モテサク伝説
茂木 耕作 (もてき こうさく)
性別 男
年齢 39歳 1976年6月6日
京都生まれ(六地蔵) 新潟育ち(新潟市 新潟小学校 寄居中学校 新潟高校)
北海道大学 理学部 地球惑星科学専攻 理学修士
名古屋大学 地球水循環研究センター 理学博士
京都大学 水資源研究センター COE研究員
海洋研究開発機構 研究員
モテサク0歳 1976・6・6
モテサク1歳 1977
モテサク2歳 1978
三輪車でマンションの階段を降りようとして転落。
号泣しながらアタマから顔中が血まみれのモテサクを父がおぶって病院へ。
病院までの道のりで息が完全にあがった父を背中から励ます。
病院では血まみれのまま笑顔で治療を受ける。
モテサク3歳 1979
京都から新潟に引っ越し、三輪車を手放して、新車(補助輪付自転車)に乗り替える。
一日中、マンションの前の道路を時速10kmで往復し続ける毎日。
それは長く続かなかった。
スピード超過でハンドルが効かなくなり、コンクリートの塀に激突。
号泣しながらアタマから顔中が血まみれのモテサク、人生初の救急車に乗る。
三針塗った前頭部の傷跡からはしばらく髪の毛が生えなかった。
あさひ幼稚園に入園。
モテサク4歳 1980
あさ8時ごろに起きて(たぶん母が寝起き悪かった)、
朝ごはんを1時間以上かけて食べ(別にキライではなかった)、
10時過ぎに幼稚園にいく毎日。
さすがにモテサクよりも遅く来る子はいなかった。
モテサク5歳 1981
マキコちゃんと結婚の約束をする。
モテサク6歳 1982
モテサク7歳 1983
新潟小1年生。
モテサク8歳 1984
新潟小2年生。
アレルギー性鼻炎で鼻タレ小僧だったので、
同じ班の女の子にイジメられる。
汚い、コッチ来ないで、何やってんの、
鼻がたれてなくてもあらゆることを否定されて、
とても傷付く。
学校に行きたくないと思うようになる。
だけど、家では、なんでか分からないことでいつも怒られるので、
家にいるのも嫌で、どこにいたらいいのか分からないと感じる。
一人で海沿いの松林や近くのグラウンドで、
カマキリやバッタ、トカゲやカエルを探して回るのが、
常となる。
友達がいなかったわけじゃないけど、
仲の良い友達ではなかったんだと思う。
一人でいるのは、相対的に嫌じゃなかった。
イジメられたり、怒られたり、そんな心配をするくらいなら、
一人が楽だった。
でも一人でいるのは、漠然と寂しくて、
一日のうちほとんど何も話さずに過ごすような暗い子供だった。
たまに猛烈に寂しくて、父が早く帰ってきてくれないことを恨んだりした。
モテサク9歳 1985
新潟小3年生。
しつこくて陰湿だった女の子のイジメを先生に告発した。
イジメられなくなった。
さっさと言えばよかった。
でも女の子にイジメられてるなんて
すごく恥ずかしいことだと思って言えなかった。
言えないことを彼女は見透かしてイジメていたと思う。
そのとき少し明るくなったと思う。ほんの少しだけ。
高校野球に憧れて、父とのキャッチボールにハマる。
平日もカベを相手に、エースピッチャーになりきって、
日が暮れるまで投げ込む。
球はどんどん速くなっていくのがわかった。
自分が成長することの喜びを初めて意識した気がする。
父にも褒められた。
近所の兄ちゃんを相手に投げても打たれなかった。
オレはできるんだ、と思った。
でも、実はまだ「おねしょ」していた。
小2の息子がまだ「おねしょ」しちゃうのは、
絶対オレのせい。
モテサク10歳 1986
新潟小4年生
モテサク11歳 1987
新潟小5年生
モテサク12歳 1988
小学6年生
モテサク13歳 1989
寄居中学1年生
モテサク14歳 1990
寄居新中学2年生
モテサク15歳 1991
寄居中学3年生
モテサク16歳 1992
新潟高校1年生
モテサク17歳 1993
新潟高校2年生
モテサク18歳 1994
新潟高校3年生
盲腸を患う。
腸閉塞を患う。
意識が飛ぶほどの痛みで陣痛ってこんなかなと思った。
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