【第一回】少年Aがいた街。

次話: 【第二回】少年Aがいた街。

少年Aが大人になって手記を出版した、というニュースを聞いて、心がどうしようもなくザワザワしています。

私の中で、まだ未整理な出来事を私なりにまとめられたら、と思って、初めてここで書いてみることにしました。


***

97年、ニュータウンを襲った出来事。


1997年。

その年の春まで、家庭教師(といっても小学6年生の)のバイトをしていた大学生の私は、その教え子が中学へ上がると同時に、バイトの職を失った。

分数の割り算とか、円の体積までなら、ヒイコラ言いながらも何とかなったけど、もともと骨の髄まで「ド文系」の私が「数学」を人様に教えることなど、毛頭ムリな話だった。

猿が犬に「エラ呼吸の仕方」を教えるのと同じ。

要するに、範疇外。


「もうコレ以上は、リームー!」


と日和った結果、みずから「学校の単位が危なくて…」などと適当な理由をつけて辞めたのだった。

その教え子(小6のRちゃん)は私が辞める日に泣きながら手紙をくれて、心が痛かった。

だけど、その子の為にもそれが良かったと思う。

もっとマトモで、分かりやすく教えてくれる家庭教師がほかにゴマンといただろうから。

一緒に「美味しんぼ」読んだり、オヤツ食べて雑談ばっかりする、不真面目な先生(私)よりは。


そして、次に見つけたバイトはコンビニの店員だった。

(なるべく、プレッシャーの少なそうな仕事がいいな~)

家庭教師のバイトで、少なからずプレッシャーを感じていた当時の私には、そんな下心があった。

ベッドタウンだった私の住む街のコンビニはその1軒だけ。

常に自動扉に貼られていた「バイト募集」の貼り紙とヒマそうな店員さんの姿を交互に見て、私の気持ちはすぐにかたまった。

面接を受けた数時間後にはすでに、めでたく青ストライプのユニフォームを着て、優しそうなお猿に似た店長に「何かジュースでも飲んでよ」と、100円を渡されている私がいた。

そのコンビニではバイト中に店長に、ジュースをおごってもらえる。というシステムが存在するらしかった。

ただし、機嫌がよい日限定。


そのうちバイト間で「3人のバイトのうち常に1人は必ず休憩にしよう」というオリジナルルールが出来上がった。

カウンターには常時2名、バックヤードに1名(休憩)という「スーパーローテーションシステム」略して、SRSを作り上げた。

つまり30分置きに3人のうち1人は休憩して、バックヤードで「ドリンク出し」という名の休憩をしていたのだった。


店に常駐はせず、夕方の決まった時間に来るだけだったお猿の店長は、それを知らない。

不意打ちで店長が来たときは、レジにいる誰かが「レジ応援」のボタンをさり気なく押した。

そうすると、SRSによってバックヤードで雑誌を読んでいた休憩中の店員は監視カメラで店長の姿を確認し、何食わぬ顔で仕事に戻るのだった。

SRSは、カンペキだった。


地方都市の、地域で1軒しかないコンビニとはいえ、2台あるレジに行列が出来るのはお昼のピーク時に1回か2回あるぐらいで、それ以外はヒマだった。

だから、レジに3人も常にスタンバイしている必要がなかったのだ。


「あの事件」が起きるまでは。


(続く)

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