ちょうど1年前に余命12ヶ月宣告を受けた話。第5話

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屋久島から帰るやいなや、次の旅行の計画を立てた。何せ、ガンの進行具合と抗癌剤の副作用で、いつ自由が奪われ始めるかハラハラもので、なるべく早く次の旅行に行きたかったからだ。 


場所は決めていた。


ウチは小学4年か5年になるまで祖父が始めた小さな新聞屋を家業としいた。そのせいで年中無休で働く両親を見て育った。父は郵便局勤めをしながらの手伝い程度の関わりだったので、小1の時に祖父が他界した後は、母が中心となり新聞屋を営んでいた。


新聞屋は昼夜が逆転する。夕方に複数の折り込みチラシが地元の広告屋から配送されて来ると、真夜中に新聞社から届く新聞にチラシを折り込むための準備をしなければならない。新聞社から届いて配達員が出動する間の短時間に、新聞一部一部に折り込み易いよう、二つ折のチラシに複数のチラシをはさみ込んで1セットにしておく。社員ゼロ、アルバイト2,3名の小さな新聞屋だったので、これを毎晩夕食前に一家総出で片付けなければならない。この手伝いが苦痛だった。


夕食の片付け後、早目に就寝する母は、真夜中1時か2時に起きて配送されて来る新聞を受け取り、準備したチラシのセットを新聞に折り込み、配達ルート毎に新聞の種類と部数を取りまとめて、早朝出勤して来る配達員に渡すのだ。


実は、新聞社から支払われる新聞配達手数料は配達員の給料で殆ど消えてしまい、新聞屋の収益のカナメは折り込みチラシだったりする。チラシの枚数や大きさと配達件数によって、新聞社からの手数料とは別に、広告屋から手数料が支払われるからだ。


新聞の休みは年にたった2日。だから泊まりでどこかへ旅行した記憶なんて殆ど無い。唯一良く憶えているのが、多分小学3年の頃に連れていって貰った尾瀬だった。


夜中に到着した駐車場にテントを張り、見上げた夜空の美しさを今でも鮮明に憶えている。人里を離れた山奥の、街灯一つ無い駐車場で見上げた夜空には満天の星がきらめいていて、「天の川」の「川」とはこの事かと、幼心に妙に納得した事を憶えている。



あの夜空を息子と見たいと思った。息子と尾瀬のあの夜空を見たい。


前回の屋久島縄文杉登山のために近所のアウトドアショップで買い揃えたハイキング用品一式を車に詰め込み、いよいよ紅葉シーズンスタートの9月29日早朝、関越高速で沼田ICへ向かった。


車を片品村の尾瀬駐車場に停め、大清水登山口までシャトルバスで移動。晴天の紅葉狩り日和にもかかわらず平日なので人気が少なく、息子と妻と家族3人マイペースで歩き始めた。


大清水登山口から約3時間掛けて登山道を登り三平峠に辿り着くと、これまでの景色とは一変して視界が開け、高い山々に囲まれながらも尾瀬沼を中心としたその一帯だけが平坦な不思議な景色が広がっている。


尾瀬沼の湖畔を反時計方向に半周ほど回り込んで尾瀬沼方面へ向かった。目的地は尾瀬沼のはずれの見晴十字路の弥四郎小屋。この小屋である本と運命的な出逢いをする事になる。


それは、歓談室にあった漫画、「ブラックジャックによろしく」。ドラマにもなった医療漫画だ。


不器用でクソ真面目で正義感の強い研修医が、大学病院の様々な科で臨床研修を受けながら、医者として、人間として成長して行く姿を題材にしたもので、有名大学の医局の教授を頂点とした医療従事者ヒエラルギーの弊害や、研究医と臨床医、外科や内科など科同士のパワーゲーム、製薬会社と大学病院の関係、健康保険制度の矛盾など、日本の医療産業に内在する社会問題を背景に、患者の治療を通じて主人公の研修医が既存勢力にブチ当り、その深刻な奥深い問題を浮き彫りにして行くといった内容だ。


尾瀬ヶ原を見渡す絶景の内湯に息子と入り、山小屋であてがわれたテレビもない広い和室でゴロゴロしていると、ブラックジャック好きの息子がブラックジャックの文字に引かれてこの漫画を持ってきたのだ。


