★天使になった我が子に会うまでのお話。ー葬祭業で培ったスピリチュアル思想で乗り越えた❓家族崩壊・妊娠中絶・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療・動物愛護ボランティア活動はじめる。を経験した話し…【おくりびと編】

1 / 3 ページ



おくりびと・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療…を経験した女の話しです。


【誕生死編①】はこちら

http://storys.jp/story/17896

わたし
♀・30才・既婚者
25才から不妊治療しています。

10代から、20代半ばまで、葬祭業で働いていましたが、誕生死をきっかけに転職!現在は、夫の経営する会社で、グラフィックデザイナーをさせて頂いております。

★たどり着いたのも何かのご縁だと感じます。ありがとうございます(*´▽`*)★


【おくりびと編】【誕生死編①】【誕生死編②】【不妊治療編】と4部構成でストーリーを展開予定です。

よかったら、見てやって下さい(´・ω・`)


では…私の、ここに至るまでの人生を書き綴っていきたいと思います。



16~25歳まで、葬祭業で働いた10年間ー

私が16才で、おくやみの仕事をする様になったきっかけは、だった。

母は生活の為にパートで葬儀の人材派遣会社で働き出す。


数年後…母は同じ職場の人と、独立するも、経営の意見の相違から母1人で独立する事になるー。

葬儀人材派遣会社フューネラルアドバイザースタッフF A S を起ち上げる。


そこで私は、アルバイト要員として高校2年の夏、始めて葬儀の現場の裏方を目にする。

まだ、葬儀の仕事の、右も左もわからない私を引っ張って行ってくれた先輩スタッフに支えられ

守られ、可愛がられ、私は葬儀の仕事に次第にのめり込むようになった。


その頃の周囲の反応ー

葬儀スタッフ
当時はまだ、『おくりびと』なんて言葉が知られていない時代。葬儀の仕事という職種は異様という感じ。
友人
何で?葬儀の仕事なんてしてるのぉー?

道を歩いていて、キャッチのビラ配りのエステの姉ちゃんにも職種を聞かれ…

葬儀関係って答えると…

え?なんで?そんな仕事してるんすかぁー?

と言われた事は、今でもずっと心の奥に置いてある。(笑)


友人にしても、ビラ配りのエステの姉ちゃんにしても、悪気は無く、当時まだ10代の若い私が、

おくやみの仕事をしている事に関して普通に疑問に感じていただけだと思う。


しかし、弔問に来たおばあさんからはこんな声が…

弔問者
お姉ちゃんまだ若いのに、えらいねぇ~

そう褒めてもらった時は、自分が若いのに、葬儀業をしているという感覚があまりなかったが

おばあさんの言葉が、素直にとても嬉しかったしその後の励みになった。


私が葬儀の仕事を辞めないで、青春時代と言われる華の10代から20代を過ごしてきたのは

ご遺族に、たくさん感謝される喜び。を感じたからずっと続けて来れたんだと思う。


残された、ご遺族の心情を察して今、私に何が出来るのか?真面目に考えた。

悲しみに寄り添いご遺族と一緒に、故人を天におくり出す、慈悲精神だった。



通夜と告別式の2日間のご縁ー

ご縁あって、たまたまその家の葬儀を執り行う立場になりー

亡くなってから出会う事になる、故人さんとのご縁を大切に…


故人の人生って…どんな人生だったんだろうかと?

ご遺族との会話や、アルバムや遺品を頼りに考えてみたり…


色んな種類のお酒が好きだったと聞けば、2~3個の紙コップにビールに日本酒、ワイン等

マジックで書いた紙コップにそれぞれのお酒を入れてご遺族の許可を得て、祭壇に供えたり…


故人が喜んでくれる姿を想像すると微笑ましくて…

最後に何かしてあげたい!と心からそう思う様になっていった。


本当に様々な人の生き死にを目の当たりにする日々ー

寿命を天命全うし、きれいな人生の終わり方をする人もいれば…(わたし主観ですが)

自殺、他殺、孤独死、事故死、子供の死、闘病生活のうえ亡くなっていった少年少女

貧困で福祉にかかっている人の葬儀など人の生き死には千差万別…


記憶に残ったお葬儀…

車で事故死した若い夫婦の施工だったー

残された中学生の子供が喪主になり、まだ幼い弟もいたかな?

私より若い喪主の、これからの人生を深く同情した。

たくさんの弔問者が会場いっぱいに押し寄せあちらこちらから、すすり泣く声。


最後の出棺の曲は、夏川りみの、涙そうそうが流れていたー


私は、残された子供達に胸いっぱいに、なりながらも自分に課せられた業務を必死に勤めた。


人は死んだら何処に行くのか?

高校卒業後も特に進学するわけでもなく、何か他にやりたい事もなかった私は…そのまま母の会社で、働き続けた。葬儀の仕事を始めた高2の夏から気付けば…もう4年も経っていた…。


遺体と対面する毎日を過ごし、その頃から…人は死んだら何処に行くのか?

と漠然とマジで、考え出す様になった。


家庭崩壊・両親の離婚…人生で窮地に立たされた

私の父は、自営で歯科技工士をやっていたが、私は勉強が出来なかったので

私立高校に通わさせて頂いていた。

そのせいで高額な学費と仕事の運営資金などで一家は破産に追いやられた。


破産の兼ね合いで計画離婚するも…母は父に愛想をすっかり尽かしていたのか?

母は…葬儀屋の取引先の社長と付き合う様になり…


本当に離婚する事態に陥ってしまう。


この男、外見は北の独裁者に似ているが、頭もキレ、金を稼ぐ能力はあった。

この男には妻がいたが、すでに離婚直前の別居状態だった。子は無し。AB型|д゚)

以下この男をTとする。



そもそも…A型で商売家系で育ったテキパキな男勝り母と、B型で自由気ままなスーパー我が道を逝くタイプの父と母が相性合うわけもない(笑)


一家の主を失ったが、母が男でもあり母でもあるので…生活には特に困る事なく…。

母・弟・私で生活するようになる。


その後、父は一人で寂しかったのだろうか、宗教にハマる

そこで出会ったバツイチ子持ちの女と再婚し、二人の間に一女を儲ける。


今となっては、高校卒業まで学費を援助してくれた父に、感謝しているー。乙でした!

スピリチュアルに目覚めるー

家族崩壊と多少なりとも私は、ダメージを受け、気を病んだのかもしれない。

そんな時…運命の出会いを果たすー。


二十歳の時、書店でキラキラ光る表紙の本が目に留まった!

直感でこれだ!と思った。


皮肉にも…Tがその場に居たので、買ってもらった。

その一冊の本の影響で私の思想は一気に変わり始めた。


ストーリーをお読みいただき、ありがとうございます。ご覧いただいているサイト「STORYS.JP」は、誰もが自分らしいストーリーを歩めるきっかけ作りを目指しています。もし今のあなたが人生でうまくいかないことがあれば、STORYS.JP編集部に相談してみませんか? 次のバナーから人生相談を無料でお申し込みいただけます。

著者の安部 みきさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。