【第2話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜

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うつ病から躁うつ病に…


前回のお話はコチラ↓↓↓

【第1話】〜生きようと決めて1年間闘い続けたら、過去がすべて今に繋がっていた話〜



2014年1月下旬。


うつ病がまた悪化した。


旅から帰って来て、僕の生活はガラリと変わった。


休職していた会社を辞め、心理学を勉強し始め、バイトも始めた。


一日中家にいた生活とは打って変わって、また忙しない生活になった。


「一刻も早く社会復帰しなければ…」


と思っていた。


僕は必死だった。


旅を終え、うつ病が劇的に回復したこのタイミングを絶対に逃すまいと必死だった。


しかし、やっとの思いで掴みかけた道筋は、

幻のようにあっという間に消えてなくなり、

僕はまた暗闇に堕ちた。


新たなスタートだと期待を膨らませていた2014年は、

地獄のスタートを切った。


大きな期待を裏切ることほど、絶望することはない…。


僕はもう大丈夫だと思っていた。


大切な人のありがたさに気が付き、

もう独りじゃないと思えた。


仕事も出来るし、社会にも適応出来ると思っていた。


しかし、いざ社会に戻ってみると、

そこではやっぱり独りで、誰が助けてくれる場所ではなかった。


誰かがずっとそばで見守ってくれる訳ではないし、

「こっちに進めばいいよ!」

なんて良い方に導いてくれる人もいない。


常に自分で考え、自ら行動をしなければならない場所だった。


そして、「社会」という決められたルールに従うことが出来なければ、

問答無用に居場所を取り上げられてしまうような、

僕にとってはとてもとても恐ろしい場所だった。


社会に出るリハビリとして始めたアルバイトで、そんなことを思い知った。


「自分で考え、自ら行動する」


この時の僕には、これが非常に難しかった。


恐くて仕方がなかった。


他人のルールが、自分のルールと同じとは限らない。


自分の答えが、他人の答えとは限らない。


他人のルールで動いている社会では、どんなに自分で考え、自ら行動をしても、

他人に「違う」と言われれば、それは間違いになり、失敗になる。


正解、不正解の決定権が他人にある時点で、自分の導き出した答えに自信が持てなかった。


そして、他人の判断した不正解が続くことにより、

ますます自分の答えに自信が持てなくなり、

自分は他人よりも劣っているという認識になっていく。


僕は、

自分に、

自分の答えに、

自分の選択に、

自信が持てなかった。


僕は周りの人よりも劣っている人間…


出来損ない。


ダメな人間。


だと思った。


お前は出来ない。


お前は間違っている。


お前はダメな人間だ。


と自分を責め続けた。


こんな時に溢れてくる感情は、不満や怒りといった反抗的なものではなく、

いつも決まって、「ごめんなさい…」という救いようのない感情だった。


僕は謝り続けた。


間違えてごめんなさい…


出来なくてごめんなさい…


一緒にいてごめんなさい…


存在してごめんなさい…


直接口にほとんどすることはなかったが、

いつも心の中で知らない誰かに謝り続けた。


ある日、僕はバイトに行けなくなった。


ミスをして怒られることよりも、

ミスをすること自体が恐くて仕方がなかった。


正解、不正解を判断する誰かと同じ空間に居ることが耐えられなかった。


しかし、せっかく川ちゃんに紹介してもらったのに、

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