息子を部屋に置いて、散歩がてら山小屋の周囲の写真を撮ったりしながら夕食までの時間を潰した。


豪華とは言えない、でもとても美味しい夕食を家族三人で他の登山客数チームに混ざって済ませて部屋に戻ると、



お父さん、これ読んでみて。
何で?
何でもいいから読んでみて。ガンの話。



と息子がブラックジャックによろしくの5巻を恐る恐る差し出した。


そこは第4外科に研修の場を移した主人公の研修医の姿があった。某有名医大付属病院の癌治療専門の部門で、抗癌剤推進派と否定派の医師のそれぞれの主張や、死の宣告を受けた患者と家族の葛藤、高額な未承認薬を使った延命治療による遺族の負担、患者を助けたい一心で未承認抗癌剤の使用に突っ走る主人公の研修医、それぞれの苦悩と葛藤の姿が第5巻〜第8巻に描かれていた。


第5巻〜第8巻の4巻を一気に読んだ。


息子にはガンである事は伝えていたが、ステージ4の末期である事は言ってはいなかった。ただ、抗癌剤を飲んでいる事は知っていた。この漫画を読んで、しかもガンの親父にこれを読めと言って来た中一の息子の心境を考えると、胸が張り裂けそうになった。


これまでも近藤誠医師の著書などを読んで、抗癌剤がガンを治療できない事は知っていた。延命の可能性と副作用のリスクを天秤にかけながら、付き合わなければならないものと考えていた。


抗癌剤で延命するという事は、段階的に強い抗癌剤に切り替えていく事を意味する。自分に適合した抗癌剤で一生延命できるわけではない。たとえ適合した抗癌剤に巡り会えても、癌細胞はその抗癌剤に対して耐性をもってしまう。そうなるとさらに強い抗癌剤を探す事になる。


PET検査の結果、首下左鎖骨上のウィルヒョーリンパ節と、足の付け根の大動脈リンパ節、そして肝臓転移が発覚し、ステージ4の宣告と同時に主治医が処方すると言ってきた抗癌剤は、大腸ガン腺癌に対する最新のXELOX療法(エルプラット(オキサリプラチン)+ゼローダ(カぺシタビン))だった。


私の大腸ガンの場合、保険適用で使える抗癌剤はだいたい4種類程度という事を事前調査で知っていた。先生の告げたXELOX療法は強い方から言えば3番目。もしこれがダメなら、二手しか無くなる。そこで、先生にお願いし、最も昔からある、あまり効かないと言われているUFT&ユーゼルの組み合わせでの処方をお願いし、それを飲んでいた。


段階的に強い抗癌剤に移行していき、この4種類が全て終わってしまったらどうなるか?


ならば、可能性は低くても最も弱い抗癌剤から試していき、一段階づつあげていく方が時間稼ぎができるのではないかと考えたからだ。しかし、いずれ来る最後の手が尽きたら、その後はどうするか。


緩和ケアに移行して穏やかな死を迎えるのが一般的なようだが、もう一つ、保険が適用されない未承認薬を使うという手もある。


しかし、もし未承認薬を使って効果が出た場合、200万円に及ぶ月々の医療費を生き続ける代償として家族が負担し続けなければならなくなる苦悩がこの漫画に描かれていた。


漫画を読み終えると面倒だから嫌だという息子を無理やり連れ出して表に出た。満点の星空を見に。


山小屋の目の前に広がる尾瀬ヶ原は既に真っ暗で、山小屋の灯りに照らされた一面だけがかろうじて見える程度だった。その真っ暗闇に向かって真っ直ぐに伸びる木道を息子と二人で歩いた。見上げた夜空には満点の星空と天の川が広がっていた。感情が鈍化したせいなのか、視力が落ちて低い投球の星が見えなくなってしまったせいなのか、小学生の時のような鳥肌が立つような感動はなかった。


暗い木道を歩く息子は何かに怯えるように機嫌が悪かった。

癌と抗癌剤延命の先の見えない今の状況が、一直線に真っ暗闇に伸びる足元の木道と重ね合わさったのかもしれない。



この時に、迷いながら続けていた抗癌剤を止める決心がついた。



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野中 秀訓

1968年2月1日 栃木県に誕生 1988年 国立高専を卒業し精密機器メーカー入社 1993年 韓国現地法人拠点長として渡韓10年間駐在 2005年 精密機器メーカーを退社し起業 2012年 アンチエイジング株式会社設立 2014年6月 ガン発覚 7月余命12ヶ月宣告

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