語障害)

3、能力が落ちすぎて中々物事を前に進められませんでした。(遂行機能障害)

などなど


国立大学大学院のリア充から「大きい」すら書けなくなり、生きる目的を見失いました。

ドン底から僕が体験した1000日間のリハビリのストーリーを綴らせて頂きます。


心の在り方が大切!楽しいふりをすれば楽しくなる!

つらいふりをすればつらくなる!感情は後からついてくるから、楽しいふりをしてみよう!

つらいのはあなただけじゃない!今が最悪ならこれから良くなるしかない!過去の失敗や未来の不安みたいなコントロールできないことに縛られて今日を無駄にせず、今日を本気で生きよう!

今日を生きるメッセージなどを受け取ってもらえたらたら嬉しいです!


見た目ではわからない高次脳機能障害とは一体?


僕は2013年の1月15日に神戸大学正門から上がった所、図書館に近いバス停で降りたそうです。

おそらく試験前だったので、勉強するため研究室に向かったのでしょう。


ドッカーン!


そして、夜20時くらいに3m程度の横断歩道で時速80キロの車に13m飛ばされたそうです。

どうして伝聞なのか?そこら辺の記憶はあんまりありません。


ICUにいたらしく、1月から夏くらいまであまり記憶がありません。

最初から覚えてないばっかやん!
1000日大丈夫か・・・


と、とにかく、病室でした。(ザックリいきます。)

一瞬目を覚ましてもすぐに気を失っていました。

尿チューブを装着して、本当に寝たきりだったらしいです。


家族が言っていることもよく理解できませんでした。

ただ、「車に轢かれて死の淵を彷徨っていた」ということだけ実感しました。

身体が動かせなかったからです。

そして、おそらく2週間程度経過してからわかったことがあります。


1、目が万華鏡を通して見ているようで焦点が上手く合わないこと。遠近感も取れない。

2、左耳から音をあまり拾えないこと。

3、話したくても「言葉」、「単語」すらでてこないこと。言葉のイメージすら出てこない。

4、説明を受けても、文字を見ても理解できない。

5、腰から上を骨折していて歩けなかったこと。寝たきりだったこと。

精神的絶望。。


1センチ当たり所がズレていれば即死だったそうです。

全身骨折及び後遺症などで、1年間の入院を言い渡されました。 


ナガノノブタカ
え、1年も・・・?(そんなにワルイ?)


頭を強く打ち、言葉が理解できず、助けがないという孤独な世界を体験しました。


担当の先生
君がぶつけられた後、たまたま医者が通り応急処置がなければ本当に危ないところでした。

そうだったのか。

あんな人気のないところで偶然ってのはあるもんやなぁ。

救急救命も偶然手が空いてて受け入れてくれたらしいです。


他にも色々偶然があって致命傷で病院にたどり着けたそうです。

(当時、能力が落ちすぎたのに生きていくなんて、酷じゃないか。と毎日落胆していましたが。)


始めの頃はまるで顔が怪談話のお岩さんのように目がボコッとなっていたそうです。


意識が戻っても、指をさして「あー」としか伝えるしかできませんでした。

話しを聞いてもチンプンカンプン

何かを伝えようとしても、文字も書けないし、伝えられないもどかしさも経験しました。


後遺症で言葉がわからず何も表現できませんでした。

字も書けなくなったのでやはり表現は難しかったのです。

当時は「大きい」すら書けなくなっていました。


少し前まで自分の中で最高の場所で複雑なことを扱っていたのに。。。

何もできなくなりました。


精神的絶望しかない。。。

偏差値30台から頑張ってきた成果を奪われた無力感

心の底から丁寧に舐めるように味わう日々が始まる

 

この時は目の前のことすらわからず、本当に複雑な気持ちで孤独な世界を過ごしました。


長野亘孝
この時は「理解者なんかいない!!」と悲しみにくれ、希望が見つけられず人生に対する欲そのものが消えてしまったように感じていました。全てが嫌だ。自分の殻に閉じこもりました。

