『友達ゼロの人嫌い』が3.11被災生活を通して『人すげぇ!ホントはみんなイイやつ!』に変わり20年の人間嫌いを終わりにした話

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東北、宮城県の

地方都市、仙台。

ここに、

無関心・無関係・無感動

三つの『無』を抱えて、過ごしていた男がひとり。

それがこのオレ、ケータロー。

  


当時29歳、

転職回数は両手でも足りず、

カネもなければ、

友達もいない。



服が好きで目指した古着屋の開業も、

やらない理由を後付けしては

本当のところは…もう諦めていた。



『明日からやる気だす。』を毎日言い続ける

そんな日々…。

 


思い返せば、

学生の頃からずっと、

人付き合いは狭く、浅く

「作り笑い」でだいたい乗り切った。

クラスのどのグループにも属せるけど、実はどこにも属せていない。

そんな立ち位置。



そんなことをやっていったら、

高校を卒業してからの高校時代の友達がゼロという有り様。

  


いつしか、友達がいないことを辛くなくするために、

友達はいらない、いなくていいことにした。

 


こんな不器用な人間関係を、

大人になってからも長らく過ごして、

生きていた…。

 


そんな日々を過ごして、

今日も、当たり前に過ぎていく今日、

明日も、当たり前にやってくる明日。



あの日、2011年3月11日も

いつもと同じように、

通り過ぎていくのだと思っていた…。

 


 

【日常→非日常】 

~2011年3月11日 14時46分~

最初は『地震?…またか…。』だった

突然、

突き上げるような、大きな大きな揺れ

物が倒れ

壊れる音

体を支えるだけで精一杯だった



………終わった、

のか?

めちゃくちゃに散乱した部屋

つかなくなったテレビ

ひねってもなにも出ない水道

つながらない携帯

 


外にでてみる。

いそいそと車に荷物をまとめる人

ラジオで情報を聞いている人

ヒビの入ったアスファルトを不安そうに見つめる人

誰もが何をしたらいいかわからなかった。

 


雪まで…降ってきた

電柱が傾き、電線がさわれる高さまで垂れ下がっていた

ガラス張りの店舗は目を背けたくなる光景だった

 


道路は大渋滞。

車の赤いテールランプだけが、

ずっと連なって遠くまで伸びていた…

 


日が沈むと、

街の灯りが…

ない。

  


あの日の夜は

本当に『真っ暗』だった

その日、

たくさんの命が消えていったことを、

後から知った…。

 


 

【兆し】

電気、ガス、水道、物流

あらゆるインフラがストップした被災生活

自分自身のことで精一杯だった。

 


たくさんの人々が

誰かの安否を心配している様子を見たときに、

『自分の安否を確かめたい人は、誰かいるのだろうか?』

と自問して、でない答えに心をざわつかせた。

 


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