テラさん車を買う

テラさんはすごぶる機嫌が良いときには、自分のことを「テラさん」と呼ぶ。

この日の朝もテラさんは終始ご機嫌で支店長車での現金輸送の車中、わざわざ僕を助手席にではなくて、後部座席に座らせ「たまには支店長の気分も味わってみんか?こんなオッサンにクルマ運転させとると、えらくなった感じがするでえ~」とまくし立てる。

そんなご機嫌のテラさんの気分を害したくなくて、僕は恐縮しつつも後部座席に座腰かけた(ちなみにテラさんは以前、現金輸送に同行した若手社員が無言で後ろに乗り込もうとしたときにブチ切れて「アンタ、悪いけど隣に座ってくれるぅ?」と凄んだことがある)。

自分の父親ほどの年齢の男性に車を運転させて、後部座席の背もたれに深く身を沈めたときには、「きっとアメリカの大統領とかアラブの大金持ちはこんな気分かな?」とか、全く現実感のない意味不明な妄想が浮かんだ。

「実は、テラさんな、車買ったんだけどよお。」

おお~、朝っぱらからご機嫌の理由はこれかぁ。

「ゲンソウ(現金輸送)が終わったら見せたるわ~」

そして、ゲンソウが終わり支店に帰ってきてからすぐ、テラさんは従業員用の駐車場のほうにひょこひょこと小走りで消え、数分後に先週納車されたばかりという愛車を支店の裏道に止めた。運転席からはこちらを凝視するドヤ顔のテラさんの姿が見える。

その車というのは、、、何と業務用の白いハイエース(中古車)。

さすがに新車じゃなくても、クラウンとかマークⅡみたいなおっさんセダンを予想していた僕は軽い衝撃を受けた。だって、それは本当に工務店とか配達業者が使うようなバリバリお仕事用の白いハイエースだったから。

「乗せたるわ、マツイ君」

テラさんは体を伸ばして助手席のドアを車内から開け、もの凄いドヤ顔で促す。ちょっと苦笑して、でもテラさんに顔を見られないようにして僕は助手席に乗り込んだ。飾り気のないグレーのシート。すぐ後ろには3人掛けの簡素な黒いシートが据え付けられているが、その後ろはがらんとした荷室。無駄に広い。

テラさん、一体なんでこの車を。。。

「ええだろ~、ちょっとした掘り出し物でなあ。ディーゼルの4WDだぜえ~。」

テラさんはキーを回しエンジンをかける。エアコンの吹き出し口から冷たい空気が勢いよく吹き出す。

「おっと、カーテン閉めにゃ」

運転席と助手席のすぐ後ろには透明ビニールのカーテンがあって、テラさんは勢いよくそれを閉めた。

「この車広いだろ、そんでエアコンがよく効くようにテラさん、自分でこのカーテンつけたんだわ。」

確かによく冷える。。。だが、なぜ業務用ハイエース(しかも無意味にディーゼル4WD)。。。頭の中で「?」が乱舞している僕を気にする様子もなく、テラさんは喋りまくる。

「こんな、でっかい車買って、まあ気分がええのお。これがありゃ、弁当の配達屋なんかもできるかもしれん。定年退職したら、仲間と弁当屋でも始めようかしらん。テラさん、60歳になってもまだまだ一花咲かすぜえ~」

テラさんはハンドルを握りしめ気炎を吐く。今日のテラさんを止められる者はもはや誰もいない。彼が言うには、支店長と客回りをすると、高齢の独居者の多さに驚くとのこと。それで、仕出し弁当屋はこんな人たち相手にこれから当たる商いだとテラさんは踏んだらしい。

「年金だってよお、どんだけもらえるかわからんで、定年しても飯のタネは必要だわなあ~」

鼻息荒いテラさんである。

「マツイ君もよお、給料シマツして早う車でも買ったらいいぜえぃ。そんときゃセコ屋(中古車屋の意)紹介したるからな。」

でも、僕は業務用ハイエース(白)じゃないやつがいいです。と口に出しかけたところにテラさんが畳みかける。

「そういやあ、そろそろハゼ釣りの季節だなあ。いっちょ日曜にこの車でハゼ釣りにでも行こうや、のう、マツイ君。」

えー、日曜っすか、テラさん。日曜はちょっと・・・と言う間もなく、

「おし、じゃあ、〇〇支店のハラダ君にも声かけよう。」

テラさんはどんどん話を進め、同じ運転手仲間の後輩のハラダ君と僕との3人で次の日曜にハゼ釣りに行くことが決まった。

強烈な冷風を顔面に浴びながら、その週の日曜日が潰れることが決定した。

無念である。

たぶん、20世紀終わりごろの初夏のころの話だったと思う。

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