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15/7/28

『友達ゼロの人嫌い』が3.11被災生活を通して『人すげぇ!ホントはみんなイイやつ!』に変わり20年の人間嫌いを終わりにした話

Image by Olia Gozha



東北、宮城県の

地方都市、仙台。

ここに、

無関心・無関係・無感動

三つの『無』を抱えて、過ごしていた男がひとり。

それがこのオレ、ケータロー。

  


当時29歳、

転職回数は両手でも足りず、

カネもなければ、

友達もいない。



服が好きで目指した古着屋の開業も、

やらない理由を後付けしては

本当のところは…もう諦めていた。



『明日からやる気だす。』を毎日言い続ける

そんな日々…。

 


思い返せば、

学生の頃からずっと、

人付き合いは狭く、浅く

「作り笑い」でだいたい乗り切った。

クラスのどのグループにも属せるけど、実はどこにも属せていない。

そんな立ち位置。



そんなことをやっていったら、

高校を卒業してからの高校時代の友達がゼロという有り様。

  


いつしか、友達がいないことを辛くなくするために、

友達はいらない、いなくていいことにした。

 


こんな不器用な人間関係を、

大人になってからも長らく過ごして、

生きていた…。

 


そんな日々を過ごして、

今日も、当たり前に過ぎていく今日、

明日も、当たり前にやってくる明日。



あの日、2011年3月11日も

いつもと同じように、

通り過ぎていくのだと思っていた…。

 


 

【日常→非日常】 

~2011年3月11日 14時46分~

最初は『地震?…またか…。』だった

突然、

突き上げるような、大きな大きな揺れ

物が倒れ

壊れる音

体を支えるだけで精一杯だった



………終わった、

のか?

めちゃくちゃに散乱した部屋

つかなくなったテレビ

ひねってもなにも出ない水道

つながらない携帯

 


外にでてみる。

いそいそと車に荷物をまとめる人

ラジオで情報を聞いている人

ヒビの入ったアスファルトを不安そうに見つめる人

誰もが何をしたらいいかわからなかった。

 


雪まで…降ってきた

電柱が傾き、電線がさわれる高さまで垂れ下がっていた

ガラス張りの店舗は目を背けたくなる光景だった

 


道路は大渋滞。

車の赤いテールランプだけが、

ずっと連なって遠くまで伸びていた…

 


日が沈むと、

街の灯りが…

ない。

  


あの日の夜は

本当に『真っ暗』だった

その日、

たくさんの命が消えていったことを、

後から知った…。

 


 

【兆し】

電気、ガス、水道、物流

あらゆるインフラがストップした被災生活

自分自身のことで精一杯だった。

 


たくさんの人々が

誰かの安否を心配している様子を見たときに、

『自分の安否を確かめたい人は、誰かいるのだろうか?』

と自問して、でない答えに心をざわつかせた。

 


ただ、

この被災生活になってから、

何か、別な違和感を感じていた…

 


よく考えてみると、

自分にとって、不可解なことが

起き始めていることに気がついた…

 


なぜだろう…

『知らない人がすごく優しい』のだ。

 


…はじめは、たまたまだと思った。

でもそれは一日の中で、

何度も見た。体験した。



それは、こんなことだった。

 


~役所の食料配給で見た老夫婦~

貰ったばかりの食料を、

後から来た小さな子ども連れの家族に

あげようとしている姿を見かけた。



恐縮して受け取れない若い親に、

老夫婦はおだやかに『私たちはいいから。』そう言った。



若い親はそれでも遠慮してしまっていると、

老夫婦は、また『私たちはいいから』とだけ言って、

子どもに食料を手渡し、

笑顔で手をふり、去っていった。

 



~倒壊寸前の店から、品物を運び出し、利益ド外視で売ってくれたスーパー~

外にわざわざテントを立ててくれて、

必要なものを購入させてくれた。

その値段は定価よりも、はるかに安くて

もはや「商売」ではなく、

「支援物資」のようだった。

『電気が止まってしまったから…』と、

いただいたフルーツヨーグルトの味は

沈みがちな気持ちに、活力をくれた。

 



そんな出来事を見て、

『赤の他人のために、なんでそんなことができるんだ!?』

『でも…なんかカッコイイな…自分とこの人達は一体何が違うんだろうか?』

そう考え始めるようになった。

 

 

こんなこともあった。

 

 

~充電もままならない中で、投稿されるツイート~

被災した人々同士が、

スーパーやガソリンスタンドの開店情報など、

テレビからは得られない

ピンポイントな地域の情報を拡散し合った。



これは、本当にありがたかった。



充電も、充電方法すらも限られている中で、

自分の知っている情報を

みんなが、

自分のケータイの貴重な充電を減らしながら…

送りあっていた。

  



~避難所を回り、水を届けた給水車


銀色のピカピカの給水車であらわれたおじさんの

『満タンに入れるからな!』の一声。

透明な水が勢いよく注がれる。



その瞬間、

集まった人々の列から『おぉ…』と、

歓喜と溜め息が混ざったような

静かな歓声が起こった。

 


こんな出来事を

毎日のように目の当たりにして、

『赤の他人のために、なんでそんなことができるんだ!?』

という思いは、

少しずつ、

でも確実に、

変わり始めていた…

 


『もしかしたら…自分が今まで深く関わることは避けてきた他人(人間)って…』

そんな、まだ知らない可能性を感じ始めていた…

 


そして

オレはこのあと、

きっと一生忘れることのできないだろう光景を

目にすることになる。

 


 

【自分ができることを「やる」勇気】

食料を買おうと、

たくさんの人々が並ぶ列に、

その人は、

何か小さな紙切れを持って、近づいていった。

50代位の女性の方。

 


そして…

彼女は大きな声でこう言った。

『これから!給水情報をお伝えします!』

列に並ぶたくさんの人達の視線が

一気にその人に注がれる。



『○○地区!場所!○○小学校校庭!○時から○時!』

格好はどう見ても、一般の方。

 


『△△地区!場所!△△区役所!△時から△時!』

拡声器もなにもない。

 


紙に書いてきた給水情報を

その女性は

声を振り絞って、発信した。

  


『以上です!』

 


伝え終えた彼女は、

すぐに立ち去って人混みの中に消えていった。

 



…………

 


……

 


オレは目の前の出来事に圧倒され、

一日中、その姿が焼き付いて離れなかった。

 


…あれは一体なんだったのか?

