15/8/24
★天使になった我が子に会うまでのお話。ー葬祭業で培ったスピリチュアル思想で乗り越えた❓家族崩壊・妊娠中絶・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療・動物愛護ボランティア活動はじめる。を経験した話し…【おくりびと編】


おくりびと・異常妊娠・誕生死・マタハラ・子宮頸ガン後遺症・不妊治療…を経験した女の話しです。
【誕生死編①】はこちら
▶http://storys.jp/story/17896◀
わたし「♀・30才・既婚者25才から不妊治療しています。10代から、20代半ばまで、葬祭業で働いていましたが、誕生死をきっかけに転職!現在は、夫の経営する会社で、グラフィックデザイナーをさせて頂いております。」
★たどり着いたのも何かのご縁だと感じます。ありがとうございます(*´▽`*)★
【おくりびと編】【誕生死編①】【誕生死編②】【不妊治療編】と4部構成でストーリーを展開予定です。
よかったら、見てやって下さい(´・ω・`)
では…私の、ここに至るまでの人生を書き綴っていきたいと思います。
16~25歳まで、葬祭業で働いた10年間ー
私が16才で、おくやみの仕事をする様になったきっかけは、母だった。
母は生活の為にパートで葬儀の人材派遣会社で働き出す。
数年後…母は同じ職場の人と、独立するも、経営の意見の相違から母1人で独立する事になるー。
葬儀人材派遣会社フューネラルアドバイザースタッフF A S を起ち上げる。
そこで私は、アルバイト要員として高校2年の夏、始めて葬儀の現場の裏方を目にする。
まだ、葬儀の仕事の、右も左もわからない私を引っ張って行ってくれた先輩スタッフに支えられ
守られ、可愛がられ、私は葬儀の仕事に次第にのめり込むようになった。
その頃の周囲の反応ー
葬儀スタッフ「当時はまだ、『おくりびと』なんて言葉が知られていない時代。葬儀の仕事という職種は異様という感じ。」
友人「何で?葬儀の仕事なんてしてるのぉー?」
道を歩いていて、キャッチのビラ配りのエステの姉ちゃんにも職種を聞かれ…
葬儀関係って答えると…
「え?なんで?そんな仕事してるんすかぁー?」
と言われた事は、今でもずっと心の奥に置いてある。(笑)
友人にしても、ビラ配りのエステの姉ちゃんにしても、悪気は無く、当時まだ10代の若い私が、
おくやみの仕事をしている事に関して普通に疑問に感じていただけだと思う。
しかし、弔問に来たおばあさんからはこんな声が…
弔問者「お姉ちゃんまだ若いのに、えらいねぇ~」
そう褒めてもらった時は、自分が若いのに、葬儀業をしているという感覚があまりなかったが
おばあさんの言葉が、素直にとても嬉しかったしその後の励みになった。
私が葬儀の仕事を辞めないで、青春時代と言われる華の10代から20代を過ごしてきたのは
ご遺族に、たくさん感謝される喜び。を感じたからずっと続けて来れたんだと思う。
残された、ご遺族の心情を察して今、私に何が出来るのか?真面目に考えた。
悲しみに寄り添いご遺族と一緒に、故人を天におくり出す、慈悲精神だった。

通夜と告別式の2日間のご縁ー
ご縁あって、たまたまその家の葬儀を執り行う立場になりー
亡くなってから出会う事になる、故人さんとのご縁を大切に…
故人の人生って…どんな人生だったんだろうかと?
ご遺族との会話や、アルバムや遺品を頼りに考えてみたり…
色んな種類のお酒が好きだったと聞けば、2~3個の紙コップにビールに日本酒、ワイン等
マジックで書いた紙コップにそれぞれのお酒を入れてご遺族の許可を得て、祭壇に供えたり…
故人が喜んでくれる姿を想像すると微笑ましくて…
最後に何かしてあげたい!と心からそう思う様になっていった。
本当に様々な人の生き死にを目の当たりにする日々ー
寿命を天命全うし、きれいな人生の終わり方をする人もいれば…(わたし主観ですが)
自殺、他殺、孤独死、事故死、子供の死、闘病生活のうえ亡くなっていった少年少女
貧困で福祉にかかっている人の葬儀など人の生き死には千差万別…
記憶に残ったお葬儀…
車で事故死した若い夫婦の施工だったー
残された中学生の子供が喪主になり、まだ幼い弟もいたかな?
