ある女装有名人に10年前に出合った話

まじで驚いたので書きはじめてみる。以下仮名だが、Y先生は日本ではすでに有名人らしいのであまり仮名の意味がないかも。

私は当時、卒論を書き始めるにあたり、卒業後に修士をするための場所を探していた。T大学の、当時たしか助教授のY先生の本を読み、興味を持ったのでメールを書いてみた。

その先生は、年齢の割りにかなり出世していて、本の内容も「すごい!」の一言だった。こんなに知識も表現力も、卓越した発想もあって、さらに行動力のある先生は他にいないと思った。そんな天才の先生が私にすぐにメールをくれるかはわからなかったが、だめもとで書いてみた。

Y先生は気さくにも私にメールの返事をすぐにくれた。先生はすぐに会ってくれるとのことで、大喜びで会いに行った。

私は、先生がその当時出したばかりの本にすごく感銘を受けたことを話した。その本は部分的に高度だけど、一般向けに書かれたものだった。さらに、その先生がその何年か前に書いたアカデミックな本もちゃんと読んだので、それの感想なども話した。すると、すごく喜んでくれて晩御飯を奢ってくれた上に、何時間も貴重な時間を割いて、私の卒論はベイトソンにするといいとかの話や、私が修士として入学したらエドガー・モランの研究をするといいとか相談にのってくれた。授業にも参加させてくれて、当時はドラッカーを読んだりしていて、興味深い授業だった。

さらに、もう一人の博士だか修士の学生で、私の世話役になってくれるという人まで紹介してくれた。


随分展開が速いので正直びっくりしていた。本を読んだ限り、こんなにすごい才能の先生はいないとまで思ったY先生が、自分のことをこんなに気に入ってくれたなんて奇跡だと思った。

そして、数日後また連絡があり、後日、K市でY先生が一緒に研究とかをするチームの合宿があるので来るように誘われた。もちろん私は二つ返事で夜行バスのチケットを取った。

無料で宿泊できる場所まで先生は用意してくれて、期待に胸を高鳴らせて京都に向かった。

着くと、もう一人別の教授と、その関係の研究者が学生が集まってバーベキュー・パーティをしたりした。面白い話もいろいろ聞けたのだが、集まった中にはだいぶ変人や性格破綻者がいたのに驚いた。

家族関係の深い悩みやらを抱えている人が多かったのも驚いた。Y先生自身も、職場での人間関係や離婚したことにすごく悩みを抱えていたのも聞いた。

話を聞いている限り、Y先生の目指すところは、私が考えていたアカデミックなものではなく、「新しい宗教のようなもの」を開くことだという噂さえ聞いた。

だんだん、なんとなく居心地が悪くなってきた。

私の世話役になる人とも、色々口論になった。その人も本当に賢い人だったのだが、人格的にあまり気に入らなかった。

そして、わりとその合宿の最後の方のある日、Y先生は大学の教務課の悪口をしきりに言っていた。その悪口は被害妄想に満ちた子供じみたものに聞こえた。コンフリクトのなくていいところに、無駄に問題を起こしている感じがした。そこで、なんとなく先生の言うことに反論してしまった。「そこで無駄に反抗せずに、穏便に済ませましょう」と。先生は私の言葉に気分を害されたような表情をしたのを覚えている。当時の私も馬鹿であった。

案の定、K市から帰って割りとすぐに先生からメールが来た。

そのメールには、「あなたは学生として優秀だが、権力に屈するような態度を見せた。私はそういう学生は取りたくない」ってなことと、なんだか生きる上での戦いと苦しみについて書いてあった気がする。

どういうわけか、私はそのメールを見て、先生は比類ない才能に恵まれたが、心に闇を抱えていて哀れだなと思った。先生は「何かに耐えながら生きているんだな」という印象があったので、それを思って、悲しくなった。

当時私は同じくT大の座禅会にはまっていて、座禅によって心は救われると信じていた。だから、どういうわけか、「先生は色々と苦しいのでしょう。ぜひ座禅会に来てください。次回は○○日です。そこで、心を無にしてください。きっと先生の助けになるでしょう。きっときてください」みたいな、生意気なメールを送った。今思うとT大の助教授に良く偉そうに言ったものだ。