毎日点滴、注射ばっかり・・・

(苦手なんです。表情で嫌と伝えるしかできなかったと思いますが。子供か!笑)

特に、後遺症の中でも高次脳機能障害というものが最も苦しみを与えていました。


ナガノノブタカ
新しいことを記憶できなくなりました。過去の記憶がなくなりました。言葉が操れなくなりました。話せない、字も書けない、なにもできない。人の顔と名前が一致しない。自己紹介は一瞬だから名前が全く覚えられない。つらいという言葉では表現しきれない。。
どうしたらいいんだ?何もわからない。誰も教えてくれないし、自分でもわからない。

例えば、その時は車の数を何台か数えるだけでバタッと倒れていました。

また、人が歩いてるのを見るだけで脳がその動きを処理できずに倒れていました。

何もできずにいました。

ただ一つできたこともありました!

父親に「ジャンプ買ってきて欲しい」と頼みました。

もちろん、週刊少年ジャンプを指しています。

しかし、月間少年ジャンプを買ってきてくれて、「コレ、、、チガウ。」とツッコみました。笑

週刊誌と月刊誌の違いは分かるんかーい!笑

そんなエピソードがあったそうです。


リハビリは地道でした。 献身的な家族の支えで腐らずリハビリを続けられました。

長野亘孝
今となっては精神的に一番苦しい時期を乗り越えられたのは家族が支えてくれたお蔭だと思います。僕が腰の骨とか折ってたんで車いすに乗っている時のことです。逆に父が車いすに乗り、僕が押していたので、よく先生に怒られました。アレ?僕が支えてる?笑

実家から駆けつけてきてくれて、僕の通訳であったり身の回りの世話全般をしてもらいました。

あまり記憶にないんですけど、とてもお世話になったそうです。


洗濯を始め、当時住んでいたマンションの荷物を片づけたり、処理したり色々してくれました。

当時住んでいたマンションにはどん兵衛が放置されていたそうです。

事故前に食べて置いていったんでしょうか。

そのどん兵衛のスープにカビだらけだったというエピソードもあったそうです・・・。


どん兵衛エピソードはいらないですね?

置いといて。笑


あと家族に一番感謝していることは、父が足をマッサージして動かしてくれたことです。

僕は寝たきりだったので足を動かせませんでした。

もし足を動かさないで放置すると、固まってしまいます。

ただ、このマッサージが言葉で表現できないくらい「痛い」のです。

骨折後、初動かしの痛さを毎日経験していました。

拷問を朝晩経験していました。


痛かったですが、もしそれをやらなかったらどうなっていたのかを考えると恐ろしいです。


申し訳ないことに、過去の記憶がなくなってしまいました。

だから、家族に対して特別な感情を持てなくなってしまいました。

つまり、過去の延長上の関係でなくなり、今日からの関係になったことで薄い信頼関係になっていました。これは後々1000日くらい悪影響を及ぼすものになります。。。


肉体的絶望。


筋肉が落ちて、人生で初めての脂肪だらけの体になりました。

これも初めてのことで動けない苦しみも初めてのことでした。


今まで体脂肪が9%~12%程度でずっと推移していました。

高校の時は硬式テニスをしていました。

大学からはジムで鍛えていました。

大学院もジムで鍛えていました。

例えば、週3回くらい1キロ泳いで、10キロ走り、筋トレしていました。


だから、太るなんか考えたこともなかったので非常につらかったです。

体脂肪12%以上なんて初めて!
体に砂を乗せているみたい・・・泣
体を支えられないし、ナゼかお腹が出ている!
まるでササ食って寝るだけのパンダじゃないか!!!

