勘違いした4年間

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前話: 重圧から逃げた3年間

勘違いした4年間

重圧から逃げたツケが回ったかのように1年間の浪人生活を余儀なくされた。


これが3年間の僕の結果。


いや、正確にはそれでも推薦で入学する事は出来た。


でもそれを拒否した。


もしかすると、これも推薦入学からの重圧から逃げただけかも知れない。


その後の結果で、答えは白にも黒にもなるというのはこの頃から身に付いたのかも知れない。




実は、高校野球で、問題を起こして謹慎が2回、そして本当の引退。


大学入学までの浪人期間。


これらを以下で”仮引退”だとする。笑


他の同世代の野球人に比べて、野球からの離脱が実に多かった。


これは僕自身の素行の悪さや自分勝手さが全ての元凶だったので自業自得。


しかしそんな離脱を余儀なくされた野球からの”孤独な期間”が、他の野球人では到底到達出来ない

未知の領域に結果的には誘ってくれたことになる。


野球に限らず、何事も我慢し続ける事を美として、ひたすら追い込む事を善とする。


それに背けばその先はノーチャンス。


そんな中で、半ば強制的に味わう”謹慎”には普通の野球人は経験したくても出来ない

孤独な期間を正当化してくれるものとなった。



よく聞くと思いますが「引退してから上手くなる人」っていると思いますが

言ってみれば僕は人並み以上"引退"を経験した事になるわけです。笑


そして大学入学後もさらにこの「仮引退歴」は加速する事となる。



その度”野球からの孤独”を味わい、それでも上達の意欲の火を灯し続け、野球の常識や既成概念を客観的に捉える期間へと昇華させた。


よー考えたら野球って、なんかおかしくないか??


ホンマにそれって基本なんか?


もしかしたら間違ってるんちゃう?


やがて僕の闘うべきは「既存の野球概念」へと変わって行き、一つ一つの基本を自分の力で再確認して行く日々。


そんな日々を大学入学後は”予定通り”過ごす事になる。



ただ確信が欲しかった


高校時代に掴み変えてはすり抜けた手応えを忘れた訳ではない。

しかし、手応えを掴みかけては”仮引退”を繰り返して

一向に成長したとはいえなかった。


そんな時

「この手応えをせめて保存できないものか・・・」


いわば自分自身の教科書だ。


でもやはりスポーツ、最後は全て感覚だったため、感覚を保存するなんて出来っこない。


それでもなお、仮引退を繰り返す僕にとってはいちいち振り出しに戻っていては、それは死活問題。


そこで、考えついたのが「感覚の冷凍保存」


つまり「感覚の理論化」です。



感覚を全て理論化出来れば、いつでも自分で解凍して、いつでも自分で引き出せる。



そう考えたのです。


なぜ出来たのか?

なぜ出来ないのか?

何が足りないのか?


それらを確認、仮説、実証、改善。


僕の大学時代の練習はそれに"予定通り"終始した。


そして選んだのは


予定通り終始してもなお試合にも出れる環境。


桃山学院大学。


練習環境の割に大して強くない。


好き勝手しても試合には出れるだろう。


予定通り確認作業に終始するために。


全ての時間、野球の概念を覆して行く日々にするべく。


そんな予定通り過ごした4年間とは、指導者の事など一切構わず、

自身の理論を確証する為の期間。


高校三年間で掴みかけた感覚を

浪人した一年間で、理論として冷凍保存し

それを解凍する為の期間。


そしてさらに理論を昇華させていく。


その為には、どれだけ勝手をしようと試合には出れる環境じゃないと難しかった。


しかし、その環境に埋もれてしまうなら所詮そこまでだという覚悟。


それに大学ではハナから指導者から指導を受けようなんて思ってなかった。


極端な話、指導者なんて誰でも良かった。


そして予定通り、そんな僕でも試合には労せず出れる、そんな環境だった。

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