口説き文句

 誰の人生にも幾度かの節目がある。その節目には言葉が付き物だ。それこそが口説き文句。

 自慢じゃないが、女性に口説かれたことはただの一度もない。よくよく女性に人気もなく、縁もなかったようだ。しかし、男性には幾度か口説かれたことがある。もちろん仕事上のことだが。

 人生には節目というものがあって、後に考えれば人生の転換点なのだが、その時に心を動かされた言葉は人生の口説き文句。

 私の場合は、会社を変わるきっかけが、男の口説き文句だ。よく考えれば、口説かれるような状況でもなかったのではと思うこともあるが、口説き文句は心の隙にうまく刺さってくるからこそ効果があるのだろう。そして大事なことは誰が口説き文句を発するかだ。そこら辺の見知らぬおじさんじゃダメだ。それなりに名を成した人が口説くから意味があり、効果がある。

 最も刺さった口説き文句は、2年がかりで口説かれ、結局転職することになったきっかけになったものだ。こんな言葉は二度と縁がないだろう。その時の言葉は、「大組織を使って、大きな仕事をしてみようじゃないか。僕は君と心中してもいいんだよ」。確かに世界企業の真ん中で歴史に残る仕事をしてみたいという希望を持たない人間はいないだろう。一方で、この言葉はこれだけ切り出せば相当危ない、いや怪しい言葉だが、こんな言葉を世界的大企業の役員から投げかけられたら普通はイチコロだろう。2年も私に食らいついてくるのも凄い話だが、当時、たかだか39歳の若造にこんな言葉を吐き出せる人はやはり大したものだ。自分が逆の立場なら絶対に出てこない言葉だ。思い返せば、その時が私の人生の頂点だったのかもしれないが、ちょうど病み上がりで疲れていた時の一言だったのも、この言葉が私に効果的に働いたとも言える。すべての状況が整っていたのだろう。

 次はアメリカ人からの言葉で、共にベンチャー企業を興そうということになった時の一言。それは「そろそろ自由に仕事をしてみたらどうだい?世界を驚かす仕事でさ。日本人がアメリカン・ドリームも悪くない」。この人ともう一人、ノーベル賞チームのメンバーが揃って口説きにかかってきた。それまで窮屈に仕事をしていたつもりはなかったが、大手企業の組織の中で、あっちへ行ったりこっちへ行ったりという姿が、件のアメリカ人にはクレイジーに見えたのかもしれない。地球を何周したかも分からないような生活だった。何より、こちらも一度は会社経営をやってみたかったし、アメリカ人との仕事も良い経験だろうと感じ始めていたので、そこの心の隙にブスッと刺さった言葉だろう。彼らと出会って二年目のことだった。

 三番目は、やはりベンチャー企業の社長からだったが、そもそもは同じ会社でこの企業を興す準備をしていた相方からの言葉だ。それは「もう、そろそろ休むのもいいだろう。この複雑怪奇な事業を作ることができるのは、世界中であんたしかいないんだよ」。少しばかり勤め人を休養していた時のことだ。そこの社長は同じ会社にいた時代から「日本を代表する事業開発の天才」と言われた伝説の人だったこともあり、「この人に言われちゃ、捨て置くわけにもイカンだろう」ということで仕事を手伝うことになった。やはり、相手様の実績が裏打ちされた口説き文句は強烈だが、彼は私の性格、「あんたしかいない」という言葉に弱いことをよく理解していた。

 四番目は前職の社長からの一言。もともと顔見知りではあったのだが、「コンサルは一人の仕事だよな。組織を使ってモノづくりの世界で、何か新しいことをしたいと思わないか」という言葉。今考えると、「なんでこんな言葉で動いたんだろう?」と不思議に思うが、確かに「コンサルの悲哀」を十分感じていた時でもあった。コンサルという生き物は、自分が主役にはならない、モノづくりの現場で自分がモノを作るわけにはいかない、組織も使えない、あくまで間接的な支援者だ。これが営業支援コンサルだと同行訪問という現場仕事があるが、技術系コンサルはこういう現場仕事が出来ない。ちょうど、当時のコンサル業務のクライアントだった某ベンチャー企業の支援で、「外部の者が出すぎた真似をするな」という経営者からの一撃で、少しばかり落ち込んでいた時だったので、前職の社長の言葉はタイムリーに心に刺さった。物事タイミングがすべてかもしれない。

 ここまで生きてきて、人間にとって言葉ほど強い武器はないと感じる。また誰がどういう言葉をどのタイミングで発するかが鍵であることもよく分かる。同時に、口説かれることの気持ちよさの裏側には、大きな危険が伴うことも知っている。人を口説くにはそれ相応ののっぴきならない事情がある場合ばかりだ。

 私の生業であるコンサルとは、企業が内包する課題を見出し、これを適切に解決するために共に歩むわけだが、「のっぴきならない事情」(私にとっては企業リスク)を受け止めるだけの責任を負うことは出来ない。そこは従業員や役員とは決定的に違う「生き物」としての立場だ。逆に言えば、厳しい事情を共有し、跳ね返りの泥をかぶっても大きな成果を得られるのは従業員や役員の特権でもある。コンサルにはそういう苦労の後に来る大きな対価を得る資格はない。

 それでもコンサルという仕事をやっている原動力は何だろう?と考えることが多いのだが、たぶん、それは私自身が得てきた知見、経験などを世の中に還元しておきたいということだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 11年近く前に始めた、そして8年前に終えた最初のコンサル業時代は、まだ「還元するほどのもの」はあまりなく、単純に「一緒に考える人」だった。しかし、コンサルという仕事が、ある一線を越えてまで一緒に考えることは出来ないと知った時、次回コンサルをやるまでには、もう少し役に立つネタや仕掛け、方法論などを揃えておきたいと思ったものだ。

 まだ十分にそれらのネタを掴んだとは言いがたいが、ネタは走りながらでも追加、熟成することも十分に可能ということを、ようなく57歳間近で知るに至った。ここまで来れば、個人でもそれなりに生きていける。従って、他人様に口説かれる場面もなくなるだろうし、口説き文句に興味もなくなるはずだ。それでも私を口説く人間がいたら、それはその人自身が相当困っている人か、人を見る目がない人だろう。

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