千葉県にあるタイ仏教寺院に行った話

日曜日に成田市にあるワット・パクナム日本別院に行く(本寺はバンコクの「川向こう」にあるらしい。)

北総の丘陵地帯を抜けトンネルで成田空港の地下を通り、反空港闘争で犠牲者を出した「東峰十字路」を左折しさらに走ると、疎林の切れ目から突如としてあの見慣れた「重ね屋根」の甍が目に入る。

境内に入ってしまえば、そこはタイそのもの。

手入れされた庭園や、咲き乱れる花々、梢の下に佇むサーラー(東屋)。庭に置かれたたぶん自作らしきヘタウマな彫像。駐車場のど真ん中で昼寝をする猫には耳に皮膚病があり、微妙に毛が抜けていて、そこはもう完璧なタイのお寺。

庭木の手入れをするお坊さんや、行きかう人々の微笑。

ここで、チェンマイ出身で茨城から泊りで来ているという中年女性と話す。17年目というこのお寺には東京や千葉からだけではなく、群馬からも来訪者があるという。ここで、読経や奉仕作業など思い思いの時間を過ごし、また社会に戻る。

日本人でも勤行ができるのかと聞くと「もちろん、誰でも、いつでも」とのこと。ただし、お坊さんは日本語がほとんどできないので、タイ語を勉強するか、一緒に修行しているタイ人に手伝ってもらえばいいらしい。

短くても良いのかと聞くと「1日でもいい、ずっとでもいい。」というおおざっぱな答え。大切なのは時間ではなく、仏の教えに帰依したいという気持ちであって、あとは各人の事情に合わせればよいという。費用は一切必要ない。お寺の運営は基本的には寄付で賄われている。

お寺の台所でお茶でも飲んでいきなさいと促され管理棟の建物の台所兼説教所に通される(もうニオイからしてそこはタイ)と大きなテーブルの上には山盛りのタイ料理。それらはトムヤムクンなんかでなくて、ソムタムやらゲーンチューやら、気取らない家庭料理の皿がレースの蝿除けの覆い中に並んでいる。おばちゃんが、それをがばっと持ち上げる。

おばちゃんは、「お寺に来た人はみんなお腹いっぱいになって帰ってもらうことになってるでしょ~」とのことで、食べろと促される。昼食を多めに食べた私たちは、飲み物だけをご馳走になる。

すぐ脇の説教壇では、白衣の男性が黄衣の僧侶に傅き、戒を授けてもらっている。それを横目で見るでもなく、食卓のおばちゃんたちは、もりもりと食事をしながらおしゃべりに花が咲く。ソムタムのパパイヤをどこで買ったのかと聞くと、「成田のイオンでニーキュッパ(298)だったよ~」とのこと。

おしゃべりは続くが、オレンジジュースをもらった息子は、隣のテーブルに山盛りになったお菓子と果物を眺めている。その様子に気がついた一人のおばちゃんが息子にやさしく声をかける。

「好きなだけ食べて、持って帰ってもいいけど、ちょっと待ってね。お寺のものは自由に食べてよいのだけど、食べる前にお坊さんに聞いてからでないとね。もちろんお坊さんはダメって言わないけど。」

もうひとりのおばちゃんが諭す。

「日本にも首の長いお化けがいるでしょ、タイでもね、同じお化けがいるの。お寺の食べ物を黙って食べた人は死んでから、このお化けになっちゃうの。だから、ちょっと待っててね~」

しばらくして白衣の男性への受戒が終わったお坊さんに、おばちゃんが息子のためにお菓子をあげて良いかどうかと聞く。お坊さんは笑顔で「どうぞ」とだけ答える。これはまったく予定調和であるのだけれど、物事の道理を自然に知ることができる環境、これが人の間で学ぶということだろうか。

雰囲気に呑まれた息子は消え入りそうな声で、「バナナをください」とおばちゃんに問い、シミ一つないピカピカのバナナの房のその中の一番小さな房をもらった。おばちゃんたちは、ごく自然に温かく応接し、それでいて恩着せがましくなく、用事が終われば自分たちでおしゃべりに花を咲かせている。

食べたければ食べ、休みたければ休みなさい。あれこれおせっかいを焼くのでもなく、それでいて無視するのでもない。この絶妙な距離感がまさにタイ。

しばらくおしゃべりした後、少しお金を置いていこうと思い、本堂に入る。写真のとおり、黄金の仏像と壮麗な壁画。成田の疎林に沈む夕日が窓から差込む。線香のにおいと静寂。半眼で衆生を見下ろす仏像に射すくめられていると、あんなことも、こんなことも悠久の時間の中ではすべて一瞬の芥のような出来事であるかような気がしてくる(しかし、永劫回帰のごとく、この一瞬が時には永遠でもあり、厄介なものなのだが)。

しばらくすると、白衣の男性と僧侶が本堂に入る。夜の勤行の時間のようだ。僧侶が、写真を撮りたかったらどうぞと声を掛けてくれた。それから、一緒に夜の勤行をしてみてはどうか勧められ、カタカナ書きの経本を手渡される。

ナーモー ターサー パカワト アラハト サンマー サンプット ターサー

何とも言えない独特の抑揚であげられる経文。意味は全くわからないが、仏陀そのもののことばに一番近いとされるパーリ語の経文を聞きながら、仏陀もこのように人々に語ったのだろうかと想像する。読経のあとは、瞑想。30分ほど同座したが、時間の都合により途中で退出した。

静寂のうちに咲く花々。隔絶と調和。人々の微笑と僧侶の孤独。

タイの山奥に行かなくても、成田の疎林にはブッダの教えに帰依したものが集う鹿野苑があった。

かつては私たちも持っていたであろう信仰を通したコミュニティのすばらしさに触れるにつけ、こんな世界を外国にも創りだしてしまうタイ仏教の凝集力に感嘆するとともに、若干のうらやましさを感じた。私たちがかつて、古臭いもの、面倒なもの、非効率的なものとして解体・廃棄した世界。

私たちはもう二度と手に入れることはできないのだろうか?

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