私より若い喪主の、これからの人生を深く同情した。
たくさんの弔問者が会場いっぱいに押し寄せあちらこちらから、すすり泣く声。
最後の出棺の曲は、夏川りみの、涙そうそうが流れていたー
私は、残された子供達に胸いっぱいに、なりながらも自分に課せられた業務を必死に勤めた。
人は死んだら何処に行くのか?
高校卒業後も特に進学するわけでもなく、何か他にやりたい事もなかった私は…そのまま母の会社で、働き続けた。葬儀の仕事を始めた高2の夏から気付けば…もう4年も経っていた…。
遺体と対面する毎日を過ごし、その頃から…人は死んだら何処に行くのか?
と漠然とマジで、考え出す様になった。
家庭崩壊・両親の離婚…人生で窮地に立たされた
私の父は、自営で歯科技工士をやっていたが、私は勉強が出来なかったので
私立高校に通わさせて頂いていた。
そのせいで高額な学費と仕事の運営資金などで一家は破産に追いやられた。
破産の兼ね合いで計画離婚するも…母は父に愛想をすっかり尽かしていたのか?
母は…葬儀屋の取引先の社長と付き合う様になり…
本当に離婚する事態に陥ってしまう。
この男、外見は北の独裁者に似ているが、頭もキレ、金を稼ぐ能力はあった。
この男には妻がいたが、すでに離婚直前の別居状態だった。子は無し。AB型|д゚)
以下この男をTとする。

そもそも…A型で商売家系で育ったテキパキな男勝り母と、B型で自由気ままなスーパー我が道を逝くタイプの父と母が相性合うわけもない(笑)
一家の主を失ったが、母が男でもあり母でもあるので…生活には特に困る事なく…。
母・弟・私で生活するようになる。
その後、父は一人で寂しかったのだろうか、宗教にハマる。
そこで出会ったバツイチ子持ちの女と再婚し、二人の間に一女を儲ける。
今となっては、高校卒業まで学費を援助してくれた父に、感謝しているー。乙でした!
スピリチュアルに目覚めるー
家族崩壊と多少なりとも私は、ダメージを受け、気を病んだのかもしれない。
そんな時…運命の出会いを果たすー。
二十歳の時、書店でキラキラ光る表紙の本が目に留まった!
直感でこれだ!と思った。
皮肉にも…Tがその場に居たので、買ってもらった。
その一冊の本の影響で私の思想は一気に変わり始めた。
江原啓之のスピリチュアルイズムだった。
心から救われ、スピリチュアルに目覚めたきっかけの本はこれ↓

オーラの泉など出演していた江原さん。その頃、空前のスピリチュアルブームだった。
ある一節…『人は肉体が無くなっても、魂は死なない』
私の長年、追い求めていた答えだったー。
妊娠中絶体験「いのち」
二十歳の夏、今の夫との間に子供を宿したが…
中絶するという選択をしてしまった。妊娠3か月だった。
私自身、子供が欲しいと思った事はなかった「産む」という事に凄く恐怖を感じていた。
スピリチュアルな事を学んでいたのに…こればっかりは経験が足りなかった。
家庭崩壊し、家の事で病んでいた私は、まだ子供を育てる準備が出来ていなかった…。
手術し終わった後、一つだけ心に決めた事がある 次、妊娠したら絶対に産む!