先生もそんなアホ学生の私のメールに対し律儀に、「話になりませんね」みたいな書き出しで、「あなたはやはり、そうやって権力に屈している」みたいな批判をなさった。

まさか、前のメールに返事が来るとは思ってなかったので、返事が来たときには、「ああ、やっぱり先生は寂しい人だったんだな。もっと優しく相手してあげればよかったな」と思った。

そして、先生とはそれきりで、10年の月日が過ぎた。

私は今ヨーロッパの某D国で暮らしている。

結局、学部を卒業してわりとすぐにこちらに来たので、日本語もだいぶ下手になったのだが、日本語のニュースやらはよく読んでいる。

今日、あるニュースを読んでいたら目が点になった。

「某教授がサブカルチャーについてついて語る」みたいな見出しだった。クリックして大きくなった写真には綺麗めの女性教授の大きな写真が載っていた。

しかし、その教授の名前を見て、自分の目を疑った。

なんと、その教授は例のY先生だったのだ!!

良く見ると、その「女性」教授は元々セクシュアルマイノリティで、今は自分の本当の性にもどられたようだという。

私はヨーロッパ暮らしでこの先生が今日本でどれくらい有名かわからないが、本当にびっくりして、夜中なのに悲鳴をあげてしまった。

セクシュアル・マイノリティの方はいろいろと心に問題を抱えることになるだろう。

私は今、白人だらけの場所で人種のマイノリティとして生きている。言語が上手くても、見た目は白人にはならないし、考え方もやっぱり日本人のままだ。劣等感とかではないけど、「自分と周りは違う」と常に感じているのは苦しい。きっとセクシュアル・マイノリティもこのように、まわりと違うという葛藤を抱えて生きているのだろう。

そうした生きづらさというのは、外国暮らしが長くなっても消えない。セクシュアル・マイノリティの場合は、さらに、人に話しにくいという辛さがあるだろう。あと、社会的な圧力もあって、欧州の東洋人であることより苦しいことでしょう。

先生が自分の本当の性を受け入れてから出した本の表紙にのってる先生の写真は、私の目にはとても美しく映った。ネット上のほかの写真でも綺麗な笑顔を見せている。

きっと、先生は「性」を受け入れたことで、ある程度心の闇を吹っ切ることができたのだろう。しかし、先生が当時抱えていた心の闇が、性別の問題だったなんて思いもしなかった。

「自分自身である」ということは重要なんだなと思った。自分らしく生きること。

ヨーロッパでは難民やらなんやらで、「ただ生きることの難しさ」みたいのが注目されている。私自身、欧州での生活は割りとサバイバルで、「ただ強く、生き残る」みたいのがモットーになり、マイ・リトル・ラヴァーの歌の歌詞で「自分らしく生きることなど 何の意味もないような朝焼け」という言葉を聞いて、納得する始末である。

でも、やっぱり「自分らしさ」って重要なんだ。ネット上の記事によると、Y先生の場合も、自分の性を見つけるまでに時間がかかったそうだ。自分らしさを見つけること自体、今の世の中では難しいことなんだ。周りから影響されたり、いろいろな制約、将来への不安、存在への不安。そんなことから自分らしさは、そういった塵の奥底に埋もれてしまう。

どうすれば「自分らしさ」を掘り起こすことができるだろうか。

ここで、うまいことに伏線が張られていた不思議なのだが、「自分のありのまま」を見つめるのが禅なんだ。だから、先生があの時、座禅にきてくれたら、あと10年は早く自分を見つけられたかもしれない。笑。

かく言う私も、欧州に来てからほとんど座禅していないが、久々に座禅をしようと思う。

穏やかでない状況の中や、ちゃんとした理解者が周りにいない中では、サバイバルに集中してしまい、「自分らしさ」が見えなくなりがちである。周りに話し合ったり、理解しようとしてくれる人がいない状況でこそ、禅とかの教えが生きるだろう。

それにしても、どうすれば自分は見つかるのか。

インドにでも行けば、自分が見つかるのだろうか。

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