精神と身体にダブルパンチでした。

やっぱり頭の機能が落ちすぎたことが一番悲しかったです。

小学生レベルの「大きい」「若い」「多い」「楽しい」「運」など簡単な言葉を覚え始めました。

1分したら忘れるので、何回も、何回も、毎日繰り返すのです。

憑りつかれた様にノートに本から得た言葉を書き殴る。

それを枕元に置き、いつでも復習できるようにしていました。


週5日、大体毎日検査をしました。脳や目や耳や整形外科などの検査です。

9時か11時か13時に迎えに来てくれて、部屋から車いすを押してもらってエレベーターを降りて、先生のところに向かいます。そして、待ち時間はありませんでしたが、いくつかの言葉を交わすだけで疲れ切りました。


それに加え、理学療法士さんとのリハビリがあります。

初めての松葉杖を1時間くらい室内の階段を上ったり、コースを歩くというものです。

(1時間だけでも足を置く位置など空間認識で体力を使い果たし3時間以上の睡眠が必要でした。)


入院していたところはたしか9階だったと思います。

9階の廊下をできるだけ歩いていました。ご飯の前には、父に廊下を2周して来いと言われ、「俺は犬か!」とも考えることも、言葉にもできずに歩かされました。

「・・・アー、、つかれる、いや」泣き言は言ってました。でも、問答無用でした。

反論は許さない父です。


ただ、それでも運動量が足りず、足と腕はどんどん痩せ細っていきました。

質量はグングン増えるんですけどね。笑


起きては歩き、寝て、字を覚えるという生活を繰り返しました。


ただ、たった5日少し体動かすだけで歩けるようになるのか?と感じました。

だって、バッキバキやん腰。


だからといって、病院の用意したメニュー以外のリハビリをすると怒られる。

自分で少しでも良くなるために行動しちゃだめ!?

おかしいだろ!

ナガノノブタカ
くそ早くよくなりたいだけやのに、なんでや


病院の都合によるマニュアルなんかどうでもいい!!

一番大事なのは早く復帰することだ!!

一日でも早く歩きたい!

話せるようになりたい!

字を書きたい!


もし難しい状況に立たされているとしたら、

メジャーの茂野吾郎鋼の錬金術師のエドワード・エルリックならどうする?


やっぱ立ち上がるよな!

僕は病院を退院する!!

このまま病院で1年間過ごしたら復帰が遅くなる・・・それじゃダメだ!

早く復帰して元の生活に戻りたい!一日でも早く!


早期退院には事情があります・・・


ここまで読んで頂きましてありがとうございます!

次回、ナゼ無理して早い退院を目指したのか!?

続きを読みたいと思ってもらえたなら、「読んでよかった」ボタンや「感想」を頂けると嬉しいです。高いモチベーションで続きを書いていけます!オラに元気を分けてくれ!ジャンプ好きだな!笑

読んでよかった
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原俊輔さん わーい!初コメントありがとうございます! 立ったまま気絶しているくらい毎日自分の脳に負荷を与え続けました。絶望編から立ち上がろうとするも?もしよろしければ次も読んで頂けたら嬉しいです!!

何が気持ちの変化をもたらせたのかが知りたいです。

金城瞳さん 文字、言葉が理解できなくなったことです。その現状を受け入れたくなかったからだと思います。後の話にもあるんですけど、基本が負けず嫌いという性格も後押ししたのではないかと思います。お答えになってますでしょうか?

私と出会ったのは、これから1年と2か月くらい!?
そんな逆算をしながら驚いて読んでます。

えいこさん ありがとうございます!これから・・・700日後くらいです!だから、能力がまだまだ回復していなくてご迷惑をおかけしました。でも、えいこさんの協力もあって今があります!!本当に勉強になりました、ありがとうございます!

とってもいいstoryを見れました。辛い環境の中でも絶望せずに前向きに生きていこうとするその様に感動を覚えました。

加藤千人さん ありがとうございます。そういってもらえると書いて良かったと嬉しく思います!お役にたてて光栄です!!

追記 家族は心配しきっていたので、少し反応できると「やるやん!」という対応でした笑 想像できないかもしれませんが、それくらい悪かったんですよね。

長野 亘孝

1987年生まれ。三重出身、神戸在住。

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1987年生まれ。三重出身、神戸在住。

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