もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。後書き

前話: もしかしたら、母は中国残留孤児になっていたかもしれない・・・。 戦後の満州から幼子を連れて日本に帰国した祖母の話。今、私がここにいることの奇跡。8話

終わりに・・・


なんとか、終戦の日に書き終えることが出来てよかったです。途中でたくさんの人に、読んで良かったとか、リクエストのメッセージを頂いたりして、励みになりました。読んで頂いた皆様には、私の長く、つたない文章にお付き合い頂きありがとうございました。


この話は、叔母の話をもとに、時代背景を自分なりに調べて書いたものです。時系列などはもしかしたら前後があるかもしれませんが、そこは素人の文章としてお許しくださいませ。また、当時の言葉などで書いておりまして、もしかしたら、気に障った方がいらっしゃるかもしれません。重ねてお許し願います。


叔母は今は結婚をしておりますが、子供がいなかった事もあり、祖父や祖母と一緒に居る時間が他の兄妹より長くあったと思います。祖父の旧陸軍同期の会などにも送迎をしたり、中国旅行(戦友の墓参り)の送迎など付き合っておりました。その時に、祖父や祖母また、かつての戦友の方から戦争の話を聞いたと言っております。


この後、祖父母のお墓は立ち入り禁止区域に入ってしまいました。


2011年3月11日以降、母方の親戚は皆、無事でおりましたが移転を余儀なくされます。一時期、私の家にも叔母が避難してきました。今では避難解除されておりますが、祖父母の墓は山の中にあり、長い間人が入らなかった為、人が歩ける状態でないと聞きました。

私は、はじめに、この話を息子達に伝えるためと思い書き始めましたが、今では、祖父母へ感謝の気持ちを込めて書き終わりたいと思います。

なにか、すごい事を言える、知識も立場もありませんが、私がここにいることが出来るのは、先人達の想いが繋がっていて、今があるんだと思います。その事を一番忘れてはいけないような気がします。

一日でも早く世界から戦争が無くなりますように・・・。


祖母が迎えに来てくれた駅です


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