いつかフィリピン版「坂の上の雲」を書いてみたいという話。

セブでの仕事の論文化のための資料レビューの合間に、いつかの野望であるフィリピン版「坂の上の雲」執筆のためのフィリピン独立革命史のお勉強をついついしてしまう。

日清・日露戦争で若き日本がひたすら「坂の上の雲」をめざして歩いていた頃、フィリピンでも祖国の独立と自由で平等な社会の実現のために、スペイン、そしてアメリカというとてつもなく大きな力に立ち向かっていった青年たちの姿があった。

「ゴンブルサ」の3修道士は宗教家、ホセ・リサールは知識人、アンドレス・ボニファシオは庶民、エミリオ・アギナルドは有産階級の立場から独立革命に身を投じていく。フィリピン独立革命史はこれらの立場が交錯し、対立し、最後には有産階級の妥協によって挫折していく。

フィリピン独立革命は、まずはスペイン本国のカトリック修道会による地方支配制度に対する抵抗として始まる。スペイン人修道士とフィリピン人司祭との機会均等を求める戦いは3名のフィリピン人聖職者の処刑という結末を迎える。しかし、人々は、この3つの命と引き換えに磐石であると思われた修道会支配に対する「抵抗」を発見する。

そして、リサールはその著書によって、スペイン植民地政府と修道会の不正を暴き出し、知識人の覚醒を促した。そして、ボニファシオは勃興しつつある庶民階級の「直接的な力(武力)」をカティプナンという結社を通して結集し、アギナルドらの有産階級はこの結社の経済的な後ろ盾となった。

はじめは宗教的、そしてイデオロギー的に醸成された独立革命の機運は、結社によって結集された「直接的な力」の横溢によって高まっていく。

そしてついに、米西戦争という帝国主義戦争の間隙を縫うようにして、1899年、独立を宣言した第一共和制(マロロス共和国)はわずか数年でアメリカによって解体される。その裏側には、徹底抗戦による既得権の喪失を危惧した有産階級派による妥協的な降伏とアメリカに対する抜け駆け的な忠誠宣誓があった。

それを潔しとしない庶民階級派による抵抗は、アメリカによる保護国化の後も続く。そこで、アメリカは大規模な地上軍を派遣し、独立派の鎮圧を試みる。この鎮圧には15年を要し、その間の民間人の犠牲者は20万人とも言われている(一説によれば、アメリカが派遣した将軍30名のうち26名は、アメリカ本土のネイティブアメリカンの虐殺に従事した人物であると言われている)。

この一連の革命史の中で、特に感銘を受けるのは同じフィリピン人である有産階級に裏切られ、ルソン島の山中、あるいは近隣の島々に追い詰められながらもその土地の人々に助けられながら抵抗を続けていく庶民階級出身の青年たちの姿である。

青雲の志を胸に、祖国の解放と自由で平等な社会の実現を夢見つつも、多くの場合、同じフィリピン人の裏切りよって次々と倒れていく。しかし、倒れた人物の背後から、その志を引き継ぐかのようにまた次の世代の青年が立ち、そしてまた倒れる。倒れても、倒れても湧き上がるように次々と立ち上がり、独立闘争に身を投じていく青年たち。このような蜂起と流血の連鎖が1946年まで続けられる。

この間、約50年。それは誠に血なまぐさく救いのない一種絶望的な物語であるわけだが、その身につけた衣類しか持たないような青年たちが、ほぼ徒手空拳でとてつもない力に立ち向かい、その身を散らしていく姿には感動を覚える。

この悲しくも清々しささえ覚える青春群像。やはりいつか書いてみたい。

フィリピンというと、どうもよろしくないイメージばかりが先行するが、自由と平等を求める「普遍的」な人間の姿がここにもある。

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