ムセオ・スグボに行った話

セブ滞在中にムセオ・スグボに行く。

ムセオとはスペイン語で博物館の意、スグボとはセブの古名。もともとスペイン時代の刑務所であったというこの博物館は、珊瑚石で建てられた2階建ての管理棟と周囲を巡る塀で構成されており、なかなか趣がある。

その展示物で目を引いたものが3つある。

一つ目は、マゼラン来航以前の墳墓から出土した東南アジア各国からもたらされた陶磁器。タイ、ベトナム、中国、日本から渡ってきた陶磁器が当時の有力者の副葬品として展示されていた。ヨーロッパ人が来航する以前からセブは東南アジア地域の「海のネットワーク」の一部を構成していたことがよくわかる。

もともとセブは、海洋移動民族のバンカーボートの船溜まり(集散地)として発展した。この船溜まりであった小さな入り江は現在でも旧市街の南端、近代的な港湾のすぐ横にひっそりと存在していて、海洋移動民族バジャウの人たちが住む水辺のスラムとなっている。この地域を歩けば(非常に危険な地域であるのでお勧めしないが)未だに、近隣の島から移動してきているバンカーボートが係留さていてなかなか趣がある。

この博物館に展示されている各種の陶磁器も、このようなバンカーボートによってもたらされてたのかもしれない。

二つ目は、黄金のシヴァ神のレプリカ。イスラム教が伝わる前、隆盛を極めたマジャパヒトやシュリヴィジャヤといったヒンドゥー王国の力がこの地域にも及んでいた物証である。これは、あのインドネシアのボロブドゥールを造営した人々の息吹がこの地域にももたらされていたことを物語っており、「海の王国」のロマンを感じる。

現在のフィリピンには、ヒンドゥーの名残はほとんど感じられないが、この地域の人々の意識を形成する古層として存在しているだろうことは、民間伝承や土俗信仰からかすかに感じられる。

三つ目は19世紀末に作成されたという、木綿の腹巻き。かざしてみれば向こうが透けて見えそうなほどに薄いその生地にはカトリックの守護聖人や天使の絵、そして何やら呪文のような文字が書き込まれていて、禍々しい雰囲気さえ漂わせている。

これは何かというと、スペインからの独立を画策した秘密結社カティプナンのメンバーが身に着けていた護符だという。

1892年にマニラで結成されたカティプナンはその5年後の1897年にセブ支部が開設され、この地域における独立闘争の原動力となっている。1897年といえば、カティプナンがマニラで武装蜂起した1896年の翌年、第一共和制(マロロス共和国)が樹立される1899年の2年前ということになる。風雲急を告げる情勢の中で、セブの人たちが独立闘争に身を投じていった状況がよくわかる。

このちっぽけな腹巻を見たときにすぐさま思い出したのは、清朝末期の太平天国や義和団の乱に身を投じた民衆が身に着けていた護符である。これも木綿のちっぽけな腹巻でこれを身に着けていれば銃弾も跳ね返すと言われ、それを信じた民衆は競って銃列の前に身をさらし、ばたばたと倒れていった。

太平天国の拝上帝会も義和団の義和拳も多分に中国の民間信仰である白蓮教の要素(拝上帝会はキリスト教の強い影響を受けながらも)を持ち、呪術を通した超自然的な力で暴力革命の成就をめざした。

この博物館に展示されている腹巻きは、そんな清朝末期の民衆が身に着けていた護符とそっくりであることに驚いた。もともと中国との交通が頻繁だったこの地域で、この腹巻きがその影響を受けていたと想像すること荒唐無稽な妄想ではない。

太平天国の乱は1860年代、カティプナンセブ支部の設立は1897年、義和団の乱は1900年。時代的にもぴたりと符合する。歴史的にも華僑が多いこの地域で、もしかしたら、この両者には直接的なつながりがあったのだろうかと想像するとおもしろい。

例えば、太平天国の首府である天京(南京)の陥落が1864年。この混乱を逃れた拝上帝会の残党ある一人の男がセブに辿り着く。そして、この地の女性と結婚し男の子が生まれる。その子はこの地でカティプナンの闘争に加わり、スペイン官憲に追われる身になり、父の祖国である中国に逃れ(蜂起に失敗したカティプナン首脳部の亡命先は香港だった)、その地で欧米列強憎しの感情から義和団の乱に身を投じる。その子はこの腹巻を身に着け、列強諸国軍の前に身をさらし倒れる。そして、腹巻のみがセブにいる両親のもとに届けられる。

ちっぽけな腹巻ひとつで妄想が広がる。これで一つ物語が書けそうだ。フィリピン版「坂の上の雲」の続編は、これに決まりかも。フィリピン版「坂の上の雲」が独立革命のヒーローたちの能動的な「オモテの物語」であるとすれば、その続編は、地方出身の無名の若者がおどろおどろしい宗教や生々しい政治的策動に受動的に巻き込まれていく「ウラの物語」として構成できそうだ。

この博物館で脳みそがあっちの世界に行っていたころ、息子はつまらないとぐずり始め、おそらくレポート作成などで(たぶんいやいや)来館していた現地の大学生グループは、男女できゃっきゃと騒ぎながら館内を歩き回っていた。

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