僕の名前も忘れ、100万人に1人の難病を患った妻と僕の物語

1 / 4 ページ

 

「全生活史健忘(解離性症候群)」

これが妻に告げられた病名である。


-------------------

発症以前の出生以来すべての自分に関する記憶が思い出せない(逆向性・全健忘)状態。自分の名前さえもわからず、「ここはどこ?私は誰?」という一般的に記憶喪失と呼ばれる状態である。「記憶喪失」と同視されている。障害されるのは主に自分に関する記憶であり、社会的なエピソードは覚えていることもある。


多くは心因性。まれに、頭部外傷をきっかけとして発症することがある。発症後、記憶は次第に戻ってくることが多い。治療としては、催眠療法で想起を促すことなどが行われる。

--------------------(ウィキディア参照)


日本で発症例は70数件。

1億の人口がいる日本で、まだ解決事例も数件しかない。


突然、

旦那である僕が誰なのかもわからない。

そして、自分の名前もわからない。


もちろん、自分の親の名前、自分の生まれた場所、

あげくには、毎日のように可愛がっていた自分の子供の名前もわからない。



この症状になった時、僕は

「もしかしたら僕に相手してほしいだけで、わざとしているのかも。」と思った。



しかしその予想はすぐに消し去られる。



二人の間には、生後半年になる子供がいた。

半年間、昼夜関係なく毎日だっこをして、母乳も与え、

初めての子供なので、本当に良く面倒を見て可愛がってくれていた。

夫の僕でも思うぐらいのそんな妻が、

なんともぎこちない抱き方をしていたのである。



今にも子供を落してしまうんじゃないかと思ってしまうくらい。

そして、いつもは子供の名前で呼んでいたのが、

「赤ちゃん」と呼んでいたのである。



そして、母乳の与え方もわからず、スマホで調べる始末。



これは夢じゃないのか??

というよりも夢であってくれ。


でも何度目を瞑って開けても同じ光景、

何度も考えても同じ結果、

これが現実なんだ。本当に現実なんだ。



僕はこれからどうすればいいのだろう?


その日は深夜ということもあり、

明日になれば治ってるかな。という考えても解決策が見当たらず、

現実逃避をしたような感じで就寝した。







原因は、過度のストレスによるもの。

ストレスを溜めこみ過ぎて、身に危険を及ぼす状態にまでなると

本能的に記憶をなくして、身を守るための行動をするらしい。



僕は、自分でビジネスをやっていることもあって、

もちろん夜は帰るのが遅いし、休日も家にいないことが多い。

外で外食もするし、仕事上女性と食事に行くこともある。



そんな中、妻は毎日が子育て。

家の家事もしないといけないし、子供は泣くし寝ない。

そんなことも知らずに、僕は家に帰れば自分のしたいように過ごす。




それが本人の中ではものすごくストレスになっていたのだと思う。

元々、あまり上手に発散するタイプではないので、

それがどんどん溜まっていっていたのだと思う。




そしてある日、

僕が先に寝ていると何か気配を感じ目が覚めた。

妻が僕の横で座りながら泣いている。



そして、突然裸足のまま家を飛び出した。


後になって分かったが、

元々、妻が妊娠している最中に僕が女性と観光に行っていることが、

妻の中では相当ストレスだったようである。

僕はそんな深刻には考えていなかった。

特にやましい気持ちも一切なかったし、その女性は妻とも友達なので、

そんなことでというくらい軽い気持ちだった。



子育て、家事、そしてこの件、

いろいろと重なるものがあって、パニックのようになり

家を飛び出していったのである。

以前より、大ケンカで何度か家出のようなことはあり(2,3日実家に帰ったり)、

今回も、「家を出る!」といって飛び出していった。



裸足で飛び出していったのと、家に半年の子供がいるので

僕はすぐに帰ってくるだろうと思っていたのだが、

一時間経っても帰ってこず、

マンションの外に出て、近くの交番まで行ってみると、

予想的中。妻がいる。



前も一度、喧嘩したときに家を飛び出して交番に行っていたので、

またかと思いながら、

「すみません」と言いながら妻の手を引き帰ろうとする。と、


妻の様子がいつもと違うと気づく。



著者のほー りぃさんに人生相談を申込む

著者のほー りぃさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。