ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第1話

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ちょうど1年前、数日前からの腹痛が眠れ無いほどの状態になり、2014年6月9日月曜日、朝一で掛かりつけの近所のS先生に診てもらったところ、腸閉塞と診断された。急遽紹介状を書いてもらい、近所の虎ノ門病院分院で緊急検査する事になった。

腸閉塞とは腸がなんらかの要因で詰ってしまった症状なので、詰まった原因が別にある。CT検査で詰まりの原因を調べたところ、大腸の下降結腸というところに、かなり大きさな腫瘍がある事が判明。

この腫瘍を手術で摘出して病理検査して悪性か良性かの判断がなされる訳だが、しかし、大腸を塞ぐ程の大きな腫瘍なので、良性と言うことは無いだろうと素人判断でも最悪の事態が予想できた。

CT検査の際、肝臓と大動脈リンパにも怪しい影が確認出来たが、取り敢えずは生活に支障をきたしている大腸の腫瘍摘出手術を優先し、怪しい影は摘出手術の後でPET検査ではっきりさせる事になった。

手術は大腸を洗浄し炎症が治まってからということで、1週間後の6月16日月曜日9:30~。摘出手術は5時間も掛かったらしいが、全身麻酔であっという間に終わった感じだった。後で知ったが、虎ノ門病院は大腸癌の腹腔鏡手術で有名な病院で、お陰で術後の負担もとても少なく、1週間後6月23日には退院。25日には電車で出社してアポ2件をこなす迄に回復。傷跡も殆ど残ること無く済んだのは不幸中の幸いだった。

退院してから11日後の7月4日金曜日、虎ノ門病院分院に出向き、摘出した腫瘍の病理検査の結果を聴く。結果は、懸念していた通り悪性の進行性癌。しかも、患部周辺のリンパ節10個中6個にも転移しており、立派な大腸ガン3Bの診断を頂いた。

大腸癌3Bの5年生存率は約60%。6割の人が助かるならば、大丈夫な方に入れるだろうと、楽天的な性格なので、それほど深刻には受け止めなかった。

切ってしまえば終わりと思っていたが、5年生存率を少しでも上げるために、再発予防目的で抗癌剤の治療を勧められた。再発予防と言っても抗ガン剤には怖い副作用があるわけで、どれほどの予防効果があるのかが気掛かりで先生に尋ねてみることにした。

「約20%の効果が期待できる」

との回答。

抗癌剤治療のスタート時期は、CTに写っていた肝臓とリンパの怪しい影をPET検査で白黒つけたの後、という事になった。

この時はあまり深く考えず、単純に意外と効かないもんだなという印象だったが、その後どうにも「20%の効果」が気掛かりで、本などで調べてみたところ、服用者の1/5の人に効果が現れる可能性があり、その効果とは、4週間癌細胞の増殖が抑制できるというもだった。

もし1/5に入って効果があわられても、4週間後にはリバウンドで大きくなる可能性もあるわけで、4/5に入ってしまえば悪くすると副作用だけで何の効果も得られない事になる。

PET検査は7月14日、4日後の18日に結果発表。という事は、抗癌剤スタートまでの猶予は2週間。

退院してからガンに関する本を読み始め、様々な治療法があることや、最先端の免疫療法などは、抗ガン剤をやって免疫系に副作用が出てしまうと、効果が薄れてしまう事をなどを知っていた。

2週間の猶予期間にガンに関する様々な本を読みあさった。

重粒子線や陽子線による癌治療や、分子標的薬など最新の抗癌剤などのニュースと共に「癌は早期発見で治る」とか「癌は克服できる」などの言葉を様々な媒体で目にしていたので、癌はテッキリ治療できるモノとお思いこんでいた。しかしながら恐ろしいことに、調べれば調べるほど癌は治療法が確立されていないどころか、未だ不治の病だという現実を思い知らさることになった。

厚生労働省によって保険適用が認められている治療を「標準治療」と言うが、それは、手術、抗癌剤治療、放射線治療の3つであり、それ以外の治療を代替療法といいう事が分かった。大学病院とか総合病院のような大きな病院は標準治療を優先する。代替療法は患者の個人判断で行う事になるが、その多くは個人のクリニックなどでドクターが独自に研究している治療法が多く、それらの情報収集はとても困難だった。

癌のステージは1~4まであるが、実は初期診察でステージ4(他臓器転移)の場合、手術もしてもらえず手遅れと診断される事もるらしい。癌手術は根治手術(癌組織全摘出)が基本のため、他臓器転移の場合、根治不可能と診断されるためだ。私の場合は、他臓器転移が懸念されたものの、直ぐにでも摘出しないと命に関わる大腸癌切除を先に行ってから、他臓器転移の確認という手順となったのはもしかするとラッキーだったのかもしれない。

7月14日月曜日、虎ノ門病院の本院でPET検査。結果は7月18日金曜日8:30~虎ノ門病院分院の主治医から伝えられることになった。

抗癌剤をやるのか、代替治療を見つけるのか、食事療法などで何とかならないのか、何れを選択するにせよ、4日後の18日には決断しなければならない。


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