葬儀業界で、活躍する女性達…
母はTと付き合うようになり、すっかり女になった。
「女性ホルモンUP↑」
そのうち…Tが一人暮らしする家&葬儀屋に頻繁に出入りするようになる。
娘としては、母が女になっていく姿を見るのは痛々しかった(笑)
母は、目鼻立ちがハッキリしていてよくハーフ?と間違えらる顔立ち。
※あっ、ハーフではありません。日本人です。
母は、性格はサバサバしていて男っぽく。パチンコもタバコもたしなむ人
周りの、女性スタッフからは、とても慕われていたと思う。
葬儀関係の社長さんから、寺の坊さんまで、幅広くモテた方だったと思う。
仕事を貰うのも上手いもんだった。女社長というものは恐ろしい。

↑※母ではありませんが、若い頃の母に良く似ているのがあったので(笑)
「フィーフィーまたは、名倉潤。←男やんw」
葬祭業は、高額アルバイト
母の会社で働くスタッフは30代~40代の子供がいる主婦が多く、気の合う優しい先輩もいれば…
中には、性格がヤンキー?キツイ女もいたが…血液型がB型の女性が多く
私も自由人theB!←父の遺伝子受けついてもうた(笑)
助け合い精神で、のほほんと春の空気が漂う…そんな職場環境で心地よかった(*^▽^*)
交通費は出なかったが、現場まで車で行く人が多く、私は同じ現場に行く人によく便乗して車に乗せてもらい、交通費を浮かしていた。
↑あつかましい奴
現場が違えば、電車やバスを使いあちこち行ったが、近場の会館もあれば…
電車で2時間かかる会館もあるし、初めて行く集会所や寺、自宅施工の時は
Googleマップで調べて印刷して行くが…入り時間に間に合うかドキドキしたものだ。
母の葬儀人材派遣会社は、多い時で約9社の葬儀屋と取引をしていた。
【葬儀屋から仕事の依頼をもらう】→【自宅待機のスタッフに仕事の依頼】→【各葬儀の規模に合わせた人数を各葬儀屋に派遣させる。】
冬などの忙しい時期は人手不足で応援要請を他社にする事もあったし、こちらも取引先以外の葬儀屋に出向く事はあったが、初めての葬儀屋で初めて会うスタッフと一緒に仕事をするのは嫌だった。
羽振りのいい性格の母は、よくスタッフにご馳走したり…ガソリン代を渡していた。
みな、アルバイト雇用で、お通夜・告別式と2日間のセットが基本で 1日/¥10,000位が平均
もちろん仕事の出来る人は+2000~3000円くらいは多かった。
私は、社長の子でありながらも…給料は一番最安値!( ;∀;)日給8,000円くらいだった。
通夜・告別式以外にも、初七日手当というものがあった。これは、告別式の後に仏式で執り行う儀式
流れとして▶通夜→告別式→出棺→精進料理→お骨あげ→初七日法要→解散!乙
初七日法要は親族だけで執り行われるので通夜・告別式よりか人数も減るので、緊張も和らぎ
私はこの、初七日手当でなんとかやりくりした。
葬儀の仕事は日々、勉強。

だいたい、会式の3時間前に現場に入り、お通夜や告別式の準備をする。
葬儀といっても仏式から神式に、キリスト教、無宗教、わけのわからん宗教とけっこうある。
それぞれの宗派に合わせ準備する物も違えば、式の流れも違ってくるので覚える事は多く、日々メモを取り集めたが、歳の一番若い私は…先輩に頼りっきりでその日をやり過ごすという感じ。
私が任される準備はと言うと…供養品を袋に詰めることくらいだ。←簡単誰でも出来るよ
しかし、こればっかりやっていると日に日に供養を入れるスピードも速くなり!供養詰めの達人になったと勝手に思っている。
始めの頃は、いつも良くしてくれた元デザイナーの葬儀屋の社長さんの現場に行くのが楽しかった。
母が独立する時に多大なる力を貸してくれた恩師で、ハゲ頭のピッカピカの社長さん(笑)
