目は口ほどに物を言い・・・

 なぜだか分からないが、今朝目覚めた時に、「いろんな目にお目にかかった」ものだとふと感じた。同時に目は、すなわち意志であり、将来の姿であり、心の窓だとつくづく思う。


 人間が受ける印象は「目」だけと言っても言い過ぎではない。多少、髪が薄くとも、背丈が大きいか小さいかなど、そのようなことは大した話ではない。多少造作がおかしくても、それは個性であり、見方によっては愛嬌にもなる場合だってある。


 造作の構成部品である目について、もう少し言えば、目つきという表現は何ともしっくりこない。やはり「目」だ。目そのものが面白い。自分が目フェチだということは最近気がついた。

 白目と黒目の分量比、タレ目かツリ目か、一重、奥二重、二重なのか、モンゴロイドの特性である厚ぼったいまぶたなのか、それともあっさり目か、はたまた縄文的なくどいが情熱的な目、可愛らしい目もあれば、どうみても憎たらしい目など、目の形も観察すれば本当に面白い。目の位置というのもある。顔の中央に近い場合もあれば、遠い場合もある。前者が鳥に近い印象で、後者が爬虫類に近い印象だ。

 ところがこれだけある目の形而上的特徴が、同じ人間でも状況、心情などで鬼にもなれば女神にもなるところが目の面白さだ。それを目つきという言葉で片付けるのはあまりにももったいない。


 単純な目の表情は、キレイな目、楽しげな目、怪しげな目、悲しげな目、怒り目、呆れ目、怯えた目、流し目など、ダイレクトな表情だ。しかし、人間の心はそれほど単純ではない。その単純ではない証拠に、目は時として意志や下心というものを映す鏡にも窓にもなる。

 今までの会社人生でお目にかかった目、例えば、狡猾な目、ぼんやりとした目、精気に満ち溢れた目、やる気のない目、一攫千金を狙う目、隙あらば騙してやろうという目、裏切りの目、遠慮がちな目など。一瞬の表情を切り取ってみると、本当に表情豊かであり、口ほどにモノを言う。おまけにこの目が変化するから、これまた面白い。この目の表情変化は対人関係の状況変化をそのまま映しだす。

 過去の思い出を振り返るときに、目と事象のセットで記憶していることがたくさんある。ものすごく出来の良い部下を持ったものの、十分にうまく使えなかったことがある。残念な記憶だ。結局、その人は私が勤務先を辞めた直後に退職して、今では世界的に有名な大手企業の副社長をしている。この人の目ほど強い目は、今の今までお目にかかったことがない。まだ十分に若いので、きっとトップまで上り詰めていくのだろう。
この時のこの人の目に近い強い目を見ると、その昔の残念な記憶が昨日の出来事のように鮮明に蘇る。

 既に枯れてしまった今の自分には全く関係ないが、若い頃、盛りがついていた時代もまた、女性のどこを見ていたかといえば、やはり目。男をもてあそぶ目、媚びる目、小馬鹿にする目、無視する目、たかりの目、哀願する目など。


 今の奥さん(後にも先にも今の奥さんが最初で最後だと思うが)に出会う前には、あまり「良い目」の記憶がない。こと女性に関して思い出が希薄なのは目の記憶がないからかもしれないし、ろくな出来事がなかったので、目の記憶をするまでもなかったのかもしれない。もしかすると無意識に目の記憶を消し去ったのかもしれない。

 目というものが記憶のタグになる程の存在価値があるのも凄い話だが、目のタグの優れているところは、その時の状況も含めて、単なる「ある時点の出来不出来」以外の周辺情報、例えば、その時の人間関係、事象の動き、置かれていた状況などが重層的に束ねられている。言い換えれば、目にはそれだけの情報力があるということだ。


 今はコンサルタントという職業なので、互いに値踏みをするフェーズが仕事の最初のフェーズで必ずある。一種の儀式みたいなものだが、値踏みをする上で、相手様がこちらを見る目はかなりリッチな情報を含んでいる。


 私は、基本的に人と付き合うことにストレスを感じるタイプではあるが、コンサルタントは一種の客商売だ。客商売であるからには、お客様という存在と自分がど ういう関係であるべきかを最初に決めないといけない。そこでは、相手様が私に何を望んでいるか、自分という人間をどう値付するつもりか、どう扱うつもりかなどを予め知る必要がある。


 いろんな会話を通じた値踏みも悪くはないのだが、相手様もヒマじゃないだろうから、海のものとも山のものともよく分からない人間と接する時間など短いに越したことはない。


 そこで最近、相手様の面談時に見せた目とその後の結果の関係を分析するようになった。その結果、やはり最初の5分間の目の表情変化が、その後の結果をうまく表していることに気がついた。


 ダメな場合、つまり仕事にならなかった場合は、最初からこちらを見る目に真剣味がない。最近の表現であれば眼力が全然ない。また話をしている最中に目がぼんやりしてくる場合もある。人間は興味を持ったものに対する目は、針のごとく鋭くなるが、そうではないものに対しては、豆腐のような脆い目になる。豆腐の角に頭をぶつけるまでもなく、目が砕けている。


 こういう目に出会った場合は、早々に退散することにしている。お互いのためだ。しかし、エージェント経由の場合は、「あの目はチャンスなし」と宣言することも出来ないので、こちらは目を下げ加減にして応対することにしている。相手様の目がいくら砕けていても、こちらの目が濁っていては申し訳ない。

 こちらが変な目をしていることで、悪い印象が相手に付いてしまってはよろしくない。世界は狭く、また業界はもっと狭い。いつ何時、互いに世話になるか分からないので、ダメな場合は「なるべく目の印象を残さない」ようにする。

 最近は目を覆いたくなるような悲しい出来事、残念な出来事が多い。駅で遭遇する勤め人の目もどことなく虚ろだ。日本人の目に優しさが溢れていた時代はもう来ないのかもしれないが、斜陽な我が国日本であっても、せめて目だけは希望を持ち続ける強いものでありたい。

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