地方で起業したIT開発会社が、VCからの資金調達に成功、パブリッシャーに業態転換を果たした後、倒産するまでの生々しい話。

このお話は、東北で起業したIT開発会社が、3年後に自社サービスを始めて、VCからの資金調達を成功させてパブリッシャになり会員70万人達成した後、倒産するまでの生々しい記録です。

システムの請負開発を事業とする開発会社(デベロッパ)にとって、自社ブランドのサービスを配信する会社(パブリッシャ)になることは、会社を大きく成長させるための夢であり、何かを失うかも知れない恐怖と背中合わせの賭けでもあります。

成功して得られるものは、「俺のサービスだ」と思えること。請負だと、たとえ何百万人の人が遊んでいても、サービスは他人のもの。自分が作ったはずなのに、自分のものとは思えない。この当事者意識の違いは、仕事の面白さに直結します。

失うものは、既存のお客様。自社サービスを伸ばすために人が足りないから、請負を断ってリソースを自社サービスに充てざるを得ない。しかし、万一自社サービスがコケたら一度断ったお客様が再び仕事をくれるだろうか?という心配がつきまといます。

私たちはこれらを乗り越え、請負業のデベロッパから始まり、地方にいながら自社サービスだけに集中、全国に配信するパブリッシャになりました。

しかし、成功は長くは続きませんでした。なぜか?

私たちの経験が、パブリッシャへの業態転換を夢を見るデベロッパにとって、何かの役に立てば幸いと思い書きます。

■創業して軌道にのせるまで

東北で創業したのは2004年、「K sound design」という名前の会社です。着メロが流行っていて、高品質で安く作ることへの需要が高く、あっという間に30人の雇用を抱える会社になりました。急成長できたのはお客様に恵まれた以外にも、未経験だったので雇用を増やすリスクについてよく知らなかったことと、仕事が新しく面白かったので若い人がすぐに興味を持ってくれたこともあるでしょう。

また、もともとは東京で働いていたので、その時にお付き合いがあった方に声をかけていただいたこと。東京の住処も残したままだったので、そこが東京の営業拠点になったことで、お客様にも身近に思っていただけたこともあったかと思います。こうして、東京の営業、東北の制作という分業が、すぐに回り始めました。

■自社サービスを志す

こうなると社長はヒマになります。ヒマになった社長は視野が遠くになり、このまま請負開発を続けていてもずっと自転車操業だから、自社サービスで高収益化を目指そう、となりました。しかし、自社サービスはすぐに儲からないし、確実に儲かる保証もありません。そこで、行政の支援を頼ることになりました。

行政の支援事業の良いところは、投資金額の何割かは補填されるので、投資の痛みを軽減させてくれます。デザイン素材は再利用出来るかたちで残るし、プログラムは陳腐化が早いのでそのままでは再利用できないけど、開発者のノウハウとして蓄積されます。

最初の自社サービスは国の支援、次サービスは県の支援を受けました。いずれもサービス単体で稼ぐには至りませんでしたが、請負業の新規顧客獲得につながりました。そして、多くのデザイン素材、開発者のノウハウを蓄積出来たことが、3つ目のサービスにつながります。

■サービス成長の手応え

3つ目のサービスは、行政の支援がないどころか、社内の誰からも応援されず、社長が「俺が開発をやる」と言い出してPHPを勉強するところから始めたものですから、やばい社長がトチ狂った、と思われたと思います。しかし一つだけ確信があったのは、新規事業をやるならば社長が一番真剣にならないといけない、という思いでした。

このサービスが「モバイルウォーズ」という名前です。詳しくは、http://hiroka.net/mw

それからは会社に通う時間も惜しんで自宅にカンヅメで開発。3ヶ月でLAMPを使えるようになってリリース。ページビューや会員数は成長を続けていました。売上はゼロなので、社内のリソースは充てられません。空き時間にちょこっと手伝ってもらいながらようやく売上が出るようになったのが半年後。

■初めての自社サービスの売上

全社会で、カードが売れた!という報告をした時は、ようやく金脈を掘り当てた!と鼻高々でしたが、みんなはポカーンとしていました。きっと半信半疑だったのでしょう。今となっては、カードを売るのは当たり前だけど、当時は「1枚のデジタルデータの絵が数百円で売れる」ことが他に無かったので無理もありません。プラットフォームもなかったので、ユーザにはウェブマネーをコンビニで買って来てもらうというハードルを超えるしか策がありませんでした。