通夜が終われば、母のスタッフと、司会の業者さんらとご飯を食べに行きその日の現場のプチ反省会や仕事のイロハを教わったり…
みな私よりだいぶん年上で私は16からずっと年上の人に囲まれて仕事をしている。
元葬儀の現場を知る私が語るブラック葬儀
葬儀屋が執り行う葬儀の他に、市の職員が執り行う市営葬儀は割と安いが、花祭壇や棺はノーマルで好きな物を選ぶことが出来ない場合が多い。
また、会員になり年会費を積み立てるタイプの葬儀屋もあるがこれは危険だ…含まれていない備品があるのでさらに、お金を追加で支払わなければならない事が多くハッキリって損をする。
100万とか300万とかの値段設定のプランがあるが実際にかかる費用なんて知れてる。
暴露してしまうと…祭壇を作るのにまず生花がいりますが、花の単価はそれほど高くないです(笑)
それに、花は何処の葬儀屋も使いまわす場合がけっこうありました。
1日で2軒かさなった場合→午前A家 告別式→午後B家 通夜でA家で使用した生花を他の種類の花と混ぜ見た目を少し変え差し替えたりして誤魔化す事も。
酷い時なんて、供花ってあるじゃないですか?これなんてそのまま札変えるだけで使えますからね。
一基だいたい10,500円で原価はめっちゃ安い(;^ω^)しかも使いまわすって事は丸まるの儲けですよ。
↓供花 板の所に名前が入る

狂い始めた歯車
母が葬儀屋の社長Tと付き合う様になると、Tのちっこい会社はどんどん急成長を辿る。弟もたまにこのTの会社でバイトをし葬儀の仕事を経験する。田舎町の葬儀屋だが町会や商工会に入っており社交的でなさそうなTは以外に抑えるとこは抑えていた。そして、母はこのTの会社に貢献し、母は社交的で明るい性格の為どんどんこの田舎町の葬儀屋で力を発揮する。おもに、母の仕事は葬儀の司会で、式進行をする大事な役割なのだ。
Tとの交流は家族ぐるみで付き合う様になり、週末は私の彼氏もTの家に泊まりに行ったり北海道旅行もTが全額負担してくれるというので行ったりもした。私の二十歳の誕生日はこの旅行の日とかぶった
スタッフも母とT社長が付き合う様になった事は薄々気づきだすー

人生の岐路に立つ
次第に…母は自分の派遣会社の運営を邪魔くさがり私にしないかと?話を持ち掛ける。
この時私は、若干まだ21歳とか2です。悩みましたが答えは決まってました。
やりません!後は、継ぎません!
理由は、電話に毎日しばられてストレス溜まっていた母の姿をみていたので、もし自分が今後その役をしなくてはならないと考えたら…なんか人生楽しくないなぁ~まだ21歳の私には重い役でした。
その後…母の派遣会社の業務をTの会社でするようになった。その頃、Tの葬儀屋は会館を建て、従業員も増えTはノリにのっていた。車も外車に買い替えお金の羽振りも良くなり…しかし見栄えが北の独裁者(笑)
従業員生き残り戦争
Tの会社が主軸となりだした派遣会社はTのかかえる葬儀屋の従業員ともちろん仕事する事も増え
居心地が悪くなってきた…
みな何処の会社もそうだろうが社長に気に入られるように必死のアピール
とくに、Tの葬儀屋のかかえる社員連中は媚びへつらいまくり。
新人のケバい40代女が入ってきた。夜はスナックで働くという最強の人だ。
また媚びるのが上手い!性格はみんなの輪を見出し、新人のくせに出しゃばりで仕事を覚えるのに負けたくない!必死なんだろうが、とにかく稀に見る出しゃばりだった。
始めは、Tの会社が大きくなる事に貢献しよう!と思い働いていたが…それが間違いだった。
そして、Tの本性を知ることになる…Tは自分の社員を可愛がる様になり、自分の城を築き上げた。
その頃、母とも喧嘩が増えるようになったのか?
