もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。1話

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はじめに


私の祖母は福島県双葉郡富岡のある村で暮らしていました。

小さい頃、体が弱かった私は、よくこの田舎に預けられていました。

夏には蛍、冬には満点の星、新鮮な食べ物、小高い丘から見えるのは福島の青い海でした。

自然の素晴らしさを教えてくれたのはこの田舎で、祖母は田舎暮らしの知識を教えてくれました。

そんな祖母が体験した 

昔、日本ではこんなことがあった

という事を、自分の息子にいつか知ってもらいたくて数年前に書いたお話です。

storys.jpでは、その話の主だった内容をまとめ、書いてみました。


第1話


私が小学生の頃、きまって母が食い入るように見ていたニュース映像があった。



それは、皆、同じ灰色の衣服を着た中年の男女の集団が空港で手厚い出迎えを受け、戦時中、満州国で離れ離れになった肉親や親族と対面するものであった。

母はかつて二歳まで満州で生活していたことがある。一歩間違えれば、私はここにいることはなく、母はブラウン管の向こうの灰色の衣服をまとった女性の一人だったかもしれなかった。        もちろん、当時二歳だった母には満州時代の記憶はほとんどない。そして、あの灰色の集団の彼らは、父、母、兄弟の記憶がほとんどない。形見だったり、養父母からの話を聞きその情報をたよりに日本での血縁を探しに来日した。



母は彼ら一人ひとりの身元が明らかになるたびに、目に涙を溜め、自分の事の様に喜んだ。     この頃の母はいつも、彼ら、中国残留孤児の人たちを気にかけていた。そして、母の強い感情移入の様子は私の小さな頃の思い出の一つとしてしっかりと焼きついていった。


つまらない学生生活を送り、私は社会人になった。社会人2年目でバブルがはじけた。

一気に世の中は不景気になった。そんな時代でも、夢を追いかけた時期もあった。        

結婚して子供が生まれた。子供を持つようになった時、親の大変さや有難さを知った。       育児に追われる日々の中で、痴呆が進んだ祖母が寝たきりの状態になっていると聞き、一日だけ子供を預けてお見舞いに行かせてもらった。


福島県いわき市にある叔母の家で祖母は養生生活を送っていた。叔母、まさ枝は母の妹である。


叔母は昔から、かなりのやり手で大手通信会社の女性課長クラスまで上りつめたが、自身もベーチェット病を発病、回復後、祖母の介護を引き受ける為、会社を退職した。

しかし、ただ、介護をする為だけでなく、祖母の床ずれや体の硬直を防ぐためにマッサージ師の資格を取得した。(現在では、その指導者となっている。)


温泉をひいた叔母の家はすべてバリアフリーになっており、祖母は居間に置いてあるベットの中にいた。祖母に会った私は軽いショックを受けた。祖母の姿はまるで幼女のように小さく、鼻には流動食用のカテーテルが入っており、入れ歯が外され顔の形が一回り小さくなっていた。目はぴったりとつむっており、時折、ごろごろと痰が詰まったような音が聞こえた。


そこには、あの、浅黒く日焼けした力強い祖母の面影はなかった。


しつけには厳しい人だったが、口うるさい人ではなかった。十人の孫が集まると時々古いオルガンを弾いてくれた。夜には寝物語で不思議な話をしてくれた。一日中、畑や田んぼに立ち、一家の大黒柱といっていい祖母がこんなに小さくなってしまったのが、悲しくてたまらなかった。


祖母のいる田舎で夏休みを過ごすのも、せいぜい中学生まで、それまでにいろんな話を聞いたけど、祖母は一度も戦争の話をしたことがない。いやもしかしたら、聞いたのかもしれないが、ちゃんと語ってくれなかった気もする。だから、私が母から祖母は満州から帰ってきた人なのだと聞かされた時は本当に驚いた。でも、それと同時になんとなく合点がいった。祖母は村の誰からも頼りにされ、一家をまとめてきた。祖父を陰日なたとなく支えていた人だった。

そして、母は何かにつけ私を励ます時には

「あの、おばあちゃんの孫なのだから、あんたにはその血が流れているのだから。」

と言った。そして、きっと母もまたそのように周囲に言われてきたのだと思う。

おばぁちゃんの血ってなんだろう・・・。


祖母はどんな人だったのか。 私は叔母から一晩かけて祖母の若かりし頃の話を聞いた。



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もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。2話

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