幸薄い人生ですが、大人になってできた友達に救われました。その3

 

 職業訓練校を修了し、家に帰ろうとフラフラ街を歩いていると訓練校の人達の集まりが見え、声をかけられました。

「あれ?学校の人だよね?一人?一緒に遊ぼうよ~」

「お酒飲む?何か食べる物注文しようか?」

「じゃあ、少しだけ…」

 少しだけのはずが、だいぶお酒が入り、親が電話してきた時も「ご飯食べて帰るねー」と軽く流して切って二次会に行きました。就職も出来なかった。明日から無職。私は自棄を起こしていました。たくさん飲んで酔い潰れてしまい、気が付いたら男性とホテルにいました。

 ケータイの充電もなくなっており、ホテルの充電器を借りて待つしかない状態でした。男性に、その気はないことを伝えて寝ました。


 朝になり、ホテルから歩いて帰りました。途中、母が車で迎えに来てくれました。酷く怒られるものと覚悟して家に帰りました。

 案の定、父はカンカンで「年頃の娘が朝帰りとは何事か!学校を出て、働きもしないなら今すぐ荷物をまとめて出て行け!!」と…。

 自分がしたことなので仕方がない。荷物をまとめて祖父母の家に行きました。


 実家を出た後、面接に行った会社から合格の電話がかかってきました。祖父を知っている人がいたようで、コネ入社ですが。事務員のおばさんにも激励され、私は工場で働くことになりました。

 

 工場の仕事はとても大変で、先輩のおばさんに怒られ、班長さんに怒られ、工場の監督さんにも怒られまくりの毎日。というのも、私、実は10以上の計算が苦手で、いつも品を作る数を間違えていたからでした。「私、計算ができないんです」とは恥ずかしくて言えないし、ゆっくり慌てずに考えればできないこともないので頑張ってやるしかない!と思っていました。

 夏場は毎日のように温度計が40℃になり、水をたくさん飲んで塩飴を舐めても倒れていく仲間達…。ついに私も熱中症になって具合が悪くなり『もうこんなにキツイ仕事は嫌だ。すぐにでも辞めたい』と思うようになりました。

 

 お給料は毎月13万円程もらっていました。給料から3万円を生活費として渡した後は全部自分の自由に使えるお金でした。今までお小遣いをもらっていなかった私はお金の使い方が分かっていなかったため、好きなブランドの服を買いまくり散財しました。休日はネットで知り合った人達と遊びました。ネット友達の前では素の自分でいられました。遊んでいる時だけはツライ仕事のことも、過去も忘れられました。ゲーセンで遊び、居酒屋で飲み、カラオケオール、クラブで踊ったり…深夜に出かけたり、朝帰りも繰り返していました。

 そういう生活に祖母も激怒。19歳の9月、ついに祖父母の家も追い出されることになりました。


 行くあてのない私を助けてくれたのはやはりネットで知り合った友達でした。荷物を車に乗せて運んで友達の家に行きました。買い物以外の生活費は全部友達が負担してくれました。友達にはホントに感謝しています。

 少しでもお金を稼ごうと仕事を探しに出かけるも、未成年ということで雇ってもらえませんでした。未成年、保護者の許可も保証人も無しでは契約もできず。家を借りると敷金、礼金、保証会社の契約金で貯金が全部無くなってしまうため諦めました。

 仕事もできず、貯金を切り崩すだけでは数ヶ月も持たない暮らし。少しでも何かしなければと思い、ネットで知り合った男性に食事をおごってもらうことで食費を浮かせていました。ほとんど1度会って一緒に食事するだけですが、何度か会って遊びに行く人、すぐホテルへと誘う人、お小遣いをくれる人…色々な関係の男性が増えていきました。男性に対する不信感はずっとあって『結局男はヤリたいだけ』と思っていました。男友達も信用できず、ホテルに誘って何もしないか試したりしました。そこで手を出してきて『やっぱり男女の友情なんて無いな』と確信していきました。『本当の友達ってなんだろう?』考えても、考えても、答えは出ません。

 どんなに愛されても心が満たされることはありませんでした。底の抜けたバケツに水を注いでも無駄なように、私は空っぽでした。『誰でもいいから私を見て!愛して!』という心の叫び。面接に行っても全然採用されないし、私を必要としてくれるところなんてどこにも無い。そもそも私なんてダメ人間、どこに行っても邪魔になるだけ…。


 家出して4ヶ月。貯金も無くなってきたし、居候させてもらっている友達も実家へ帰ると言うし、家も失ってしまうというピンチに。ホームレスで寒い中、腹を空かせて野垂れ死にするのは絶対に嫌だ。何とか住むところだけでも…!引っ越しの期限まで残り少なく、かなり焦っていました。


 そんなある日、運命の人と出会います。後の旦那さんです。彼とはネットで知り合い、オタク系のオフ会で会いました。会った最初から何故か『私はこの人と結婚する』と感じました。一目惚れだったんだと思います。まだ20歳ですから結婚とか考えたこともなかったんですが、ホテルに誘いました。こいつが男か試してやろうと。彼は全く手を出してきませんでした。今までそんな男はいなかったし、ビックリして何故手を出さないか聞くとまさかの童貞。誘ったのは私だし、彼の初めての相手になるのも悪くない…。既成事実を作り、彼とお付き合いすることにしました。

 話をするうちにどんどん好きになりました。今、家を探していることを伝えると彼は「専門学校に行きたいから」と親を説得し、家を借りてくれました。彼と同居することになり、友達の家から引っ越しました。


 大好きな彼との同棲生活はとても幸せでした。しかし、私は今まで経験したことのない未知の生活に恐怖を感じていました。誰かに愛されたいと思い続け、愛に飢えているのに愛されることがとても怖かったのです。私のような人間が本当に愛されるわけがない。どうせ飽きて捨てられる。いつまでもこんな幸せが続くわけがない。何か不幸が起こるのではないかと思ってしまい、不安で毎日泣きながら眠りについていました。幸せなのに心は病んでいく”幸せ恐怖症”になっていました。

 彼は専門学校に行くも周りと馴染めず、すぐに行かなくなりました。彼の両親から「学校に行かないなら帰って来なさい」と言われ、私も一緒にいることを伝えると彼の両親は即OK。私も彼の家に行くことになりました。

 引っ越しするというのに、ギリギリまで部屋の片付けができず、友達を呼んで手伝ってもらいました。ほとんど友達がやってくれたと言ってもいいぐらい。友達には感謝しかありません。本当に助かりました。


 彼の家に来てビックリ。結構なお金持ちで、自分の知らない世界に生きている人達がいました。金銭的に余裕がある人は心にも余裕があるんだなぁと思いました。彼の親と自分の親を比べて絶望しました。でも、なんだか幸せそうではない。どこかギスギスした家族に違和感がありました。彼は3人兄弟で、特に下の弟とは仲が良くないようで話をしている姿は見たことがありません。彼の両親も何だか素っ気ない感じがしました。

 私は彼の父親が経営している会社の事務員として雇われました。パソコンなら得意なので仕事はバリバリこなしました。仕事して収入を得て、精神科に通院し、精神的にも安定しました。安定した生活ができて初めて人は安心して過ごせるんだなぁと思いました。

 

 私の両親が離婚しました。母は精神的に病んでいたため、父が妹達を引き取りました。母から父へは連絡が取れないそうで、妹達とは会えなくなりました。ランドセル姿も、制服姿も見れないのはとても悲しいです。どうにか会える時が来ることを願っています。

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