母が派遣会社を放り出した時点で色々と終わっていたのだ。
Tの意地悪で自分勝手な行動から…私は悩み悩んだ末、この会社から抜けるのであった…。
気が付けば、16歳の夏から、葬儀の仕事と出会って…6年くらい経っていた…。
辞めてからのその後…
葬儀の仕事を辞めてから…私は何が出来るのか?色々考えたが、高校生の頃飲食店で働いたりもした経験からウェートレスのバイトをする事になるが…お給料の悪さから速攻辞める(笑)
そして、縁あって母が独立する前に、一緒に会社を立ち上げた母の元同僚の方のところで葬儀のバイトを開始するようになり、そこで私はキリストのお葬儀に行く機会が増え、次第にキリスト教っていいなぁ~と癒され、讃美歌を私達も一緒に歌うのだがそれがとても心地よく今までの人生の疲れが洗われて行く…そんな幸せな気分を味わえた。
その頃…母の派遣会社で働いていたスタッフみな、Tの元を離れ独立して新たに派遣会社を立ち上げた。
そして、母もTと別れる。乙でした!
キリストに癒されながらも…私はその派遣会社を辞めてしまう。理由はあまり思い出せないのだがたぶん派遣業に疲れたんだと思う。仕事の依頼はその日にわかるのでその日一日ドキドキして過ごさなければならない…そのスタンスで長年やってきたんだが母の会社だったから出来たんだと思う。
でも、キリスト教の讃美歌に癒されたこの会社には感謝する。

不思議な現象が起こりだす
父と母が別れてから、2回ほど引っ越しを繰り返した、その2回目のマンションで不思議な現象が起こりだす。夜、寝ている時・・・金縛りになり動けずにいると・・・廊下から聞こえてくる!
ギシギシッ・・・ギシギシッ
うわぁ!何か?近づいてくるー!!そして、誰だか見えない何か?を感じ私に触ってくる。
怖くて怖くて!叫ぼうとするも声が出ない・・・
そして、いきなり讃美歌?ぽい聖歌部隊の女性の歌声がガンガン聞こえてくる!オルゴールも
うわぁこれなんだー?なんだ?と思いながら目は開いている。
そして極め付けが!女性の声でハッキリと聞こえた『だいじょうぶ』という声!
ついに、私もそういう体験をする事になった。
しかし、女性の声は幽霊とかではない感じで守護霊?という感じだった。
ちょうどその時もの凄く、今後の人生進路に悩む出来事があり…「だいじょうぶ」って声が聞こえて何故かほっとした。
それから、母も弟もこの家で幽霊を見るようになる。|д゚)
霊感ゼロの母が、幽体離脱したり、白い服の人をみたりこの家なにか…いる?
霊感の強い母の友人が家に泊りに来た時、おばあさんと子供がリビングに居るのを見たらしい。
後は、エレベータ降りた時ファッ!と何か私の前を横切った感じもした事もあった。
でも、私が体験した女性の歌声はそういう霊とかじゃない感じだった。
それからも、オルゴールや聖歌隊の女性の声が突然聞こえ出す事があった。
頻繁に聞こえるので「 スピリチュアル 声 音 メロディー 」でぐぐってみたら・・・
クレアオーディエンス(霊聴)という言葉にたどり着いた。
天使「クレアオーディエンスとは、「クリアな聴力」という意味で、通常の聴覚では聞くことの出来ない、霊的な世界の音を聞くことが出来る能力です。具体的な音源は無いのに、音楽やドアが閉まる音、鍵が触れ合う音、人の動く音が聞こえるのです。」
まさしく↑メロディーの正体や、聖歌隊に、女性の声はまさしくこれだった。
新たな職場に出会う…
母の元同僚の派遣会社を辞め、しばらくボーっと過ごした。その頃、今の夫と同棲もしていた。
そして、24歳の時、家の近くに新しく出来たっぽい葬儀会館のチラシを目にする。
彼はその頃、会社を立ち上げる準備段階だったので、将来みこして私が事務職とか経験しとくのもいいんじゃない?という感じで電話してみたら?と後押ししてくれたので電話してみる事に…
求人とか書いてなかったけど新しいって事は募集してんじゃね?みたいな感じで問い合わせした
するとちょうど辞めたばかりの子がいるらしく(ってまだオープンしてそれほど経ってないけど(笑))
募集してると言うので履歴書を持参で、家から自転車で7~8分の場所の会館に面接に行った。
社長さん「経験者なん?」
わたし「はい、母の会社で数年やっていました。」
社長さん「じゃあ~明日から来てね~」
と言った感じで…小泉元総理に似た社長さんに面接してもらい即採用!
