何度後悔しても懲りないバカの半生の話(3)

小学生 ~印象に残るT君~


無敵の幼少時代が過ぎ去った後の僕は、小学校に上がると、軽度のいじめを受けた。


これは今にして思えば本当に軽いもので、服が無いから緑色のジャージばかりを着て登校していたことで<カビ>というあだ名を付けられたことや、他には同級生のT君からたまに暴力的なちょっかいを出された程度のもの。


そのT君は、どうやら両親が離婚して母子家庭となり、それからグレ始めたようだった。

放課後になるとすぐに僕は、強引に彼の自宅へと招き入れられる。

そのガキ大将の誘いを断る選択肢を選ぶことは、当時の僕には不可能だった。


「今日俺んちな」


大人びた性格だった彼は実に我が強く、それでいてクラスの中ではモテる方だったと記憶している。


いつも嫌々彼の家に遊びに行っては、外でボール遊びをしたり、部屋でゲームをしたりして過ごしていた。僕がようやく解放されるのは、パートに働きに出ていた彼の母親が帰宅する、午後五時ごろ。もしくは、何週に一度か部屋を訪れる、彼の父親の来訪があった時ぐらいだった。いつもなら脅迫じみた束縛をしてくるT君も、その時ばかりは心なしか嬉しそうにして、僕に帰れと言うのだ。


僕は別居してみたり、同居してみたりという時期があったせいであまり感じる事はなかったが、母子家庭で鍵っ子だったT君なりに、父親の居ない寂しさというものがあったのだろう。多少はぶたれたり蹴られたりもあったが、そういう部分に同情してしまう僕としては、彼を恨んだりするような気持ちはない。


そういえば彼がやらかしてくれた行為で、経済的に大きな影響を及ぼした事件が一つだけあったか。


ある日T君が僕の家に行きたいと言い出したので、自宅のアパートに連れてきたところ、両親ともが不在だった。鍵は持っておらず、僕自身も自宅に入れない状況で、どうにか入れないかということで、T君は僕の自宅アパートのドアノブに、鉄の棒やら何やらを差し込みこじ開けようとしたのだが……


結果、それが原因でドアノブが壊れ、その日の夜に空き巣に入られた。

父の牛革コートの類や母のめぼしい金品が根こそぎ盗まれ、80万円相当の被害だったと思う。これは幼い頃の僕が犯した中で、一家の財政面に大きなマイナスをもたらした最大の過ちの一つだ。後にわかったことだが、その空き巣犯は母の古い客であり、知人だったようだ。


その後T君と会う事はなかったが、高校に入ってからの彼は盗難車で事故を起こし、退学したと風の噂に聞いた。今は真面目に働いているか、アウトロースターになっているかは解らないけれど。


T君は確かに僕を軽くいじめてはいたものの、自分以外の同級生が僕をいじめることに関してはそれを断固として許さず、一切の情け容赦なしに蹴りを入れ続けるという、僕に対しての強い独占欲(笑)を見せた。同僚のいじめられっ子が、より格下のいじめられっ子だった僕をいじって来たりした時などには、T君の存在は文字通りの暴力装置として、抑止力として働いていたかも知れない。


不細工な形ではあるが、あれは彼なりの友情だったのだろうか。

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