世界を変えるということは

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(2年ほど前に書き途中だったストーリーがあったので、最後まで書いて投稿してみたいと思う)

世界を変えたい


大学生のわたしの頭には、四六時中その言葉があった。

ハミガキする時、キャンパスを歩く時、食堂にいる時、いつも頭の片隅にその気持ちがあった。面倒くさいほどの意識高い系だった。

「おれは世界を変えたい!」暇さえあればfacebookに投稿していた。自己満足な話をたれ流し、気を利かせた人たちにイイネを押してもらっては、底知れない承認欲求を子供のように満たしていた。今思えばイタかったし、青かったし、人も離れていったように思う。

海外に渡航することを「旅行」ではなく「旅」と呼び、

渡航歴のある国の数と、主催したイベントの数、fbでもらったイイネの数を気にかけていた。

イベントに参加しては、名前もよく知らない人との出会いを「つながり」、彼らを「仲間」と呼んだ。

SNSに誰かがニュースをシェアすれば、僕も負けじと知識のないまま持論を展開したりした。


今も変わらずイタイ所はあるけど、今の自分から見ても、当時の自分はどうかしていた。多分、焦っていたようにも思う。やりたい事が見つからず、自分に自信が持てない。自分に価値を感じていなかったし、そんな自分が嫌いだった。


嫌いな自分を遠ざけるように、外の世界に刺激を求める毎日。

今思えば、「社会的に価値があることをしたい」という思いは、価値を感じない自分の価値を少しでも高めるためで、「世界を変えたい」という思いは、目の前の世界を愛せない僕の弱さから来ていたのかもしれない。


とにかく、あの頃の僕は世界を変えたかった。

世界が何なのかもよく分からず、

変えるといっても何をどう変えるのか見当もつかず、

そもそも、変えることが良い事なのか定かではないのに、

世界を変えたかった。


アホだった。


そんな風に頭に血が上っていた私も、社会人と呼ばれるようになり、

自分の感情をばらまくだけでは上手くやれないことを知り、うちのめされ、

のぼせていた頭も少しは冷めてきた。


そうした頃、

世界を変えるということは実に単純な行為によってもたらされるのかもしれないと、

思うようになった。


世界は、今まで形になかったものが形になることによって、変わる。

形を帯びる対象は、製品・サービスに限らず、概念や価値観でもいい。

今までになかった新しいものが登場し、それが人の心理や行動を変容させる。その現象が広範囲で巻き起こった時に「世界は変わった」と言えるんだろう。もちろん、新しいものではなく、既存のものに切り替わる事によってもそれは起こりうるが、切り替えのきっかけになるものは今までになかった新しい何かだ。

(世界を変えるという言葉が広義すぎて定義がおぼつかないが、まあ大体こういう事だとしておきたい..)

それじゃあ、今までになかった新しい何かはどこから生まれるのか。突き詰めていくと、それは一人の人間の頭にあるアイディアが言葉になり、他の人に認知されることに始まると思う。

要するに、人との会話にはじまる。(自分一人だけで完結できず、どうしても他者が存在する状況は訪れる)


今まで言葉にされてこなかったアイディア、

言葉にされても見向きもされなかった言葉、

それを、勇気をもって口にする。


その作業は、きっと想像を絶するくらいむずかしい。

反対する人も多いからマジで怖い。前例がないから数値や論理で武装できない。

根拠はどこにある?と反対され、ボコボコにされる。

でも、思い切って話してみること、これが世界を変えるんだろう。


そして、もう一つ、重要なのは、上のような発言を許す雰囲気だ。

今までにないアイディア、常識として扱われたことのない概念は、誰もが理解に苦しむ。意味不明であることも多い。話している方もスラスラ言語化できてないケースが多いので、聞いてるだけでじれったくなる。よく分からない事を、長時間だらだらと話されると、聞いてる方もたまったもんじゃない。


でも、それをぐっと堪えて聴くこと。

話し手は、言葉にならない事を必死に必死に言葉にしようとしてる。よく分からない事を言っているのは理解してるのだ。ごめんと思ってる。でも聞いてほしい。このアイディアが重要だと、きっと良いものだと信じているから。希望の光がその先に見えるから。


世界を変えるということは、

勇気をもって話すこと、

優しくその人の話をきいてあげること

単純にそういう事だけなのかもしれないと思うようになった。

...最後になるが、世界を変えるということを目的にするべきではない。

世界を変えたいと願うことは、事業内容が確固としてないのに起業したいと言うのに近い。

闇雲な世界を変えたいと言う意思は、自己陶酔的で中身のない、薄っぺらなただのワガママ、承認欲求の成れの果てに過ぎない。


これが良いよ、こうなったら良いよ!

それ良いね、それやってみようよ。

世界を変えるということは、そんな後ろ支えのない無垢で純粋な人間的希望の結果として起こりうるものだ。先述のように、アイディアを頭の中から出す勇気、そんなアイディアを受け入れる優しさ、そうしたものから生まれるささやかな変革が結果として世界を変えることになる。


昔の僕は、まったくもって見当違いな「世界を変えたい」だった。


でも、きっと、

世界を変えるということは、

本当はもっと素朴で、もっと身近で、日常的なものなのだ。


そういう風に、思うようになった。

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