家族葬専用の会館で一日一組限定!の葬儀会館でした。縦長でまだリフォーム仕立てのキレイな3階縦のビル。なにより家が近い!今まで仕事場に行くのは、電車やバスに乗って30分~1時間かかっていたので…さっと!行ってさっと!帰れる距離が嬉しかった。
もちろん時間に融通がきく、アルバイト雇用。
時給1,200円 朝10時~5時で週5位の割合で働きました。
2~3か月だけ先輩の、3歳上の水卜アナ似の、女の子とアルバイト2人でほぼ会館を任せられた…
仕事がない時は朝の10時~5時までテレビ見るなり、ゲームするなり、お菓子食べるなり、昼寝するなり、女子二人は好き放題させてもらっていました(笑)
たまに、会館の見学をする方が見えられたり…
特に、監視もなく上司や社長が急に来るのですが、モニターがあるので安心でした(笑)
通夜が出ればもちろん帰りは夜の9時10時になる事もありましたが(;^ω^)
電話応対から供花の受注発注に、簡単な営業やパソコン作業もありました。
おっちゃんの上司は若い私達に、甘い物や高い店に、ご馳走してくれたりと…
なかなか羽振りのいい感じの親父でした←(1人を除いて)
働く体制も、以前の派遣業の時の様に、電話で待機ではなく、週4~5と決まった日に
決まった時間で動けるので派遣とはまた、違うよさも味わい…
そして、アルバイトなのに、多い時には一月25万とかお給料がありました。
テレビ見て、菓子食べて…ピザのデリバリーをお昼に頼んでピザパも二人でしました(笑)
そんな自由がきく会社(笑) 派遣でも、そんなに稼げませんでした(;^ω^)
今まで働いてきた中で一番楽しい職場となり、仕事のスキルも事務職も確実にUPしました。
営業も、ほぼほぼ葬儀経験が長いので、得に質問されても困る事なくスムーズにクリア出来ました。
ただ、めちゃ忙しい時に、電話も鳴るし、来客もあるし、親族も来るし、供花の手配も準備もしないといけない時は、頭と身体フル回転させなきゃなりませんでした。←普段休止状態なので(笑)
でも、自分の仕事が多いって事は自分でしなければいけないと言う事なので責任感もありました。
以前は、母の後ろ盾があったりしたので、仕事もなかなか自ら前に出て活躍するわけでもなく…
ただ、水卜アナ似の子と相性があまり良くなくて悩んだ時もありましたが…
葬祭業は未経験の彼女なのですが頑固で自分の独自のやり方に、こだわりがあったので経験者の私にとってなかなか厄介でした(;^ω^)
そうして1年が過ぎる頃、二人以外に新しい、コネで女の子が入って来ました。
みかけは…お姉ギャルでした(笑)つけまつげは2重でメイクが濃い!濃い!
心の声「心の中で私は呟いた…おくやみやで?ケバ!」
しかし、以外にも仕事を覚えようと頑張っていたし、この子とは気が合った。
心の声「だが、この子がきっかけで葬儀業を引退する事になるとは、この時は思ってもみなかった。」
史上最強のお局さん
私の働く、会館以外にも社長の所有する葬儀会館があった。そこは大きく100人以上入るでかい会館
そちらにも通夜が入れば、出向くこともあった。
しかしそこには…史上稀に見る!最強のモンスターお局社員が居座っていた。
その方は、結婚していたが病気になり子宮全摘、生死を彷徨った過去があり闘病中に旦那に浮気されて捨てられ…離婚した経験があった。まさにその会館の城の主という感じ。男性社員もたじたじ(笑)
その後…この人の一言で私はこの会社を辞めるのであった
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おくりびとになって、16才の夏からー8年目。
次回…http://storys.jp/story/17896【誕生死編①】へ続きます。