こうなってくると社内でも、俺が関わりたい、俺ならもっと良く出来る、というムードになりますが、今のご飯代を稼がないといけないので請負業はまだ辞められません。もうちょっと辛抱しててと言ったり、空き時間に手伝ってもらったり、ということをだましだまし続けていました。

■期待値が上がりすぎて社長交代

少額ながら自社サービスで売上が上がり続けています。念願の自社サービス成功とパブリッシャへの業態転換が、もしかしたら出来るかもしれない、そんなムードが高まってきました。しかし、すぐにうまくいかない事情があります。モバイルウォーズはブラウザゲームなので、サーバへのアクセス負荷が高まった時の対策などのノウハウが足りません。難しい未知の問題を解決するためには、力のある技術者が専従にならないといけません。請負業の片手間でやるのは不可能です。

そのためなるべく宣伝はせず、わざわざ初心者にとっつきにくいゲーム設計をしていました。未知の問題の解決に喜びを感じるような、そんなスーパーエンジニアが専従にならなければ、マスへの展開は無理だ。そのときを待とう。ユーザからは早く会員を増やして欲しい、株主からは早く儲けて欲しい、社員からは早く関わらせて欲しい、そんな声に挟まれて、待て、まだ待て、焦るなと言い続けてきました。

しかし孤軍奮闘。周囲の期待値に煽られて、とうとう折れてしまいました。このサービスなら上場できる、上場を目指せば資金調達できる、調達できれば人材不足の問題は解決できる、株主にそう説得されたものの、自分のなかでは上場する心の準備は出来ていませんでした。そんなに重い責任は負えない、上場を目指すなら社長を代わって欲しい。そうして、社長が交代しました。

■魔法のような資金調達

社長が代わって、社内に一瞬混乱が起きましたが、新社長はあっという間にVCからの資金調達を成功させたことで、会社が目指す方向は定まりました。資金調達したことで、技術者だけでなく、デザイナーも専従になりました。グリーに広告を出して何千人というユーザが一気に増えました。釣りゲームしか知らないユーザは、初めて出会うカード合成ゲームに歓喜し、口コミでユーザが増えました。

人が増えるとデータの信憑性も高まります。ARPPUが1万円を超える高収益サービスであることがわかりました。これが金融機関を説得する材料になり、次の調達につながりました。そして社内リソースは増え、広告への資金投下が数千万円に増え、会員数が数十万人に増え、売上が倍々で増える。モバゲーがオープンプラットフォームになる際に、ローンチタイトルにも選ばれた。ローンチ特権で何もしなくても1日に数千人のユーザが増える。数値を見ると、順調に右肩上がりで成長しているように見えました。しかし。。。

■成功体験が足を引っ張る

デベロッパからパブリッシャへの業態転換は容易ではありませんでした。社内のほとんどのメンバーは自分たちが関わってきた仕事に誇りを持っています。請負業は明日から急にゼロにすることが出来ません。

請負の営業拠点であった東京事務所は閉鎖され、新規営業は停止。既存顧客にも引き継ぎ先を探しながら数を減らしていく。もともとデベロッパ事業を立ち上げた私にとっても、肉を切られるような痛い日々でした。

リーマンショックで請負業の受注が激減したことを期に、デベロッパ事業を別会社に切り出すことになり、会社にはパブリッシャ事業だけが残りました。かなりの荒療治で多くの痛みを伴い、不本意な形でしたが、パブリッシャになるという夢が達成されました。

そして、カード合成ゲームを流行らせたドラゴンコレクションが現れました。遊び方にパテントはないと任天堂の山内さんが仰ったようですが、カード合成システムで特許をとっておけば良かったと思っても後の祭りです。カード合成ゲームは増え続け、モバイルウォーズのユーザの流出を止めることが出来ず、それから1年かけてゆっくりと死に至ります。

■まとめ

こうしてモバイルウォーズの死を見届けて、自分が立ち上げた会社を辞めることになります。

不思議なもので、サービスは死んでも、東北で会社をやる夢は死なず、次の会社を立ち上げるのですが、直後に東日本大震災に見舞われました。さすがに八方ふさがりになり、会社を倒産させて東京の会社に就職するという道を選びますが、いちど決めた東北本社へのこだわりと情熱は消えません。

3年後にまた東北で会社を立ち上げて、今に至ります。

この経験を踏まえてこれからパブリッシャを目指すデベロッパの方に役立ちそうなことは、

1.社内にきらびやかな才能を持つ人材がいること

2.失敗しても問題ない規模で始めること(1年間の売上げゼロを耐え投資回収は3年を覚悟すること)

3.社長自身が誰よりも真剣であること

これらをお勧めして筆を置きます。

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