考えに考えた。

他人の心の中を、心の動きを

こんなに想像したことがあっただろうか…



そうして、わかったこと。



あの人はきっと、

自分が知り得た情報が

多くの人にとって

「いま」役立つ情報だと感じ、

 


自分にできること

 

やるべきと思ったことを

 

自分ができる方法で

  

ただ、ただ

 

やったんだ。

  

そう、思った。


彼女の方法はとても原始的で

「より多くの人に」という意味では、

Twitterなどと比べて

大きく劣るとは思う。

 

 

それでも。

 

 

彼女は自分のできる限りの方法で

行動した。

 


…オレはその日、

あの女性のおかげで、

『人間』そのものを見直すことができた。

 

 


【自分を生き直す決意】

あの被災生活で

見た光景、体験した出来事

その全てが、

これまでの自分の価値観、人生観を

 


大きく揺さぶった。

 


そして、

他者の優しさと強さの中に、

見つけた共通点。

 



そうかっ!!

  



人間ってのは…

モノも

ココロも

分かち合うこと

ができるんだ!!

 



なんだよ…もう…




人って

すげーーーっ!!!


 


嬉しいのに、

涙が出るような

不思議な、

初めての

感覚だった……。

 


 

ふぅ…と一息ついたら、

また…閃いた。

 



あれ??




分かち合うことって…

……  

自分以外の……

他人がいないとできねーことだっ!!!

  




………あぁ




自分を出さず、

相手を知ろうとせず、

心から人を信じることができなかった、

してこなかった自分。

……

アイツがキライ

こうなったのはアイツのせい

そうやって、

自分のことばっか考えて…

友達が『できない』が、 

友達は『いらない』になり、

挙げ句の果てには

『一人で生きていける』 

そう本気で思ってた

これまでの生き方。


 


それが…なんっっって…!

 



もったいなかったんだろう!!

 


そう思った。

人を寄せつけないバリアを、

ガチガチに張ってたのは、全部オレ。



今わかった。 

ホントはみんな…

優しかった。

…有り難い。

 


自分の人生にとって

【なんの関係もない赤の他人】

だと思っていた

たっっっくさんの人たちが、

ホントは…

み~んなイイやつ

だったんだって、

心底わかった。

 



いや…むしろ、自分でそう決めたっ!

 



そしてもうひとつ。

これからは、散々サボってきた分も取り返すくらい…

オレは,

もっと人と向き合おう。

そう決めた。

 

その日、オレはなんだか…

もっかい生まれた気がした。

 

 

【震災後…】

 オレは、心に決めた

『ホントはみんなイイやつ!』

『もっと人と向き合おうっ!』

を実践していった。

 


今までとは180度違う生き方だったから、

始めはぎこちなかったり、

照れくさかったりもしたし

やってみたけど、うまくいかないことも

たくさんあったけど

心に決めたことに従って、

『今までの自分らしくないこと』に、

チャシンジし続けた。

  


すると、



今までの自分の人生には起こらなかったことが、

どんどん起こるようになった。

たくさんの出会いがあった。

多くの友達ができた。

 


自分のことを

気恥ずかしいけど…

『大好きだ。』と言えるようになれた。

 


そして、

当たり前が当たり前じゃなくなった

あの日の経験から、

『明日がくるのは当たり前じゃない』と、

目の前の「今」を大事にできるようになった。 





【あとがき】

そして、現在。

3.11から早いもので、丸10年。 (2021年現在)

今日も「好奇心」と「なんか好き」に素直に。

こころのままに生きています。



学生時代、友達はいなくとも一人出かけては

コツコツ、知識とセンスを磨き、

大好き歴20年を超える『ファッション』は、

カタチを変えて『ウェブデザイン』という楽しい仕事になりました。



飽きっぽく、両手じゃ足りない転職回数は

柔軟なアイデアの源泉と

尽きない話のネタになり、

人間関係の潤滑油になってくれています。



最大のコンプレックスだった

約20年の人間嫌いは

人に話しても、「またまた〜♪」と

笑って受け流されるほどになりました(笑)



クソみてぇな人生の「原因」だと思っていたものが、

実は…「人生最大級の宝」だったというワケです^^


なんかこう「もっと人と向き合おう」を

実践し続けたことで、

なにか「新しい自分になっていった」というよりは、

なんだか「元々の自分に戻っていった」そんな感覚です。



それと今は、この震災で自分が根底から変われた体験、

ひとりの「人は変わることができるを体現したことがある人間」として、

できること・やりたいことがフツフツと出てきているところです。



『他人はホントは敵じゃない、仲間なんだ。』を実感できるようなコミュニティづくり。

元人間嫌いが語る『人間がもっとラク〜に生きていけるコツ』もシェアしたいです^^



まぁ、そんなわけで

みんなで仲良くやりましょ〜よ^^

ど〜せ、

僕も

アナタも

『みんないいやつ』なんですから。



ケータロー


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